第70話、狂犬 対 大公


 三人目の対戦を前に、ギルマス代理のボングが申し訳なさそうな顔でやってきた。


「アレス様。次の相手ですが、Aランク冒険者です」

「Bランク昇級試験に、Aランク冒険者が出るのは普通か?」

「あまりないですが、完全にないということもありません」


 言い訳がましいボングである。


「申し訳ありません。本当は別の相手だったのですが、彼女が、どうしてもアレス様と模擬戦をしたいと強引にねじ込んできまして」

「……彼女、ね」


 若い娘のようだった。焼けた肌に、灰色の髪。引き締まった体ながら、出るところが出ている曲線美。非常に軽装な装備なのだが、なんというか、この娘も肌面積が広い。まるでリルカルムのよう……。痴女二号か?

 可愛い、というより格好いい系の精悍、しかし獣のように獰猛そうな顔つき。何より耳の位置が人のそれと違う。


「獣人か?」

「ハーフですね。名前はシヤン。ついた仇名は『狂犬シヤン』。血と戦いが好きすぎる凶暴な女です」

「あまり模擬戦向けの相手とは思えないな」

「まさに。手のかかる暴れん坊です。前のギルマスも手が出せなかったほどです」


 あの不正ギルドマスターも、関わるのを避けたくらいの逸材……ということかな?


「とても強いですが、強者を見ると挑まずにはいられない性質です」


 ボングは肩をすくめる。


「五十年前の英雄アレスとの一騎討ちを、彼女は望んでいます」

「迷惑な話だな。……断れなかったのか?」

「ギルド建物を半壊させられても困りますから。それに多分それだけやっても、結局はアレス様のもとへ現れたと思います」

「対戦不可避、か」

「それなら、一発は安全な模擬戦でやらせたほうがまだ無難かと」

「賢明な判断だな」

「恐れ入ります」

「皮肉だよ」


 俺は演習場に出た。すでに相手――獣人と人間のハーフであるシヤンは待っていた。純粋に目をキラキラさせて、対戦を待ちわびている。両手には手甲。明らかに格闘タイプ。髪の色、耳の形から犬……狼系の獣人の血と見た。非常に素早く、それでいて筋力もあり、何よりタフである。


「アレス・ヴァンデ」


 シヤンは、いきなり呼び捨てにしてきた。まだ許してないが。


「アタシ、強い奴と殴り合うの好き! お前には期待している」

「それはどうも」

「だが――」


 スン、とシヤンは鼻をひくつかせた。


「わずかに血の臭いがするゾ。お前、どこか怪我したか?」


 怪我? 俺は自身の体を見える範囲ざっと見渡してみる。切り傷もないし、出血もないな。


「いや、大丈夫だ」

「ならよし!」


 ガン、とシヤンは両手を突き合わせた。


「本気でバトルしよう! アレス!」



  ・  ・  ・



 アレス・ヴァンデとシヤンの戦いは始まった。

 先に対戦を済ませたベルデは、演習場の端から模擬戦を見守る。


 策は成功した。戦いのドサクサに紛れて、アレスの魔道具効果を消しておいた。本気のシヤンの攻撃が直撃すれば、アレス・ヴァンデの命はないだろう。


 アレスの攻撃を誘い、跳びかかれる位置で煙幕を展開。そして体当たりで接触している間に、右手のショートソードで、アレスの鎧ではない部分に攻撃を入れる。これで一回無効の魔道具効果は消滅。


 そして煙幕を出たところで、自分から先に審判に魔道具を見せてその注意を引いて負ける。アレスの魔道具をよく確認すれば相撃ちだと気づかれる可能性もあったが、魔道具の発光部分に血をつけて、パッと見赤く見えるように細工した。


 ベルデは自身の左手、その人差し指の小さな傷と血の跡を見る。あの防御魔道具は、効果がある時は発光部分が赤く光っているが、効果が切れれば黒くなる。

 よくよく観察すれば血の付着で誤魔化しているのもバレるのだが、幸い、ベルデの敗北アピールが強かったから、誰もアレスの魔道具切れに注意がいかなかったようである。


 ――ただ、付着した血も時間経過で黒ずむんだがな。


 シヤンがそれで気づいて攻撃をやめる奴ではないとは思う。そもそも魔道具など見ていないだろう。


 だが、早々にケリをつけてくれたほうが横やりを入れられることもない。目のいい者に気づかれて、模擬戦を止められては意味がない。


 ――その時は……また別の手を考えるだけだが。


 腕を組み、ベルデは模擬戦を見つめる。模擬……戦?


 獣の瞬発力。シヤンの攻撃は素早い。だがアレスは両手剣を巧みに動かして、その乱撃を弾く。


 ――あれを捌ききるとは、恐るべき達人だな、アレス・ヴァンデ。


 正面からの一対一で勝つのは難しい。せいぜい相撃ち止まりだとベルデは思う。


 ――そもそも、両手剣で獣人の素早い連続攻撃を防ぐとか、常軌を逸している……!


「アハハハ、凄いよぉアレス! お前、凄いっ!」


 シヤンが狂喜している。あのAランク冒険者が、人間相手に攻めあぐねるという光景自体が珍しい。いや、初なのではないか? 周りのギャラリーも驚き、戦いを見守っている。


 攻撃していたシヤンが、すっと後退した。突然の変化に周りが違和感を覚えた瞬間、シヤンは力強く踏み出し、蹴りを繰り出してきた。

 突然のスピードの変化。しかしアレス・ヴァンデは、スッと躱した。


 ――今のを避けるか……!


 さすがにベルデも舌を巻く。初見だったら、防御が精一杯の攻撃を、アレスは回避してみせた。

 しかし、シヤンもシヤンで、飛び蹴りを避けられても、着地と同時に素早く切り返して再び飛び掛かった。


 この動き、まさに狼のようだ。いや、人型なだけに小回りは上か。暗殺者として、本気でやれば、シヤンの動きにも何とか対応できると感じるベルデだが、それは彼女を観察し、その動きをある程度覚えなければ無理だろう。


 アレスは、まず間違いなくシヤンとは初だろうが、あそこまで鮮やかに対応する様は、とても初見には見えなかった。

 どこかで、シヤンの戦いを見たのだろう。そうに違いない。


 ベルデやギャラリーが見守る中、戦いは激しさを増す。王都冒険者ギルドでも、シヤンはトップレベルの実力者である。アレス・ヴァンデは強いらしいという評判ながら、実際の腕前を知らなかったギャラリーたちは、思いがけない奮戦――いや、互角以上に立ち回る大公の姿に、ただただ驚嘆していた。


 45階で会おう、と大口を叩いたその実力とは、と感じていた者たちも、彼が真に五十年前に活躍した英雄王子、それが本物であると思い知らされるのだった。

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