新たな変身、新たな力

204、絶体絶命大ピンチ、チカの新たな力

 何が起きたかわからない。

 自分は今、どこに立っているのだろう。


 突然の風景の変化に脳が混乱しているのがわかる。

 チカは目に染みる夕焼けを手で遮りながら、周囲を見渡した。どくどくとうるさい心臓に「落ち着け」と言い聞かせながら。


 右手側には角まで伸びたブロック塀が伸び放題の生垣に侵食されているのが見え、左手側には取り込むのを忘れられた洗濯物が風に揺れているのが見える。足元はところどころヒビの入ったアスファルトが「止まれ」の白線を掠れさせていた。

 夕日に染まった空は何にも遮られることなくのびのびと広がり、遠くの方にはうっすらと山の緑が見える。


 白いビルも、塔も、きれいに整えられた街並みも、何もない。あるのは懐かしい近所の通学路。


「帰って来たんだ、本当に……」


 誰に言うでもなく呟いたその瞬間、現実感と共に色々なものがこみ上げてきてチカは目元を拭った。止まっていた足が、早く帰ろうと動き出す。

 亀の歩みのようだった足取りは徐々に軽快さを増し、ついには走り出していた。


 バタバタと風でブレザーをはためかせながら、チカは茜色に染まった見知った道を駆けていく。下校中の小学生や買い物帰りの主婦が驚いたような顔で走る女子高校生を見ていたが、そんなの構わない。少しでも早く、家に帰りたかった。


 まっすぐに伸びた住宅街の道を飛ぶように走り抜け、横断歩道を大股で渡り、「この先〇〇荘」というもう読めない道案内がついた電信柱を左に曲がり、整えられた植え込みを何個も通り過ぎた。


 徐々に家の近くの光景が増えてきて期待に胸が弾む。頬を紅潮させ目をきらきらと輝かせながら走るチカの姿はまるで恋する相手に会いに行く少女であり、ただ単に今から家に帰るだけだとは誰も思わないだろう。


 しかし家へと続く道への最後の曲がり角にさしかかった、そのときだった。


「ダ……嫌ダ」

「えっ、何?」

「嫌ダ、嫌ダ、嫌ダ、モウ嫌ダァァァァァッ!」

「げっ、怪物フリークス化してんじゃん! なんなのよこんなときにっ!」


 どろりと淀んだ目で身体を引きずるようにしながら目の前に現れたそれにチカはぎょっと目を見開く。

 顔色が悪いのを通り越してもはや土気色の肌に、人の形を保ったまま溶けたようなシルエット。光のない目にも関わらず妙に攻撃的なぎらつき。その姿は間違いなくチカが知る破壊の怪物ブレイフリークスそのものであった。


「ミユチャン、ミユ、チャン、ナンデ、ナンデ、ボクジャナクテ、アイツナンカヲ」


 かろうじてサラリーマンらしきスーツを着ていることがわかるそれは、すべてに絶望しきったような咆哮を上げる。どうやら内容から察するに、ミユちゃんとやらに失恋したらしい男はその苦しみとストレスで怪物化してしまったようだった。


「参ったな、もう魔法は使えないし――」


 チカはひとまず距離を取りながらどうするべきかを考える。まだ買い物や学校から帰っていないのか、騒ぎになっていないのが幸いだった。破壊の怪物が現れた上にパニックまで起こってはもう手がつけられない。


 騙してきた相手に習った方法を使うのは癪だが、教えられた対処通りここは騒ぎになる前にどこか人気のない場所におびき出すべきか。

 しかしチカの考えよりも早く、怪物が行動を起こした。

 怪物は人間らしからぬ挙動でぐりんっと首をチカの方へと向けると、ギラギラとした目つきで口が裂けたような笑いを浮かべ、


「ミユチャン」

「は?」

「ミユチャン。ミユチャン。ミユチャン。ドウシテ? アンナニ愛シ合ッタノニ」


 運が悪いことにその「ミユちゃん」とやらとチカは似ているらしかった。怪物はチカに狙いを定めたのか、身体を引きずっているとは思えないスピードでチカに迫ってくる。その速度は鳥肌を立てたチカが後ずさるよりも早い。

 足を下げるも一歩遅く、怪物がチカの足首を掴む。


「ソレナノニ、ナンデ『知らない』ナンテイウノ? ボクトアンナニ目ガ合ッテ、微笑ンデクレタノニ」

「ミユちゃんじゃないっていうか、あんたただのストーカーかよ!」


 掴まれていない方の足でゲシゲシと顔面を蹴りつけ脱出を図るチカだったが、怪物はまとわりつくようにしてその手を絡めており、一向に離れる気配がない。それどころかさらに拘束を強めるつもりなのか、ニタニタと笑いながらもう片方の足も狙ってくる。


 これはミユちゃんとやらもさぞかし苦労したに違いない。心の中で顔もわからない被害者に同情しながら、チカは縋り付いてくる男を蹴り飛ばしつつ考える。


 どうするべきか。魔法は使えない。今のチカはただの女子高校生なのだ。この程度の拘束も抜け出せないのが今置かれた状況。かといってこのまま放っておけばろくでもないことになるのは明白だった。


 考える。焦りが募る。軟体生物のように巻き付いてくる腕が気持ち悪い。怪物はそんなチカの焦りをあざ笑うかのように口を吊り上げる。

 何か、手はないか。焦りに真っ白になりそうな頭をどうにか動かし続けた、そのとき。


「あ、――」


 いつものくせでリボンへと伸びた手にカチリ、と硬質的な感触があった。その感覚は即座に脳へと届き、チカの脳に聞いた声を再生させる。


 ――それは、あなたの新しい武器。


 怪物の手がもう片方の足へと届く寸前、チカはブローチを握り、言われた通りの言葉を無我夢中で叫ぶ。


「変身!」

【――キーワードを検知。生体認証クリア。シャーロットシステム起動。フォルムチェンジを開始します】


 その瞬間、ブローチから聞こえてきたのは紛れもなくだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る