第43話、幸せの会運営の孤児院では


「……というわけで、のちほど、クレン侯爵閣下が参られるので、そのように」

「はい。侯爵閣下には、いつも多大なるご寄付をいただき、感謝しかありません」


 幸せの会責任者のリングア・ネグロは、恭しく頭を下げて、侯爵の使者を見送った。


 三十代の、平均よりやや上といった容姿。修道女の格好をし、幸せの会を管理、運営している彼女は、使者の姿が見えなくなると、途端に笑みを引っ込めた。

 警護班リーダーのソリが、リングアの隣にやってきた。


「まったく……ゲスで、汚らわしいのがようやく行きましたか」

「ええ。侯爵の配下だからといって、自分が偉いものだと勘違いしている馬鹿な男ですよ」


 嘲笑を貼り付けてリングアが踵を返すと、ソリも付き従った。


「男というのは、力しか脳がない愚か者です」

「如何にも。それでもって女を支配したつもりでいる。勘違いを本気で信じている人間のなり損ないですね」


 一見すると修道女のような二人だが、内容はとても穏やかとは言い難い。


「男が上というのが、そもそも間違っているのです」

「まったく。女と見れば汚らわしい視線を向ける。そんな男どもを容赦なく殺せる世の中になってほしいものです」

「現実には、男の視線にも耐えるしかありません。世界は度し難いですね」


 この二人、否、幸せの会の者たちは、その大半が女性であり、さらにその多くが男性を嫌悪していた。大体が幼少の頃から、家庭内、とくに父親からの暴力にさらされ、世の中まともな男などいないという価値観を植えつけられ、憎悪をたぎらせているのだ。


「とはいえ、全ての男が愚かというわけではありません。貴族の中には、虐げられた女性を救おうとされる方もいる」


 リングアの言葉に、ソリはわずかに表情を曇らせた。


「それを信じてよいのでしょうか、リングア様」

「……」

「捨てられ、私たちが保護している少女たちを、引き取ってくださる奇特な男……そんなもの、この世に存在するのでしょうか?」


 幸せの会は、少女たちを保護している。そんな境遇を哀れみ、闇の社会から手を差し伸べる貴族がいる。


「確かに一般家庭に、少女を家族として引き受けられるところなどないでしょう。この世は荒み、世間も貧しい……」


 だからこそ、口減らしに追い出される子供たちがいる。世間は冷たいのだ。そうしなければ、家族や村などが生きていけないから、やむなく生贄の如く、放逐される。


「私は、貴族たちが引き取った少女たちを、きちんと育てているのか、心配なのです」


 ソリは悲観する。自分が大人たちに騙されたように、幸せの会から引き取られた少女たちが、貴族たちに玩ばれ、虐待されているのではないか。

 リングアは、薄く笑みを浮かべる。


「人の善意を疑うものではありませんよ、ソリ」

「リングア様……」

「女性が生きづらい世の中にしている自覚があればこそ、彼らはわたくしたち幸せの会を支援してくださり、身寄りのない少女たちを引き取ってくださるのです」


 リングアは笑顔で言った。


「世の中は、色々なものが巡り巡るもの。世がわたくしたちを不幸にしたならば、世の中がわたくしたちを幸福にする義務がある。……彼らにも償いをさせないといけません」

「そうですね。私たちにも、幸せになる権利はあります。世の男たちが認めなくても」

「その通りです」


 リングアは、そこで眉をひそめた。


「そういえば、ソリ。貴女、少し臭いますよ? 香水は切らしてしまったのですか?」

「あ、はい、そうです」


 ソリは自分の修道服を見やり、袖などから臭いを確認する。リングアは言った。


「お金はあるでしょう? 身なりはきちんと整えてくださいね。貴女たちは、ここの警備を担う上で、周りからの視線をより集めますから。貴族やその部下たちから、見下されないように、キチンと整えなくては」

「大変失礼しました、リングア様」


 しかしソリの表情は優れない。


「リングア様、よろしいでしょうか?」

「何ですか?」

「少女たちの食事、もう少しよくはできないでしょうか?」


 その言葉に、リングアは答えない。ソリは続けた。


「彼女たちは幼く、育ち盛りです。私たちもかつては苦しい思いをしましたから……その、見ているのがつらくて」

「ああ、優しいソリ。でも、子供たちにあまり振る舞い過ぎても駄目です。贅沢の味を覚えては、社会に出た後、落差にショックを受けることになるでしょうから。わたくしたちもそうでしょう? 苦しかった過去があればこそ、満足に食事ができる生活が尊いものだとわかる。……少々足りないくらいが、環境が変わっても適合しやすくなります」


 それに、と、リングアはどこか嫌な笑みを浮かべた。


「スラムで生活している子供たちに比べれば、全然食べられてますよ」

「そう、ですね……」


 ソリも頷いた。保護されていない子供たちは、黙っていても食事にありつけない。この幸せの会にいる少女たちは、日課をこなす生活で、毎日食事を摂ることができるのだ。


「ねえ、ソリ。わたくしは『いい人』でしょうか?」


 唐突なリングアの言葉に、ソリは戸惑う。


「それは、もちろんです! リングア様は、世の女性を救い出し、幸福をもたらすお方。どれだけの女性、そして少女たちがあなた様の作られた幸せの会で救われたかわかりません」


 ソリは目を閉じた。


「もし聖女が存在するならば、それはリングア様のような方をいうのでしょう!」

「そう……ありがとう」


 微笑むリングアである。幸せの会が聖堂と呼ぶ部屋に、二人がやってきた時、後ろから慌てて修道女姿の武装員が駆けてきた。


「ソリ様、リングア様! 大変です! 男たちが敷地内に侵入しました! 襲撃です!」

「なにっ!?」


 ソリは瞬時に、怒りを露わにする。一方のリングアは冷静に、武装員を見た。


「わたくしたちを妬む男どもの攻撃? 暴行目的? それとも強盗かしら?」

「そのような腐れ男どもは、殲滅します!」


 ソリが声を荒らげた。武装員は言う。


「それが、黒い兜をした武装した者たちで、正体はわかりません!」


 ドーン、と後ろで扉が蹴破られる音がした。黒いグレートヘルムを被り、武装した戦士か騎士か、それなりに装備が整った者たちが入り込む。


 リングアは一瞬、王国か貴族の私兵が乗り込んできたのかと思った。


 ソリが携帯している剣を抜き、新たにやってきた武装員たちと共に、黒いバケツをひっくり返したような兜の戦士たちの前に立つ。


「貴様たち! ここへ何しにやってきた!? この腐れ外道ども!」

「……おやおや、随分と暴力的な言葉を使うものだな」


 黒バケツたちの後ろから、颯爽とした雰囲気の若い騎士が現れた。こちらも騎士装備だが、素顔を晒している。どこぞの貴族か、と、ソリたちは思った。


「やはり格好は真似ても、中身までは真似できないらしい」


 紛い物め――騎士……アレスは言った。


「少女『しか』助けない、差別主義者の巣窟、幸せの会とはここでいいのかな?」

「なっ、なにっ!?」


 ソリは怒髪天を衝く。


「我々を差別主義者と言うか!?」

「普段の言動を思い返せば、わかることだろう?」


 アレスは笑った。


「ああ、付け加えると、少女を助けるフリをして、貴族に売る奴隷商売をしている悪徳の会でよかったかな……?」

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