第72話、狂犬の謎理論
「アレス・ヴァンデ! アタシはお前に負けた! 子分にしてくれ!」
シヤンが唐突にそんなことを言った。
冒険者ギルドの一階フロア。Bランク冒険者証に更新し終わって、さあ帰ろうと思ってリルカルムと歩いていたら、シヤンに待ち伏せされた。
「子分?」
「そうだぞ!」
シヤンは快活だった。
「お師匠様からの遺言なんだぞ。お前はバカだから、お前より強いヤツに出会ったら、そいつに面倒を見てもらえってな!」
何か無茶苦茶じゃない? そのお師匠様とやらに、追い出された感があるのは、俺だけか? それをツラツラと臆面もなく言い放つシヤンの度胸には驚かされる。……本当に、頭が足りていないのか?
「アナタって馬鹿ぁ?」
リルカルムが真っ正面から言い放った。シヤンは頭をかいた。
「ウン、よく言われる。一般的な人間よりはバカだ」
まったく動じてない強メンタル。
「お前、魔術師だろう? 魔術師はアタシより頭がいいはずだから、相対的にお前よりバカなのは間違いない」
微妙に煽ってない? 心なしかシヤンがニヤニヤしているように見えたのは気のせいか。
「で、ええーと、女魔術師。お前、アレスと一緒にいるが、お前は何者だ?」
「えー、ワタシ、今日アレスと一緒に昇級試験を受けたんだけど? 名前聞いてなかったの?」
「ウン、アタシの対戦相手じゃないから、まったく知らん」
きっぱりとシヤンは言った。
「で、何者だ?」
「リルカルム。アレスとは特別に親しい仲よ」
……別に親密な関係ではないが。さりげなく腕を絡めてくっついてくるリルカルムである。
「フウン、お前も子分か?」
「子分? いいえ、もっと上よ」
「お前さあ、すっげぇ血の臭いがするんだよな」
すっと、先ほどまでの陽気さが消えて、感情が削ぎ落ちたような顔をするシヤン。
「アレスはさあ、その女魔術師が危険だと知って、ベタベタしてるのを許してんの? もしそうじゃなかったらさ――」
シヤンが身構える。
「アタシはそいつを刈らないといけない。そいつ、悪いヤツの臭いがするからさ」
ほう、わかる人にはわかるんだな。リルカルムが危ない奴だって。
「心配ない。リルカルムがかつてやった悪さのことは知っている。俺が許可しない限りは、同じことは起こさないよ」
「そうか、アレスは知っているのか。ならよし!」
シヤンは構えを解いた。
「そんな悪いヤツさえ従えているんだな! さすがはアレスだ」
ニコニコとシヤンは笑った。表情がコロコロ変わる娘である。
「従えてるぅ……?」
リルカルムが不満そうな顔になれば、シヤンはあっけらかんと「違うのか?」と言い放つ。
「違うわよ! まあ、パートナーってところ?」
「え、ダンジョン攻略の仲間だろう?」
親密な関係でもないのにそう振る舞う理由は俺にはないので、はっきり言っておく。周囲にも、そういう関係だと勘違いされても困るからな。
「ダンジョン攻略の仲間かー。なるほどな!」
「ちょっとぉ、なんでアレスの言うことは信じて、ワタシのほうはスルーするのよ!」
「アレスが言うなら、そうなのだ」
シヤンは自身たっぷりに言った。
「アタシ、いいヤツと悪いヤツが本能的にわかるんだよな! どっちを信じるかなんて聞くまでもないぞ」
ほほぅ。それは相手の本性を嗅ぎ分ける嗅覚みたいなものか。獣人って、そういうパッと見てわからないことでも、結構見分けるっていうな。
「それじゃあ、アレス。それとリルカルム。これからよろしく!」
「いや待て。お前の面倒を見るなんて言っていないぞ」
なにあっさり懐に入ろうとしているわけ?
「子分だぞ。親であるアレスの役に立つために何でもするから、その分アタシを養う必要があるのだ」
おいおい、どうしてそうなる――
「アレスのためなら『何でも』するの?」
リルカルムが口を挟んだ。シヤンはコクリと頷く。
「何でもだぞ!」
「本当に? たとえば口では言えない、あんなことやこんなことも――」
「ウン! アレスが言うことならな!」
まったく動じず、きっぱりと言い放つ。どうしてこう、模擬戦をやっただけで、そんな自分を差し出すようなことを迷いなく言えるのか。それを思ったのは俺だけではなく、リルカルムも同じだったようで。
「どうしてそう盲目的に信じられるわけ?」
「アレスはいいヤツだからだぞ!」
シヤンはニッコリ笑った。
「アタシが嫌がること、やりたくないことは言わないってわかるからな!」
・ ・ ・
「それで――アレス・ヴァンデの暗殺は失敗した、と」
魔術師の姿をしたその男の言葉に、暗殺者のベルデは肩をすくめた。
「結果的には、な。もっとも、オレは何一つヘマはしていない。きちんとお膳立てをしたのに、始末できなかったのはシヤンが攻撃を当てられなかったからだ」
アレス・ヴァンデとシヤンの戦いは、目論見通り、シヤンが模擬戦を忘れて本気を出したところまでは順調だった。彼女の必殺にも等しい大技が当たっていれば、アレスとて無事では済まなかった。
だが、そのアレスは、シヤンの攻撃を無効化してしまった。さすがにそれは想定外だった。アレスとサシで勝負して倒せそうな者は、王都冒険者にはいないのではないだろうか。
「……」
冒険者を装う魔術師――共有参加守護団の男は眉をひそめた。潮時だな――ベルデは踵を返す。
「オレはここらで抜けさせてもらう。今回の試験が、オレにとって最初で最後のチャンスだった。もうオレには、アレス・ヴァンデを始末できない」
「逃げるのですか? ここへ来て――」
「そもそも、前の依頼は消えちまった。今回、お前さんがオレに声をかけたわけだが、前金や保証金もらってない、暗殺ギルドも通していない依頼だ。始末した後の報酬をキチンと払ってくれるのか疑わしいし、これ以上危ない橋を渡れねえ」
「……」
「どうしてもって言うなら、ギルドを通しな。じゃあな――」
「変化の呪い!」
「っ!?」
魔術師が背を向けたベルデに、魔法――否、呪いをぶつけた。
「このまま貴様を逃がすと思ったのか、殺し屋。貴様には、アレス・ヴァンデを殺してもらうのだ――」
「へぇ、誰を殺すって?」
降って湧いた声に、魔術師はビクリと身を縮ませた。振り向けば、そこにはアレスとその相棒の女魔術師、そして狂犬シヤンがいた。
「その話、俺にも聞かせてくれよ」
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