第204話、皇帝、人前に姿を現す
ラウダ・ガンティエ皇帝が久々に、ジャガナー大将軍の前に現れた。
というよりも、呼び出されたが正しいのだが、場所は皇帝用に改装された執務室。パウペル要塞には、元々皇帝用の執務室などなかった故に手を加えられたものだが……。
ジャガナーは、むせ返るような香水のにおいに、思わず顔をしかめたくなった。
これは体臭消しのためだろうか。女を引き入れ、盛んに励んでいらっしゃるともっぱらの皇帝である。雄の体臭を、別の香りで塗りつぶすかの如く、とにかく不快なにおいが鼻をついた。
「……」
――皇帝陛下……。
その外見は、しばらく見ないうちに激変していた。
だいぶ痩せた。腹はまだ出ているが、全体的に肉の量が減った。またしばらく会わないなんてことになれば、次は骨と皮だけのミイラのようになってしまうのではないか、と思えた。上着を羽織っているものの、身なりに気をつかっている様子もなく、浮いた肋骨などが肌も露わだ。
きちんと食事をしているのか怪しい。頬は痩け、顔も細くなった。表情も乏しく、全身から疲労感のようなものが滲み出ている。
しかし目は以前よりギラつき、むしろ凄味を増している。じっと凝視する皇帝は、まるで人の心まで見透かしているような、不気味ささえ漂わせていた。
「大将軍」
「ははっ……」
皇帝の前に膝をつく。
「余がいない間、ずいぶんと帝国は追い込まれてしまったようだな」
――あなたがご指示を出さないからだ。
ジャガナーの吐きかけた言葉は、口から出ることはなかった。名案を思いつくから、それまで現状維持を命じたのは皇帝自身である。
呼んだということは、この状況を覆せる名案とやらを聞けるのでは、とも思いたいが、皇帝がこもっている間に、さらに状況は悪化している。魔の塔ダンジョンが帝都に出現したことについては、まだ考えてもいないだろう。
しかし、それよりも、ジャガナーには皇帝が突然動いたことに不安を抱いていた。彼の娘レムシー絡みの可能性があるのが間が悪い。
「余なしで、この状況を覆す気概を持つ傑物は、我が帝国にはいないのか」
――自分の無策を棚に上げて、人のせいにする気か……!
皇帝の言葉一つ一つに、内心で反発している自分がいる。ジャガナーは、以前はこうではなかったと思う。今はやることなすこと、その言葉の一つをとっても腹が立つのは何故なのか。
「帝国軍は、反撃せねばならない。我が圧倒的物量を誇る帝国軍ならば、侵略する愚か者どもなど、あっという間に捻り潰せる」
――圧倒的物量!
やはり皇帝陛下は、現実が見えていない。そんな圧倒的戦力があるならば、皇帝が部屋にこもっていても、敵を叩き潰せただろう。だが現実には、仕掛けなくてもよかった西国に手を出し、無為に戦力を損耗。東と南から攻め立てられても、防戦一方である。
「しかし……」
ガンティエ皇帝の声のトーンが一段下がった。腑抜けになったとは思えない、かつての残忍かつ冷酷な声だった。
「この帝国に害なす存在は、内にもいたのだ」
よくない兆候だった。ジャガナーの警戒はこれ以上ないほど高まり、胃が痛くなってきた。
「我が娘、レムシーに、手を出した輩がいるようだな」
――来たぁ……ッ!
「あまつさえ、皇帝の娘たるレムシーの肌に奴隷印を押し、貴族どもが嬲りものにしたとか」
「……!」
思わず顔を上げて、皇帝の顔色を伺えば、ガンティエ皇帝は表情を変えず、しかし目は冷酷な怒りをたたえていた。粛清――言わずとも、この決着がどうなるかわかってしまった。
とっさに上げた頭を下げる。その時、一瞬、皇帝の股間が盛り上がっていたように見えた。わけがわからなかった。
「パーティーを開いたらしいな。この火急の事態にかかわらず、帝国貴族の義務を果たさず、遊びほうけるなど」
それをあなたが言うか!――ジャガナーは、皇帝の発言の支離滅裂さについていけなかった。
何より戸惑わせられるのは、以前のように喚きちらすのではなく、淡々と告げていくところだ。それまでの皇帝ならば、発狂と呼ぶにふさわしい醜態を、多数の臣下たちの前でも晒していたが。
「ジャガナー」
「はっ!」
「即刻、例のパーティーに参加して、レムシーを弄んだ逆賊を捕らえ、処刑せよ」
……最悪の展開が来た。火急の事態と言いながら、自国貴族の粛正が最初か。
「ジャガナー!」
「ははっ! 仰せのままに」
まずは足元を固めるために身内の膿を出していく、というつもりだろうか? 確かに裏切り者を抱えていれば、敵と戦うところではないが。
――そもそもこれは、裏切りではない。
レムシーが色に溺れ、奴隷ごっこを始めた結果、その戯れに乗っかった貴族の子女たちがやってしまったことであり、やらねばむしろ皇女の機嫌を損ねて、罰せられる可能性もあったとあれば、選択肢などあったのだろうか?
娘の我が儘に、父の体面と都合。むしろ犠牲者は貴族たちのほうではないか?
皇帝一族の糞の始末を押しつけられたこちらも不幸だが、この行動は結局、皇帝自身を追い詰めていることに、果たして彼は気づいているのか?
願わくば、自分の糞の処理くらい自分でやってほしいところだが……阿呆にやらせれば、さらに状況を悪化させるだけだから、むしろ何もしないほうがいいかもしれない。
――まて、私は今、皇帝を阿呆扱いしたか……?
これまで、どれだけ無様でも阿呆と思ったことはなかったジャガナーだったが、こう思うほど、今のガンティエ皇帝は駄目なのではないか。
「話は済んだ」
皇帝は席を立った。
「すぐに取り掛かれ。それと、レムシーを我が部屋に呼べ。躾が必要だからな……」
「はっ」
ジャガナーは頭を下げた。
・ ・ ・
大将軍は、奴隷姫の船、もといプリンセス・レムシー号絡みのパーティー参加者の逮捕、粛正という、やりたくもない仕事に取りかかった。
そして皇帝の部屋に、レムシー皇女が呼び出されたが――彼女の私室で享楽にふけっていた裸の男女も全員逮捕した上で、半ば連行する形で皇女は皇帝に任せられた。
皇帝は躾などと言っていたが、室内からは折檻の声が漏れ聞こえたという。ただ、それが周囲に好意的に受け取られることはなかった。
皇帝陛下は、実の娘を玩具にしている――そんな声が、ジャガナーのもとにも聞こえてきたが、そのことについて、大将軍が口を開くことはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます