第93話、誘惑の夜
忙しい夜だった。
暗殺者ギルドのギルマスであるハリダを、王国に引き渡すために王城へ向かった。とりあえず、俺たちへの刺客はほぼ片づけたので、それぞれ帰宅ということで。
「明日――日が変わったんで、今日だな。休養日とするので、ま、自由に過ごしてくれ」
ジンとラエルは解体もあるだろうが、今のところはゆっくりしていい。リルカルム、シヤン、ベルデは、俺の屋敷のほうへ戻ることに。
「大丈夫だとは思うが、一応気をつけてな。ギルドは片付けたが、その場にいなくてまだ暗殺依頼が有効と思っている奴がいるかもしれない」
「いたら返り討ちにするだけよ」
リルカルムが言えば、シヤンも。
「そんな奴に気づかないアタシらじゃないぞ」
「殺し屋の始末は殺し屋に任せなよ」
ベルデも手をヒラヒラさせた。王城の前で、俺はハリダを連れて――と、その前に。
「これが終わったら、俺は大聖堂のほうへ行く。とりあえず屋敷には帰らないつもりだからよろしくな」
試練の間にいるソルラのことが心配なので、そちらに行くことにする。
「了解。一日のんびりさせてもらうさ」
ベルデが答え、彼女たちと別れた。俺がハリダを進ませると、王城の門番が駆けてきた。
「大公閣下!」
「勤務ご苦労」
「はっ! ……このような時間にどうされましたか?」
「暗殺者ギルドのギルドマスターを連れてきた。俺を暗殺しようとしたのでね。王城の地下牢にぶち込んでおいてくれ」
「わかりました! お任せください!」
門番は、口笛を吹いて同僚たちを呼ぶと、ハリダの拘束の縄の端を俺から預かった。
走ってきた兵たちが、ハリダを王城内へと連れて行くのを見送り、門番は言った。
「閣下は、今夜は如何なさいますか?」
「ん? これから大聖堂に行く。ありがとう」
「護衛をお付けしましょうか? お一人では――」
「大丈夫、心配いらないよ」
「お気をつけて!」
ん――俺は王城に背を向けると、王都の街並みへと足を向けた。
・ ・ ・
夜の王都は明かりもほとんどなく、出歩いている人間もほとんどいない。
人間は太陽が出たら起き出して、太陽が沈む頃には家につく。真夜中となると、大体、家で寝ているものだ。
ぼんやりとした月明かりが王都を照らしている。昼間は中々の人手で賑わう町も、しんと静まり返っている。どこかで犬の遠吠えが聞こえたが、それを除けば、実に静かだった。
静か……だった?
どうにも靴や金属がこすれる音が周りから聞こえてきた。一人や二人ではない。複数人が遠巻きに俺と同じ方向に移動している。……囲まれているな。
暗殺者、いや、邪教教団モルファーの刺客かな。まったく、懲りないねぇ。
「さて、用があるなら、さっさと済まそうじゃないか」
出てこいよ。俺に用があるんだろう?
すっと建物の陰や隙間から、局部を黒革で隠した男たちが現れた。首輪付きで、鎖をぶらつかせて、ダガーや斧を持っている。
「うわ、キッツ……」
何という格好をしているんだ、こいつらは。何とも言えない気分になったところで、ふと、最近嗅いだことがある香水が鼻をかすめた。
「あらあら、一人で夜歩きなんて、無用心でなくて? 大公サマ」
「おかしいな。お前は死んだと思っていたが」
暗殺者ギルドのマスターであるハリダの愛人、エリルがこちらも黒革の怪しい格好で現れた。こいつも殺し屋だったっけか。
「そうね、危うく殺されそうになったけれど――」
痴女、もとい暗殺者エリルの唇が艶やかに歪んだ。
「あいにくと、そう簡単に死ねないのよねぇ、ワタシは」
「まあ、いいさ。生きているんならちょうどいい。お前には色々聞きたいことがあったからな」
「あら、スリーサイズかしら? それとも夜のお付き合いの話かしら?」
怪しく腰に手を回すエリル。誘っているのかねぇ、少々お下品ではないかね?
「お前は帝国の工作員か?」
「……なんだ、つまらない質問。がっかりだわ」
エリルは大げさに拗ねた。
「まあいいわ。ワタシの魔眼を見た者は魅了される――あなたもおしまいよ、大公サマ」
魔眼、だと……! つまりこいつは、悪魔――
「サキュバスか」
「ご名答! でも、もう遅いわよ」
エリルが目を大きく見開き、勝ちを確信した笑みを浮かべた。
「ワタシの目を見てしまったあなたは、もうワタシの虜。そこらの男のようにワタシに跪いて、奴隷となるのよ」
……周りにいる怪しい男たちは、エリルに魅了された奴隷たちか。なるほど、イケメン漁って、ご満悦ってやつですか。
「さあ、アレス……いらっしゃぁい」
甘く誘うエリル。
「ワタシの前に跪いて、靴を舐めさせてあげるわ」
俺は、エリルに近づく。ニヤニヤと実にイヤらしい顔をする女だった。エリルは、首輪を持った。
「この従属の首輪で、あなたを心身とも奴隷にしてあげる。五十年前の大悪魔たちの復讐……というわけではないけれど、あなたを奴隷にしたらワタシの株も上がるってものよ」
なるほど、こいつは悪魔視点で、俺の暗殺を図ったわけか。帝国が報酬を、という話は、ハリダを動かすための嘘だったのかな。何でもかんでも帝国のせいにするべきではなかったかもしれない。
「んー、ゾクゾクしてきたわぁ。この男を奴隷にしたら、何をさせようかしら。裸にひん剥いて、晒し物にしてやろうかしら。人気の大公サマが、被虐思考のド変態と知ったら、さぞ王国の民もがっかりするでしょうね」
エリルは自身の体を抱きしめるように腕を動かすと、恍惚とした表情になった。
「侮蔑に満ちた視線を浴びて、興奮する変態大公サマ。……イイっ、実に、イイ! さあ、アレス。ワタシの靴を犬のようにしゃぶりなさい。そうしたら首輪をつけて飼ってあげるから――っ!」
「残念だが」
俺の手はエリルの細い首を掴んだ。
「妄想を垂れ流すのは、淑女として如何なものかと思う」
「う、そっ……馬鹿な――魔眼が、効か、ない……?」
「ちょっとは効いたかもしれないが、残念ながら俺の中にある呪いの効果のほうが強いようだ」
魅了のレベルが、俺の状態異常の呪いと比べたら、カスみたいもののようだ。五十年前の大悪魔たちの呪いを舐めるなよ、と。格が違うんだよ、低級悪魔。
「散々言ってくれたわけだが、人にそういうことを言ったら、自分がそうされたとしても文句は言えないよな? 変態暗殺者さん?」
あと、その首輪も没収な。……いや、やっぱり返すわ。エリルの首に、首輪をプレゼントだ。
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