第100話、ラウダ・デラニ・ガンティエ
ガンティエ帝国は、ヴァンデ王国の東に位置する大国である。
帝都ドーハス。その中心にあるアーガルド城に、皇帝であるラウダ・デラニ・ガンティエはいた。
五十代半ば、長身で髭を伸ばしているこの男は、周辺国の征服を目論見、工作員を放って、切り崩し策を行っていた。それは各国に浸透し、弱体化へと導きつつある。
「南のハルカナ王国は、内部崩壊を起こした」
ガンティエ皇帝はご満悦だ。
「連中が潰し合えば、こちらは少ない戦力でハルカナを征服できるであろう」
「おめでとうございます、皇帝陛下」
ジャガナー大将軍が頭を下げた。帝国軍を取りまとめる彼は、皇帝の古くからの忠臣である。
「まあまて、ジャガナー。我々は、まだ何もしていない」
ガンティエはニヤリとした。
「我が軍が動いていないのに、おめでとうは些か早過ぎるのではないか」
「ははっ、少々先走りでありましたな」
ジャガナーが苦笑する。そこへ部屋へとやってくる者がいた。
「お父様ー!」
「おお、レムシー」
ガンティエ皇帝の娘、レムシー・ガンティエ皇女がやってきた。二十代半ば、長く豪奢な金髪をなびかせ、ど派手なドレスをまとった彼女は、周囲の目も気にせず皇帝に近づくと抱きついた。
「お父様、占い師が予言したの!」
レムシーは、その見た目に反して、とても子供っぽい言い方をする。実際、見慣れている者でなければ、体は大人なのに甘えん坊な子供と表現しただろう。
「西の国に、天使の羽根があるのですって! わたくし、天使の羽根が欲しいのだわ!」
「西の国? あぁ、ヴァンデ王国か」
一瞬、その名を口にした時、皇帝の表情は歪んだ。あくまで一瞬だが。
「お父様? ねえ、わたくしの話を聞いていますの?」
「もちろんだとも、レムシー」
「だったら、天使の羽根を手に入れにいきましょう! 今すぐ!」
「おや、無理を言うのではないよ、レムシー」
ガンティエ皇帝は宥めるように言った。
「あそこは、ヴァンデ王国という邪魔者の国がある。今すぐは無理だよ」
「どうして、お父様?」
レムシーは、むくれた。
「お父様はこの大陸を制覇する絶対唯一の、わたくし自慢のお父様なのだわ! ヴァンデ王国なんて、踏み潰してしまえばいいのよ」
「もちろんだとも。そのための準備は進めている。あの王国が我が帝国となるのは、時間の問題だ」
「すぐに軍を送り込んで」
きっぱりとレムシーは言った。
「わたくしの天使の羽根が、何者かに奪われてしまっていいの? 皇帝の娘のものは帝国のもの。その帝国のものを、ヴァンデ王国とかいう蛮族に持っていかれるのは犯罪なのだわ。死刑よ死刑!」
「そうだな、愛しいレムシー」
皇帝は娘を一度強く抱きしめた。
「どれ、西の国を手に入れよう。将軍たちと話し合うから、もう行きなさい」
「うん、お父様大好き! 天使の羽根、絶対手に入れてね!」
レムシーは上機嫌で退出した。ジャガナー大将軍以下、将軍や重臣らは、この親子の会話には一切口出しすることなく、頭を伏せていた。
娘が去り、ガンティエは一息ついた。
「さて、レムシーにせっつかれてしまったな」
「恐れながら、陛下」
ジャガナー大将軍が顔を上げた。
「皇女殿下のおっしゃった天使の羽根とは何でしょうか?」
「さあな。地上に降りた天使が落とした羽根ではないのか? なあ、ポルマン?」
魔術大臣に話を振れば、高位魔術師の出で立ちの四十代ほどの男が頷いた。
「確かに、そのような素材はございますな。もっとも、巷で見られるそれは、どこぞの鳥の羽根――つまり偽物のようですが」
「紛らわしい偽物を扱う者は、即時逮捕、処刑せよ」
皇帝は命令を発した。法務担当の大臣が頭を下げた。
「仰せのままに」
ポルマン魔術大臣は口を開いた。
「ただし、本物の天使の羽根も存在します。が、そもそも天使が地上に降臨することは、滅多にございませんから、あれば国宝級の品になるかと」
「なるほど。レムシーは、本物の天使の羽根を所望か」
「さすが皇女殿下でありますな。お目が高い」
大臣らが微笑を浮かべる。皇帝も実の娘が好意的に褒められ、気分がよくなった。
「しかし、その天使の羽根が、ヴァンデ王国にある、と。……グラムリン、どうなのか?」
指名された諜報部大臣であるグラムリンは、わずかに口元を引き締めた。
「恐れながら、王国での工作は、思うように進んでおりません」
しん、と辺りが静まり返った。
「王都を中心とする工作部隊は壊滅状態。取り込んだ貴族もまた、病気より復帰したヴァンデ王に粛正されました。あの国は、こちらの工作で破壊した部分を修繕し、元の状態へ戻りつつあります」
「どうしてそうなった?」
ガンティエ皇帝は、グラムリンを睨んだ。
「他の国では、工作は上手くいっているのだろう。何故、ヴァンデ王国では上手くいっていないのだ?」
「恐れながら、五十年前に消息不明となっていたアレス・ヴァンデ王子――今は大公ですが、彼が帰還したことに端を発し、工作部隊が次々に摘発されました」
「英雄王子……」
ジャガナー大将軍が、思わず口走れば、皇帝は不機嫌な顔になった。
「こちらが長年仕込んだ工作が無になるというのは、不愉快極まる。グラムリン、追加の動員はかけておるのだろうな?」
「もちろんです、陛下」
諜報部大臣は答えたが、ガンティエの表情はよくはならなかった。
「レムシーの言う通り、武力でさっさと攻め滅ぼすべきか? なあ、ジャガナー大将軍」
「西方軍は動かせますが、一国を相手にするにはやや不足」
大将軍は正直だった。
「北方軍、東方軍は動かせません。他国の動きが読めませぬ故。しかし南方軍ならば、いくばくか西方軍に回すことも可能かと」
「……くそっ。南方軍は、ハルカナ潰しに使おうと思っていたのに!」
攻め時がきたと喜んだのもつかの間、西方軍の援軍に南方軍を回せば、攻撃の機会を逃してしまうかもしれない。
その時だった。突然、アーガルド城に衝撃と爆発したような轟音が響き渡った。
「!?」
皇帝も、臣下たちも一様に驚く。
「何だ、今のは?」
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