第5話、金を貸してくれ


 ヘクトンの町に入った俺とソルラだったが、空はもう薄暗く、夜になろうとしていた。


「先ほどは、ありがとうございます、殿下」


 ソルラが礼を言ってきた。うん? 門番たちとのいざこざか。


「なに、非礼があったのは事実だ。もしあの場に近衛がいたならば、俺が言うまでもなく、奴は首を刎ねられていただろう」


 運のいい奴だ。……それはともかく。


「二人の時は、殿下はやめてくれ」

「失礼しました」


 ソルラは頷いた。


「でも……ありがとうございます。胸がすっきりしました」


 胸――いや何でもない。馬の歩行に合わせて揺れているように見えるのは錯覚だろう。胸甲があるのだ。揺れるわけがない。


「神殿騎士と、王国の騎士とは仲が悪いのか?」

「どちらかと言えば、よくないかもしれません」


 ソルラは道を指し示し、町にあるユニヴェル教会の方角へ、馬の頭を向ける。


「特に最近は、他国の介入もあって、関係が悪化しているように思えます」

「他国というのは、帝国か」


 隣国でもあるガンティエ帝国。あそこは宗教的にもユニヴェル教会と対立している。

 帝国から不正な金を受け取り、連中に利する行為を働く売国奴が、王国の貴族や正規軍にもいるという。帝国の敵は、売国奴どもにとっても敵ということなのだろう。バルックらの、神殿騎士へのあたりを見ると、あれもそうなのかもしれないな。


「嘆かわしいことだ」


 門の近くにいた民が、俺が王族と知り、頭を下げて通行を見送っていたが、次第に何も知らない者たちの通行する場所となり、ただの神殿騎士と旅人という雰囲気に落ち着く。


「どうします? 教会に言えば、1泊手配はできますが、王都の方がよろしいでしょうか?」

「うむ……」

「どうしました?」


 俺が生返事だったせいだろう。ソルラが確認するように俺を見た。いやね、この辺り、やたらと空気が淀んでいるというか。周りの家屋がね。


「ここはスラムなのか?」

「……それに近いようですね」


 ソルラは周囲を見回す。こちらを見ていた現地民が、視線が合うのを避けるように顔を背ける。


「私は王都が担当なので、詳しくは知らないのですが、この辺りは呪いを受けてしまった者たちが、多く住んでいるらしいです」

「呪い持ち、か。なるほどね。どおりでやたらと、芳ばしいと思った」

「芳ばしい?」


 暗くはなっているが、俺の目には体のどこかに呪いを持っている者たちの姿がよく見えた。


「あれは酒場か?」


 いま、腕に呪いを持っている男が入っていた店を指さす。かかっている看板には、酒場の印がある。


「……そのようです」

「ソルラ。お前は教会に行って、これまでの状況を報告してこい。部隊のこととか、まあ、俺のこととか」

「わかりました。あ……貴方は?」


 殿下と呼ばなかったのは、褒めてもいいぞ。


「五十年ぶりに一杯飲んでくる。……と」


 持ち合わせるがなかった。


「ごめん、ソルラ。お金貸して」

「っ……! 後で返してくださいね」


 一瞬面食らい、しかし渋々といった感じで、お金を少々出すソルラ。


「……もうちょっと、もらえない?」

「持ち合わせがありませんので」


 きっぱり、しっかりとソルラは胸を張った。お金の貸し借りはうるさいタイプかもしれない。


「わかった。一杯飲んだら、教会へ行く。そこでいいんだな?」


 民家の向こうに見える教会の尖塔を指して、合流場所を確認。ソルラは「はい」と頷いた。俺は彼女と別れ、すっかり夜になった町を歩き、酒場へと向かう。


「情報を集めるなら、やっぱり酒場なんだよな」


 五十年の月日の流れってやつを味わうとしよう。ソルラは生真面目そうで、嘘は言っていないだろうけど、神殿騎士以外の視点の情報も欲しいんだよな。



 ・  ・  ・



 その酒場は、案外広かった。外と同様、明かりはあるが店の雰囲気は暗かったが。人もそこそこ入っているが、お世辞にも賑やかとは言い難い。

 呪い持ちが入っていくのが見えたから入ったけど……。よかった、いきなり入店お断りって怒鳴られなかった。


 ざっと見回したところ、ここにいる者の大半が、呪い持ちだった。呪いのオーラが出ていれば、普通は入店お断りされるんだろうが、ここはそういう呪いであぶれた者たちの行き着く憩いの場かもしれない。


 知らない奴が来れば、怪訝な目に晒されるのだが、俺も呪い持ちだとわかったら、どこか同情するような目を向けて、それ以上は見てこなかった。

 カウンター席に行けば、酒場のマスターがやってきた。


「うちには安い酒しかありませんよ、騎士殿」


 格好で俺を騎士だと判断したのだろう。見たところ、三十か、四十代。髭を生やした屈強な男だが、彼が右足を踏み出すたびに、木を棒がつく独特の足音を響かせた。


「足をやられたのかい?」

「ああ、魔獣が呪いを持っていてな。普通に手当しただけだったから、気づいた時には片足が腐ってた。……あんたは?」


 マスターから聞かれた。まあ、俺も聞いておいて、答えないのはマナー違反というものだろう。下手に同情するよりは、オープンするのが礼儀というものだ。


「悪魔狩りをしていたら、呪いをな。最近ようやくまともに動けるようになった」

「そうか」


 マスターは俺の左手を見た。今の俺は、左腕から呪いのオーラを出しているからね。本当は全身に呪いなんだけど、そこは操作している。本当はオーラの完全消しをしたいのだが、どうしても体のどこからか出てしまうんだ。


 俺が受けた呪いの強さと量を考えたら、これでも頑張っていると褒めてほしいね。

 さて、何を飲もうか。俺がカウンターから見える酒のラベルをざっと眺めると、入り口がバンと勢いよく開いた。


 客たちの視線が、一斉にそちらに向く。現れたのは片手剣をそれぞれの手に持った痩身の戦士。酒場で剣を抜いて突っ込んでくるとか、客もいるのに強盗か?


 小さな悲鳴が上がる中、痩身の男は切羽詰まった様子で、つかつかとカウンターに迫った。

 俺は腰に下げる剣、その柄に手をかける――ん? 待て。この男。


「助けてくれ、マスター!」


 戦士は俺の脇を抜けて、バンと剣を持ったままの手でカウンターを叩いた。


「呪われちまった! 金を貸してくれよぉっ!」


 ……結局、金かいっ!

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