第149話、空気の読めない姫


 ガンティエ帝国皇帝、ラウダ・デラニ・ガンティエは、ライントフェル城を襲った光による攻撃で、崩れてきた天井の破片を体に受けて、負傷した。


 飛んできた小石程度の欠片が二の腕を僅かに切った程度だったが、皇帝は大げさに騒ぎたて、ライントフェル城からの撤退を宣言した。


 今度は廃墟と化した帝都の南西側にあるパウペル要塞を拠点とした。

 岩山をくり抜いた、非常に頑強な場所であり、煌びやかさはない。しかし天から降り注ぐ光の攻撃に耐えうる防御力はあると思われた。

 ひとまず安全な場所と言えよう。


 しかし――


「嫌ですわ。何故、皇女であるわたくしが、こんなネズミの穴蔵で生活しなくてはなりませんの!?」


 レムシー・ガンティエ皇女は、あからさまに文句を垂れた。

 父であり、皇帝であるラウダ・ガンティエが負傷を理由に部屋にこもっているため、城主の間は皇帝の玉座とされたが、その席にレムシーは平然と座っていた。

 家臣団は、渋い顔である。


「もっとよい場所はありませんの? こんな田舎を通り越して、人が住むとは思えない場所など、とてもガンティエの名を継ぐわたくしには相応しくありませんわ!」


 ――だったら、今からでもアーガルド城でも、ライントフェル城でもお好きな『廃墟』に移ればよろしい。


 ジャガナー大将軍は、内心で、この世間知らずのわがまま姫を罵った。

 皇女の文句は、貴族出の新米たちがこの要塞に配属された際に、うんざりするほどほざいているのを聞いていたから、余計にジャガナー大将軍のような熟練の武人の癇にさわった。

 貴族のボンボンどもは、ぶん殴れば済むが、皇帝の皇女にはその手は使えない。


「ああ、腹立たしい! ジャガナー大将軍!」

「はい、姫様」


 腹立たしいのはこちらも同じだ――という文句を飲み込みつつ、ジャガナーは進み出た。


「西方の……何と言ったかしら? 天使の羽根があるという国」

「ヴァンデ王国でございましょうか?」

「そう、そのバンデ王国。それはいつわたくしのものになりますの? 今日? それとも明日?」


 ――こいつ……!


 手の届く範囲にいなくてよかった。でなければ反射でぶん殴っていたかもしれない。ジャガナーは、すっと溜めていた息を吐き出すと、努めて冷静に告げた。


「恐れながら、国を獲るというのは、一日二日で終わるようなものではないのです」

「では明後日?」

「……」

「わたくし、もう待ちくたびれていますのよ?」


 レムシーはふんぞり返る。


「バンデ王国を制圧するようにお願いして、もう何日、何週も待たされていますの? 帝国軍は最強なのでしょう? 西の弱小国一つ潰せないのは、怠慢ではなくて、ジャガナー大将軍」

「申し訳ございません」

「あなたの謝罪がほしいのではないのよ、ジャガナー大将軍。帝国最強の軍がいつ、バンデ王国を滅ぼせるのか、それを聞いていますの」


 集まっていた家臣たちは、気まずい空気になる。何故なら、ヴァンデ王国討伐軍である西方軍が壊滅したという知らせが届いていたからだ。そしてその件を、皇女に告げねばならないジャガナーに同情する。


「かの国をいつ占領できるか、まったく未定です」

「はあ?」


 レムシーは目を見開いた。


「わたくしは、そんな答えを聞きたいのではないの、ジャガナー」

「わかりません」


 きっぱりと、ジャガナー大将軍は言い切った。これには家臣団は冷や汗が出る。大将軍がいつ手を出すかわからないほどの、怒りをため込んでいるのに気づいたからだ。


「ヴァンデ王国を攻略に向かった西方軍は、謎の攻撃魔法を受けて全滅しました」

「全滅? 魔法で?」

「はい」

「西方軍はいない、と?」

「そう言いました」

「では、他の軍を回しなさい。北と南、それに東にも軍はあるでしょう?」

「――恐れながら姫様。各軍から抽出した増援軍のうち、北方軍と南方軍も攻撃を受けて、動けません。東方軍の増援が、間もなく帝都付近に到達致しますが、現在、北方で暴れている鋼鉄の大鬼討伐の増援が必要ゆえ、西方に向かわせるのは――」

「長い! もっと短く話せるでしょう! わたくしを馬鹿にしないで!」


 レムシーは声を荒らげた。


「なによ、北方に大鬼が暴れている? そんなのいきなり言われても困るわ。そんなものさっさと討伐しなさい。東方から軍が来ているなら、それはそのまま西方に送りなさい」

「姫君、帝国が攻撃を受けているのですぞ!」


 ジャガナーは声を張り上げた。


「まず国内の敵を排除するのが最優先でございます!」

「そんなの北方軍本隊でやればいいでしょう。西方軍が全滅したなら、東方軍からの増援は西方に送らねばバン――なんちゃら国を攻撃する軍がいないでしょうが。お馬鹿ですの?」


 ――馬鹿はお前だ!


「とにかく、西の国の制圧が最優先なのよ、わたくしがそう決めたのですから、そう! 大鬼だか何だかは北方軍が討伐するとして、東方軍と南方軍の本隊は残っているのでしょう? それを西方に送ったら? そんな簡単なこともわからないの?」

「東方軍は!」


 ジャガナーは怒鳴った。


「現在、東より侵攻を開始したハルマーの大軍への対処に動けず、南方軍もそれの援護に当たっています! それを放棄して西に送れば、帝国は東の蛮族にやられます! そんなこともわからんのですか!」

「……っ! わ、わかるわけないわよ! ハルマー? そんなの初めて聞いたわ」


 レムシーが涙目で怒鳴り返した。


「で、でも帝国軍は最強なのでしょう? ハルマーだか何だか知らないけれど、そんなの敵ではないのでしょ! だったら西に軍を送ったって――」

「守る兵隊なくして、何が最強か!」


 ジャガナー大将軍は、つかつかと皇女に歩み寄る。


「な、何をするつもり!? それ以上近づくと――」

「帝国の現状を、あなたにもわかるように説明して差し上げる。私がこのまま進めば、あなたは殴られるかもしれない」

「な、なぐっ――!?」

「衛兵を呼べば、もしかしたら止められるかもしれません。ですが、あなたはその衛兵に西へ行けと命じました。なので、この場に衛兵は来ません。結果、姫様は殴られるわけです」


 そこでジャガナーは止まると、片膝をついた。


「これが帝国とハルマーにおける状況です。聡明な姫様ならば、お分かりいただけましたでしょうか?」

「……で、でも天使の羽根――」


 レムシーが言いかけた時、ジャガナーは立ち上がり、短剣を抜いた。


「ひっ!?」

「失礼。姫様の後ろに、トカゲが見えましたので」

「ええええっ!?」


 慌てて玉座を離れて、そのまま段差から落ちるレムシー。ジャガナーは声を張り上げた。


「衛兵! 姫様を医務室にお連れしろ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る