第2話、英雄は目覚めた


 邪教教団モルファー。ヴァンデ王国に悪魔を解き放ち、民を傷つけ、町や集落を破壊した。様々な呪いを大地に残し、不幸を撒き散らした。


 その手の者が、私の放った呪いにのたうち、絶望に飲まれていく様は、何と心地のよいことか。


 私は、アレス・ディロ・ヴァンデ。ヴァンデ王国の第一王子だった男だ。


 永遠とも、一瞬とも思える不思議な感覚。呪いに身を刻まれ、苦痛の世界を漂っていた私が、再びこの世界に戻ってくるとは。

 実に、清々しい。この新鮮な空気は――


「いや、少々埃っぽいな。掃除は行き届いていないようだ」


 呪いの靄に囚われ、闇に消えていく祖国の敵は、ともかくとして……。違う者が一人いるな。


 騎士――銀に輝く髪の、凜とした女だ。その装備は、ユニヴェル教の神殿騎士のものに似ているな。……ふむ、鎧をしているのに、やけに胸もとがふっくらしているような。


「お前は神殿騎士か?」


 私は、彼女へ一歩を踏み出す。すると思い出したように、女騎士はビクリと身を引いた。


「答えよ。お前は神殿騎士か?」

「あ、は、はいっ!」


 思い出したように、女騎士はその場に片膝をついた。うむ、先ほど私は名乗ったからな。ヴァンデ王国の王族であることはわかっているのだろう。すぐに反応しなかったことについて、私は責めないよ。


「ユ、ユニヴェル教会、ソルラ・アッシェと申します。で、殿下――」


 頭を下げたまま、女騎士は、ソルラと名乗った。だいぶ狼狽えているようだが、はて、私は彼女に怖がられているのか?


 呪いの力で、モルファーの連中を呪い殺した光景を目の当たりにしているのだ。それも無理もない……いや待て。


「ソルラ・アッシェ、顔を上げよ」

「はっ」


 うん、整った顔立ちのよい娘だ。二十代はいっていると思ったが、よくよく見れば、意外と若そうだ。もしやまだ十代か? いやそれよりも――


「正直に答えよ。ソルラ・アッシェ。私の顔はどうか?」

「……は?」


 ソルラは硬直した。何を言っているの、と言わんばかりの表情をしたのも一瞬、すぐに俯いた。


「い、いえ。その……どういう、意味でございましょうか?」


 そんな難しい質問ではないと思うのだが。


「私は人間か? それとも、お前の目には、人間以外のものに見えるか?」


 ソルラが困惑しているのは、私が、鬼や悪魔のような顔になっているのではないか、と思ったのだ。あいにくと、目覚めてから自分の顔を見ていないのでな。呪いに苛まれていた時、肌の色も人間のそれより、魔族に近くなっていたし。


「大変、お美しいと思います……」

「は?」


 何を言っているのだ、この娘は? 自然と怪訝な顔になるというものだ。この状況でおべっかを使われても、心動かなんぞ。この手のセリフは、散々聞いてきたからな。


「世辞はよい。私は人間か?」

「はい、お顔立ちは、人そのものと存じ上げます。……おそれながら」


 ソルラは、恐る恐る言った。


「全身から、呪いの気が見えておりまして、それについては、実に失礼ながら――」

「確かに、呪いが消えたわけではないな」


 私は自身から、蒸気のように出てくる闇のオーラ――呪いを見やる。悪魔どもとの戦いの傷とも言うべきか。倒すたびに、奴らの強烈な呪いが私に降りかかり、この体を蝕んでいった。


 恐るべき魔の呪い。悪魔を倒しても呪いによる災いが降り掛かる。だからこそ、私が一人で、悪魔討伐に赴いた。他の誰もが、悪魔を倒すと引き換えに、呪われ、命を落とすことはないと思って。その任は、王族である私が、引き受けるべきこと。


 幸い、私には優秀な弟がいた。王位については彼に任せれば、国は安泰。私ひとりが犠牲になれば済むことであった。


 しかし、一時はどうしようもないと思っていた呪いだが、こうして目覚めてみれば、呪われたままにもかかわらず、体は何ともない。痛みもなく、苦しいこともなく、健康そのものだ。


 呪いによって、気が狂い、身近な者たちや民を傷つけることがないよう、この墓地へと我が身を封印したのだが、この様子ならば、呪いの扱いにさえ気をつければ周囲に害はなさそうだ。


 一体これはどういうことか、よくはわからない。私は、呪いに耐性ができてしまったのかもしれない。


 そうだ、封印。外からもかけてもらったのだが、何故外れているのか。おかげで私はこうして外にいるのだが……まあ、十中八九、邪教教団の連中の仕業だろうな。でなければ、連中がここにいた理由も説明がつかんしな。


「それにしても、以前に比べてここも多少の年季を感じる。ソルラ・アッシェ、私のことは知っているな? 私がいなくなってどれくらい経った?」


 半年? それとも一年くらいかな?


「はっ、約五十年の月日が流れておりますれば」

「なにっ?」


 五十年? え……本当に? うわー……。


「本当に五十年?」

「はい」

「……『俺』をからかってない?」

「嘘はついておりません!」


 心外とばかりに、ソルラの目に力が宿る。この娘、これで結構真面目、いや堅物臭がしてきたぞ。


「わかった。ソルラ・アッシェ。俺――私が眠っていた五十年の話をしてくれ」

「私はまだ十八なので、その辺りのことまでしか詳しく話せませんが――」

「大まかに歴史を学んではいるだろう? その辺りをかいつまんで話せ。ここ最近の国の状況や……後は、お前がここにいる理由も」


 神殿騎士がたった一人で、邪教教団と戦おうとしていたことも気になる。ということで、私は、ソルラから状況説明を受けた。



  ・  ・  ・



 ……これ、物凄くよろしくなくない?


 五十年の月日が経っていた。ヴァンデ王国の平和と民の幸せのために、この身に呪いを受けて、辛くて、痛くて、毎日吐きそうになっても、それでも歯を食いしばって頑張って、悪魔どもを倒してきて……その結果が、今の有様とは!


 国は乱れ、隣国ガンティエ帝国に圧力をかけられ、呪いが広がり、民は疲弊し、地方貴族の重税に苦しめられている。


 民の不満は、王となった我が弟ヴァルムに向いているが、そのヴァルムもまた、病気に悩まされているというではないか!


 ふざけるな。『俺』はそんな国にするために、命を捨てたわけじゃない……!


 これは、ちょーっと、墓地で隠居している場合じゃないぞ。

 とりあえず、王都に行って、会えるなら王に会ってくるか。

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