209、少女に命を握られてどんな気持ち?

「うんうん、色々と聞いちゃった。今の会話録音した? シャーロット」

【はい、確実に】


 燃え盛るようなオレンジ色と、目を潰すような眩い白。

 再びついた明かりの下、眩む男たちの目に初めに飛び込んできた色だった。


「き、君、君、その恰好、いや、どうしてここに――⁉」

「あーあ、倒さなきゃいけない『敵』も嘘だっんだ」


 暗闇の中から突然現れたかのように見えたオレンジ髪の少女は、狼狽する痩躯の言葉を無視し、何者かと会話をしながら散歩でもするような自然な足取りで、ふたりに近づいてくる。


 太った男はいきなりのことに呆然としていたが、それでも長年の経験からすぐに持ち直し、目の前に現れた「異物」に脂肪まみれの指を突き付け、怒鳴り散らした。


「お、おいおいおい、ここは子供が来るような場所じゃないぞ。どっから入った? ん? 警備員は何やってんだ!」

「ん? この人テレビで見たような」

【人物をサーチ、照合完了。……チカ、少しは勉強した方がいいかと。彼はあなたの世界の大臣ですよ】

「あ、偉い人だったんだ。どうりでどっかで見たことあると思った」

「聞いているのか? 大体何なんだその恰好は。ここはいつからコスプレ会場になったんだ? なあ、おい」


 だが、怒鳴り声にも威圧にも、少女は何ら反応を示さない。それどころか太った男の言葉など頭から聞こえていないかのような態度で、今まで連絡のつかなかった最後の魔法少女はひとり誰かと話している。


【わたしが学習プログラムを組みましょう。安心してください、あなたでも解けるよう難易度は調節します】

「ちょっと勝手に決めないでよ。つーか、やっぱりあんた私を馬鹿にして、」

「馬鹿にしとるのは貴様だ、小娘っ!」


 中身が入ったままの、ワイングラスが飛んだ。乱入されたあげく、無視され続けた男の怒りの現れは、くるくると中身をこぼしながら宙を舞い、


「……あーあ、もったいな」


 少女に一滴もかかることなく、宙で弾けた。


「――なっ!?」

「そういえば話の内容的にさ、おじさんも関わってるんだよね。魔法少女のこと」


 ぱき、と白い鎧のようなものをまとった少女の足が、割れたワイングラスをさらに粉々に踏み砕く。

 何故グラスが阻まれたのか。そのことを考える間もなく距離を詰めてくる少女に、太った男は慌てて立ち上がろうとした。だが少女の動きはそれよりも早く、ステッキを男の鼻先へと突き付ける。


「知ってたの? 魔法を使い続けると死ぬって」

「――っ、警備員! 早く、このガキをつまみだして、」

「誰も来ないよ。ここのシステム関連、全部掌握したらしいから」

「……は?」


 燃えるような、しかし冷ややかなオレンジ色の目に見降ろされた太った男はようやく理解した。目の前の少女が、例の魔法少女金の種だということに。


「知ってたの? 知らなかったの? 答えて」

「お、おいっ! こいつはお前の管理だろうっ! どうにかしろっ!」


 年の離れた少女に気圧されているという事実に怒りを覚えた様子で、太った男は痩躯へと唾を吐きかける勢いで叫ぶ。だが痩躯は戸惑ったような表情を浮かべたまま首を振ることしかできない。


「だ、駄目です。だってその子は、魔法を使っていない! 魔法の制限下から、もう外れてるんです!」


 青い顔で痩躯は叫び返した。魔法機関が作ったブローチが見当たらないこと、つまりは魔法を使っていないという事実に冷汗が流れ落ち、痩躯の安物のスーツをじっとりと濡らしていく。それにちらりと視線を向けた少女の顔に、慌てぶりを嘲笑うかのような薄い笑みが浮かぶ。


「ひょっとして、あんたたちには『魔法が撃てない』ようになってたりした?」

「っ、それは」


 少女の言う通り、魔法少女たちの魔法にはいくつかの制限が組み込まれている。 魔法機関の人間に魔法を用いた攻撃ができない、というのは彼女たちに反乱を起こさせないために組み込まれた制限のひとつだった。


 もし彼女が前に見たときと同じ魔法少女だったらまだ勝ち目もあっただろう、と痩躯は思う。だが魔法を込めた「変身アイテム」は無く、姿も異なっている。そこから導き出される最悪の答えは、


「そうなんだ。でも見ての通り、私は魔法使うの、もうやめたの。身体に悪いし」

「や、めた?」

「うん。で、ブローチは友達がほしいっていうからあげちゃった」

「あげっ……」


 まるでジャンクフードをやめた理由を話すような気軽さで魔法を手放したことを告げる少女に痩躯は唖然とし、聞きたくなかった答え合わせにその顔色は青を通り越して蒼白になった。

 太った男の苛立った声が、どこか遠くに聞こえる。


「おいっ、どうにかできないのか!?」

「む、無理です。無理なんです、だって、敵いっこないじゃないですか! こ、この屋敷のシステムを、全部思いのままにするようなやつなんて――!」

「馬鹿が! 相手は小娘ひとりだぞ。このくらい、ふたりで抑え込めば」


 ため息。


「抑えめ、チカビーム」


 どこか気だるげな少女の声と共に、太った男の顔から少しずれて射出された光線は、男の耳のすぐそばのソファー生地に、瞬時に十円玉大の黒い焦げ穴を作った。


「…………っ、あ?」

「これを見ても、そう思える? ならやってみれば?」


 焦げ臭い臭いに太った男が視線を動し、自分の顔のそばで何が起きたのかを知ると、驚きに固まっていた表情はみるみるうちに恐怖へと変わっていく。逃げ出そうと男の手足が暴れ、その反動で椅子が後ろへとひっくり返った。


「ひっ、ひいっ、だ、誰、誰か……!」

「私さ、話したいことあるんだけど。話す気ある? それともない?」


 床をなめくじのように這う太った男にステッキの先端を向けたまま、少女が淡々と言う。もうこれ以上待つのも無駄だと言いたげな口調だった。


「は、話? わかった。話し合いはこちらとしても望むところだ、チカ君」

「あれ、私のこと知ってるんだ」

「も、もちろんだとも。君以上の優秀な魔法少女はいないからね」

「……『いなくなった』の間違いでしょ。あと、勘違いしないでね。話し合いじゃなくて、宣戦布告みたいなもんだから」


 たとえそれが一方的なものだったとしても、問答無用で攻撃されるよりよほどましだと痩躯は思う。

 チカという少女の短気さを知る男は、なるべく刺激しないように言葉を選びつつ、チラチラとステッキと焦げ跡に視線を送る。あれが自分たちに向けられたらと思うと考えるだけで恐ろしい。


 今、ふたりの命を握っているのは間違いなくチカであった。

 痩躯は飛び出しそうになる心臓を押さえるために、胸の前できつく手を握る。もし気が変わったら。そう考えるだけで意識が遠くなりそうで、痩躯は必死に最悪の結末を回避することを祈る。


 だが、そんな痩躯の祈りなど気にもしてもいないのだろう。チカは痩躯に目を向けることなく、あらかじめ用意してきた台本を読み上げるような声色ではっきりと言った。


「――終わらせに来たの。あんたらのやり方をね」

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