第169話、プールにダイブ
罠というのは無慈悲だ。魔の塔ダンジョン59階は、入ったら転移させられていきなり水にドボンだった。
「……!」
鎧が重い。相変わらず不意打ち過ぎる。パニックになりかけるが、とっさに変化の呪い。エラ呼吸で、水中での呼吸を確保する。
汚い水だ。底が見えるが、深さは四、五メートルくらいのプールのようだ。
しかし広い。海藻のように見える塵が漂う中、合同攻略パーティーの面々がもがいている。いきなり水に落とされたからな。心臓に悪い。
そして突然の着衣水泳。水に落ちたってことは、水面があるということだ。息が切れる前に水面があるということだ
軽装な者は浮上するが、重装備の騎士や戦士たちが浮かび上がれず、苦しんでいた。
慌てて鎧を外している者がいるが、この状況で間に合うか? 突然の水。沈んでいく体。解けない装備。保たない息。死がちらつき、恐怖でさらに思考が狭まる。
俺は、近場で沈みの早い騎士のもとへ移動すると、その体を押し上げる。とりあえず、息を吸ってこい!
吸い付くような水のせいで、動くのも難儀だが、呪いで力を強化することでゴリ押す。日常生活で細かな作業ができなくなるパワーが上がりすぎて困る呪いも、使い方次第ってやつだ。なお間違っても物を握ってはいけない。砕けるからな。
何人か押し上げたか、俺ひとりでは足りなかった。上でもがいている者はともかく、沈んですでに動いていない者もいる。俺が触れても、もう反応しない。押し上げても、もう動かず、また沈む。……くそっ。
周りは、仲間たちが溺れないように外した防具や武器などが、かなり沈んでいた。命優先だ。拾ってあげるべき――っ!?
何かいる! 蛇か? どこからともなく現れた蛇のようなモンスターが泳ぎ回り、死体に齧りつきはじめた。そして俺のほうにも向かってくる。
剣を……いや水中で振り回して当たるのか? ここは呪弾で応戦だ。炎でも氷でもない呪いの塊を食らえ!
俺は応戦するが、やばい。蛇型モンスターの数が、減る様子はない。こりゃどこからかこのプールに入ってきているな……。
相手するのも面倒だ。とりあえず浮上して仲間と合流しよう。上の明るい場所へ――
と、上から何か飛び込んできた。ソルラか? 馬鹿、こっちこなくていいから戻れ!
もちろん声に出せないので戻れ、とジェスチャー。彼女は上がってくる俺に気づいたが、俺の仕草にすぐに水面に方向を変えた。ようしそれでいい……。
浮上! と、息が詰まる。呪い解除、肺呼吸に戻す。
「アレス様!」
「大公閣下!」
仲間たちが俺に必死に呼びかけている。心配するな、大丈夫だ。仲間たちはプールから上がっていた。俺は若干、咳き込んだが、岸に泳ぎ着き上がろうとしたら、シガやリチャード・ジョーが俺を引っ張り上げようと掴んだ。
心配は嬉しいが、支えはいらないよ――と思ったら引っ張られた。
「間一髪だったな、大公さんよ」
「ご無事ですか、アレス様!」
「……俺は大丈夫だよ」
間一髪でもないが。
「心配しました」
カミリアが膝をついて、俺に顔を近づけた。お前、鎧は?――なんて愚問が浮かんだが、沈まないように外したんだな。聞くまでもない。
「いらっしゃらないので、溺れたのかと」
「仲間が溺れてないか、押し上げていたんだよ」
「あ、じゃあ、私を水面に押し上げてくださったのは――」
「下からなら、俺だ」
おおっ、と周りから声が上がった。
「では、私はアレス様に助けられました。一度呼吸ができたから、わずかでも鎧を外して軽くすることができたのですから」
「無事でよかったよ」
心底ホッとしたという顔をするカミリア。ベルデやシヤン、ソルラもまた安堵する。……お前ら、水も滴るいい奴らになってるな。
リルカルムは……なんか色々やばい。マントは水を吸って邪魔だったのか捨てたのだろうが……もとから肌面積過多な彼女の衣装は、その肌に吸い付いて、危ないことになっていた。際どすぎる衣装も考えものだ。
男女問わず、アンダーウェアがべったり水のせいでくっついている者が多かった。俺も上がった時は水が大量に流れて、今はベトベト張り付いている。
「しかし……また随分、装備を失ったな」
ここで全身重装備の奴って、俺しかいなくないか? 騎士や戦士たちは軽装だし、元から装備の軽い者も何かしら荷物が減っている。
着衣水泳を強いられた魔術師組が、まだ息も荒くぜぇぜぇ言っている。
「……マルダン爺、大丈夫か?」
コクコクと頷く老魔術師。まだ息がきつそうだ。
「レヴィー様に助けられました」
どうやら溺れかけた何人かを、我らがリヴァイアサン様が拾って助けたようだ。……そうだよな、俺ひとりでは手が回らなかったが、彼女のように仲間を助けた者が何人かいた。
「それでも、救えなかった奴もいる」
俺が言えば、シガが息をついた。
「大公さんより、後の奴は……」
「ああ、もう溺れていた。しかも、もう水の中はモンスターだらけだ」
「じゃあ、装備を回収するのは――」
「無理だ。諦めろ」
「水神様の力で、何とかならないのか?」
装備をなくした何人かが、すがるようにレヴィーを見たが、少女は首を横に振った。
「そんなに器用にはできない」
がっかりする冒険者たち。ここまでくる強者たちだ。その装備には金がかかっているだろうし、愛着もあっただろう。
シガは唸った。
「しかし参ったな。装備が足りないんじゃないのか」
重量物を手放さないと、溺れ死んでいたのだ。仕方ないとはいえ、魔の塔ダンジョンで丸腰はきついだろう。
「装備ならある」
回収屋のジンが言った。
「俺のストレージにあるから、好きなものを持っていけ」
「助かるぜ、回収屋」
失ったものに釣り合いがとれるかはともかく、少なくとも丸腰の者はいなくなった。戦力低下は間違いないが、何もないよりマシだ。ついててよかった回収屋さん。
「少し急いだほうがいい」
ジンが指摘した。
「プールの水が増えているようだ」
気づけば、俺たちの足元にうっすらと膜のように薄い水が張り始めていた。水位が上がってきている?
「あちらに」
この部屋の出口を冒険者の一人が指さした。よし、さっさと移動しよう。部屋が水没して溺れ死ぬのはごめんだろう。
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