第124話、そこに待っていたのは……


 敵地にいる、というのは存外落ち着かないもので、それが初めての任地ともなればなおのことだ。

 こういうところは、自分は工作員には向いていないと、クロン・ター・ホイルは思う。


 ヴァンデ王国は、今、他国の工作員に要警戒をしているという。以前に乗り込んだグループはほぼ壊滅し、クロンのようにぼちぼち工作員が補充されているが、それらも結構な割合で捕まっているという。


 ガンティエ帝国工作員流の目印は使うな、と警告されていたが、他にも何か見分けがつくものがあるのだろうか?


 王都の通りを見渡せる広場をぼんやり眺める。時々、見回りと思われる兵士が歩い

ているのが見える。ああ見えて、実は自分のような工作員を探しているのではないか、と内心ではドキリとしてしまう。

 あまりジロジロ見ていると、目線が合った時に不審な動きを反射的にとってしまうかもしれないので、あまり見ないようにする。


 さて、困った。

 工作員同士の目印が使えないとなると、この人混みの中、どうやって先任者たちと合流するか。


 ガンティエの人間とヴァンデ王国の人間で、肌の色が違うとか、身体的特徴で決定的な違いはほとんどない。話せば言語の癖とかイントネーションが方言感覚で出ることもあるが、それは話さなければわからないことだ。

 見た目でわかることではない。


 クロンは移動する。目印をしていないので、向こうから接触してくれることもないだろう。仮に見分けがつくなら、ヴァンデ王国の警備にも見分けがつく何かをしているということなので、素直に喜べない。だが同胞には見つけてほしい。


 ふっと肉の焼ける匂いが鼻腔をくすぐった。見れば鶏肉を焼いている屋台だった。王国の焼き鳥は、塩の味付けが主流なのを思い出したが、同時に漂っている香ばしい匂いに違和感を覚える。


 これはガンティエ帝国の焼き鳥につける特製のタレの香りだ。塩味付けの屋台から、そんな匂いはしない。ひょっとして――


「オヤジ、タレはあるかい?」


 クロンが声をかけると、屋台店主の男が目を細めた。


「うちにタレはないよ」

「そうかい? 故郷の匂いがするんだけどなぁ。……3本」

「へぇ、何本?」

「3本だ」


 クロンが繰り返すと、店主は台の下に引っ込んで、すぐに顔を覗かせた。


「真っ直ぐ進んで三つ目の通りを右に曲がって、さらに三つ進んで右にあるタクマンって店がある。タレはそこにあるよ」

「……どうも」


 クロンは串焼きを3本、店主から受け取った。片手では持ちきれなかったから、それぞれの手に持つが、これではただの食いしん坊だ、とクロンは思った。

 町行く人の好奇の目にさらされつつ、クロンは一本ずつ串焼きを頬張りながら、教えてもらった通りに進んだ。腹が減っては仕事はできぬ、だ。


 人が生きていく上で、食べることは切っても切り離せない。……工作員だって食事はとるわけで、そういう食を提供している場所にいけば、仲間と接触できる可能性が高い。


 案の定、ガンティエ帝国で嗅ぐ匂いをまとわせた屋台の店主と、符丁でのやりとりをしたら、アジトか、その連絡所を教えてもらえた。

 串焼きを二本片付け、一本を残して、例のタクマンの店へとやってきた。


 ――ボロっ。


 狭い通りに入ったと思ったら、スラムとはまでは言わないが、あまり衛生的でない場所だった。そんな場所にある建物は薄暗く、古めかしかったが、紹介された店は、廃墟一歩手前の感じを漂わせていた。

 普通の感覚なら、ここで料理を出されたとしても遠慮したい。虫が湧いてそうで、何だかよそで買った串焼きすら空気で汚染されそうにさえ感じた。


 しかし覚悟を決めて、中へ入らねばならない。周囲に人の気配がないのを確認。近くの建物、二階や高層から監視している者も――なし。

 ノックを3回。3回。そしてまた3回。これもまた符丁。……反応なし。


「……おかしいな」


 手順の通りなら、中から扉が開いてお仲間が招き入れてくれるはずだが。何か手順を間違えたか?


 近くにいなくて聞こえていないというパターンか? クロンは心持ちノックを強めにしたが、その瞬間、扉が開いた。

 否、バタンと扉が倒れた。一瞬呆気にとられ、しかし思いのほか大きな倒れる音に、周囲の注意を引いたのではないかと見回す。


 建て付けがおかしいのでは……。扉が倒れるパターンはないだろう――別の緊張に体を強張らせるクロンだが、そこで気づいた。

 室内が、血だらけなことに。


「……おいおいおい」


 部屋の装飾としては悪趣味の極みだが、さすがにこれほど奇抜な内装にして周囲の注目を集めるような奴は、ガンティエ帝国工作員にはいない。

 そもそもこれは、本物の血だ。濃厚な鉄の臭いに眉をひそめる。


 すぐにここから離れるべきだ。クロンの直感がそう告げる一方、何があったか知る必要があるのでは、と思った。

 屋台店主や、後からくる工作員たちに、ここで起きたことを伝えないと危ない。クロンは用心しながら、中に踏み込んだ。


 靴音を極力立てないように奥へ。他に音がしないのは無人だからか。

 王都の治安部隊が工作員を摘発した――は、状況から考えにくい。それなら建物自体を封鎖しているし、入り口に見張りを立たせていたはずだ。


 では、ここがかなり前にやられたとしたら? いや、それもない。屋台店主が知らないはずがないし、そもそもこの血痕は新しいものだ。

 ガタン、と音がした。……誰か、あるいは何かがいる。護身用の短剣を抜く。近接格闘は得意分野だ。

 しかし何だろうか? 寒くはないのに、寒気がしてきた。部屋中の血のデコレーションのせいか。あれだけ血痕が壁や天井にまでついているのに、死体や肉片などはまったくない。


「……おやおや、まだお仲間が残っていたか」


 漆黒のローブを纏う老魔術師がいた。その意匠には、クロンは見覚えがあった。


「貴様っ、邪教教団モルファー!」

「如何にも。そういう貴方は、ガンティエ帝国の手の者だな」


 老魔術師はニヤリと笑った。


「自ら贄になりにきたか」

「貴様ら邪教教団が何故ここに……!?」

「その質問はごもっとも。まあ、深い理由はない。ちょっとした時間稼ぎに使う駒を集めていたのだ」


 暗黒魔術師――ハディーゴの目が光る。


「お主たち隣国のクズ虫には、王国の気を引く駒となってもらおうぞ!」


 次の瞬間、暗黒魔術師が、切り裂くような悲鳴を上げて飛びかかってきた。まるで死神が飛び込んでくるように、素早く、そして見る者を萎縮させる圧倒的恐怖と共に。

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