第66話、邪教教団……おかしいとは思わなかったのかね?


 魔の塔ダンジョン最深部にある邪教教団モルファーの神殿。

 教団の上級魔術師ハディーゴは、大変老いた人物であり、その背丈とあいまってゴブリンのようにも見える。

 もちろん、彼はゴブリンではなく、人間である。


「ハディーゴ様、例の者を連れて参りました」

「ああ、ご苦労。ご苦労……」


 暗黒魔術師たちに、引っ立てられるようにやってきたのは、一人の下級団員。ハディーゴは大仰に手を振った。


「その者を残し、他の者は去れ」

「失礼いたします」


 暗黒魔術師たちは一礼すると退出した。一人残された下級団員は、ガクガクと震え、跪いた。


「申し訳ございません、マスター! どうかお許しを……! まさか、こんなことに――」

「あぁ、いいから。座りなさい……」


 ハディーゴは極力温厚な態度を心掛けるが、年老いた体に、その容姿により、多分に威圧的で、何か儀式を始めんばかりの魔術師のようでもあった。すっかり萎縮している下級団員は、震えながら椅子に座った。


「お主、名を何と申す?」

「グ、グラスと申します……」

「ガラスのような名前だ」


 は?――グラスと名乗った下級団員は、一瞬固まった。司祭渾身のジョークだろうか。


「お主は……あのことを聞いたそうだな?」

「あ……は、はい。その、まさか、こんな大事になるとは――」


 再び震えが止まらないグラス。ハディーゴは首を傾ける。


「何故、お主がそのように怯えておるのかわからぬ。……誰かから責められたのか?」

「いえ、その……はい。そのようなことを口にするのは、邪神様への忠誠が足りないと……」

「邪神への忠誠? ファッファッファッ!」


 ハディーゴは笑った。モルファーの魔術師ともあろう者が、邪神に関することで大笑いするのを、グラスは血が凍る思いで見つめる。何がおかしかったのか、邪神様への不敬ではないか――色々とビクビクさせられてしまう。


「いやいや、グラスよ。お主は核心をついたのだぞ。……どれ、もう一度、その問いを私に言うてみよ。答えてしんぜよう」

「は、はい……よろしいのですか?」

「かまわん」

「で、では」


 緊張を漲らせて、グラスは縮こまって聞いた。


「何故、この教団は、『邪教教団』なのでしょうか? 本来なら邪神教団、が適切……かと思います」

「ファッファッファッー!」


 ハディーゴは再び大笑いした。グラスはますます顔を青く、否、赤くなった。上級魔術師にも笑われるような、教団としては当たり前のことを愚かしくも質問した自分が恥ずかしくなってくる。


「いやいや、グラスよ。お主は正しい! だが同時に、間違っている」

「は、はい……」

「何が間違っているかわかるか?」

「……! その……邪教教団という言葉に疑いを持ったことです」

「そうではない。そうではないのだ」


 ハディーゴは、ゆっくりと人差し指を向けた。


「お主は、邪神を崇拝し、復活する教団だと思ってモルファーに入ったのではないか?」

「そ、その通りです、マスター」


 恭しく頭を下げ、そして席から降りて膝をついて頭を下げるグラス。ハディーゴは嘆息した。


「そこからすべてが間違っておるのだ、グラス君。よいかね? 我々モルファーは、邪神を崇拝などしておらん」

「え……?」


 グラスは驚いて顔を上げた。ハディーゴは冷徹に告げる。


「我々は、この世界のすべての宗教を『邪教』と考えている。邪教とは、正しくない、人心を惑わす宗教のことだ」

「……!」

「ユニヴェルも、帝国が崇拝している神も、太陽神も、それにまつわる者は邪教徒であり、それを信じる者たちは等しく邪教に囚われておる」


 ハディーゴは視線を宙に向ける。


「我々に神などいない。そもそもこの世界に神など存在しないのだ。誰が言うたか無神教などと称されたこともある。そしてモルファーの創始者である、ジーンベック・モルファーは、神を信じる宗教すべてを邪教とし、その『邪教を破壊するための無神教団』を作った」


 グラスは愕然とした。邪神を信じ、モルファーに入ったのに、その団体のマスターであるハディーゴは、神はいないと言っている。あまつさえ、神と名のつく宗教を破壊すべき邪教と定義した。


「本来の略称は、邪教破壊教団という表記が正しいのだが、どうにも受けが悪くてな。本来我々が滅すべき存在が、勘違いしてやってくる。だから、お前ら邪教徒の敵だぞという意味で、破壊を省略したら、まあ今度は邪神崇拝教団と勘違いされた」


 破壊教団という案もあったが、何を破壊するのかわからないとか、単なる暴力集団と勘違いされた。


 邪教教団と、よくよく考えれば妙なのだが、邪神を崇拝するような者は、この世の一般的宗教を敵視し、破壊しようという傾向が強かったから、本来の意味で邪教破壊教団の思想に近いところがあった。

 ただし、モルファーの中核は、邪神を信じていない!


「かといって、信じていない邪神を崇拝している集団を名乗れば詐欺。存在の根幹に関わることだ。故に、我々真のモルファーは、邪教教団を名乗っておるのだ」


 神はすべからく邪神である、という教義を伝える団体、それがモルファーである。


「で、では、我々が邪神と呼んでいた存在は何なのですか!?」


 グラスは声を上げた。それを信じてやってきた彼にとって、真のモルファーの教えは、これまでの彼の信仰の否定であった。しかしハディーゴからすれば、グラスの言う邪神はモルファーのいう邪神とは異なる。


「さあ、少なくとも神という存在ではないな」


 ハディーゴは実に淡々と言った。


「悪魔の一種か、途方も力を持ったモンスターかもしれんな。だが、世にいうほどの神という存在とは思えない」

「……そんな」


 愕然とするグラス。ハディーゴは、じっと、そんな下級団員を見つめた。


「お主は、教団の真の姿、真の教義に触れた。……どうするね? このままここに残り、真のモルファーの教えに従い精進するか、あくまで邪神を信仰し、ここを離れるか?」



  ・  ・  ・



 グラスが立ち去ってしばし、書をしたためていたハディーゴのもとに、部下である暗黒魔術師がやってきた。


「マスター・ハディーゴ、ご報告です。例のアレス・ヴァンデが、塔25階を突破しました」

「ほう……。いよいよ、あの目障りな英雄が近づいてきたか」


 ハディーゴは、暗黒魔術師を睨むように見た。


「ヤツは、我らの行動を阻む者だ。手段は問わぬ。ダンジョンの肥やしにしてやりなさい」

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