第122話、工作員クロン


『この者、他国のスパイ』

『王国に仇なす売国奴』


 王都へと向かう道中、それはあった。街道近くに立てられた柱には、磔にされた者の死体や、縄で吊られた死体など、おぞましく処刑された者たちが晒されていた。屍肉を漁る鳥に啄まれたそれらを見やり、クロン・ター・ホイルは眉をひそめた。


「何とも見るに堪えないな」

「それだけ、ヴァルム王がお怒りということなのでしょうな」


 同行者である旅人風の男は言った。


「我々も素性がバレれば、この列に加えられますよ」


 ガンティエ帝国の工作員であるクロン。そしてこの案内役の男もまた、工作員の一人である。


「不吉なことを言わないでほしいな。……ただでさえ緊張しているんだから」


 クロンがわざとらしく身を震わせたが、男は笑わなかった。


「気持ちはわかります」

「……冗談のつもりだったんだがね」

「私も、笑い方を忘れるほどストレスなんですよ、ここの日々はね」


 男は笑うのを拒むくらい表情が硬く、また目つきが鋭かった。明日は我が身――それを覚悟し、毎日を過ごしている人間は精神的にも追い込まれているのが想像できた。

 帝国から新たにヴァンデ王国に送り込まれたクロンである。王国の取り締まりにより、工作員たちは次々に逮捕、処刑された。情報を収集するために、補充が送り込まれているのだが、クロンもまたその一人である。


「工作員たちが捕まる率が高いと聞いているが?」

「ええ、私が案内した方も、三人に一人は逮捕されてしまっているらしいです。王都に入ったら気をつけてくださいよ。巻き添えはごめんですからね」

「前の工作員たちは、そんなに無用心だったのか?」

「さあ、私が知るわけはないです。……むしろそれがわかるなら、私もたぶん捕まっていたでしょうね」


 必要以上に介入せず、接触せず。そのおかげで、この案内役の男は逃れてきたのだろう。フードを被り、顔がはっきりしないため、捕まった工作員も案内役の素性を自白させられても正確に答えようがないのだろう。


「君が名前を言わないのも、自衛なんだな」


 クロンは、この案内する男の名前を知らない。これも諜報の世界における護身術の一つだ。


「となると、王都の状況を君に聞いてもわからないか」

「当たり障りのない話くらいなら」


 男は言った。


「一応、補充に派遣されたグループは残っているようですが、それ以外の、つまり以前より王都内にいた帝国工作員のグループは、ほぼ壊滅状態です。協力関係にあった組織は軒並みやられました」


 共有参加守護団が潰されたことで、帝国工作員の活動のための拠点を失い、活動費用などは自力で調達する必要となった。増援として送り込まれるクロンとしても、下地がない地に派遣など、できれば断りたかった。……それが許される組織でも立場もないが。


「じゃあ、どこに行けばいいんだ?」

「それを私に聞くんですか?」

「他に誰に聞けばいいんだ?」

「そういうの、本国からどこどこに行けって命令されているんじゃないですか?」


 男が返せば、クロンは肩をすくめる。


「本国だって、そこまで把握はしていないんじゃないか? まだ共有参加守護団の残党が活動していると思っているようだし」

「いるんじゃないですか? 私は知りません。というより、関わらないようにしている私が知っていたら、それはヤバいと思いますよ。多分嘘情報を流されている」


 男は続けた。


「少なくとも、私の言っていることも含めて、疑ったほうがいい。正直、この世界じゃ――」

「嘘も戦術。味方でさえ騙されている可能性があるから、真に受けるな、だろ」


 クロンは頷いた。


「わかってる。不安なのさ。あまりに危険な任務地に派遣されたんだからね」


 今、ヴァンデ王国はスパイ活動に、これ以上ないほど敏感で攻撃性を増している。猛獣を檻の外から見れる、ではなく、すでに猛獣が目と鼻の先で牙をちらつかせている状態なのだ。


「さあ、もうすぐ任地である王都ですよ」


 案内役の男は立ち止まった。


「まあ、頑張ってください。捕まらないことを祈ってます」

「心にもないことを……。お前は来ないのかい?」

「王都に入るのにも道案内が必要ですか? そこから真っ直ぐ歩けば王都に着きます。子供でも行けるのに、まさかあなたは行けないと言わないでくださいよ」

「……なるほど、そうやってお前は生き残っているわけだ」


 クロンは苦笑した


「何か助言はあるか?」

「……帝国工作員が使う合図や目印は使わないこと」


 男は言った。


「王国側にバレてます。目印つけて行ったら、王都に入った直後にお縄ですよ」

「そういう大事なことは早く言わないか!」


 クロンは慌てて、腕にはめていた糸を編んだ輪を外した。案内役の男が首を傾げる。


「それが新しい目印だったんですか?」

「そういうことだ。……しかし、なるほどね。それで補充された工作員が捕まる事例が多かったのか」

「周囲と区別がつかないのが、一番怪しまれないですからね」

「確かにな。――ここまで」


 クロンが礼を言おうとしたら、すでに案内役の男は踵を返していた。何ともそっけないものだった。別に友人ではないし、相手のことを知りたいわけではないが、随分とあっさりしたものだった。そういう仕事ではあるとわかっていても。


 クロンは、ヴァンデ王国王都を目指した。外壁に囲まれた大都市、その門には新規に入るたちの審査待ちの列ができていた。ここで隣国のスパイだと見破られたら、その時点で逮捕される。情報を引き出されて、街道に晒されていた無惨な死体の仲間入りだ。


 冷静に、さりげなく。不自然なことがないように、また必要以上に緊張することなく。どれくらい待ったか、やがて順番が回ってきて、門番と対面した。


「出身」

「……アルタナ」


 王都から二里ほど離れた小さな村の名前で答える。門番の目が動いた。


「荷物を確認する」


 門番が控えていた同僚を手招きした。――何か不審だったか?


「……それで王都にきた用件は?」


 クロンは背負ってきたバックパックを置くと、中身を見せながら答えた。


「親戚が王都にいてね。会いにきたんだ」

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