203、さよなら魔法、さよなら世界



 ※※※



 朝の陽ざしが射しこむ中チカはスカートのポケットをまさぐっていた。


「忘れ物なし、服装大丈夫、あとは……」

「体調はどうですか?」

「問題なし!」


 チカはぺたぺたと自身の腰、胴に手を当て、最後に両手で頬を挟む。身体に異常なく、ブローチ以外の忘れ物がないことを確認してチカはベッドから立ち上がろうとしたが、そこでシャノンに肩を押さえつける形で止められた。


「少しお待ちを。寝ぐせがまだ残っています」


 そう言うとシャノンはさっと白いブラシを取り出し、ていねいな動作で髪を梳かし始める。サク、とブラシが細かなオレンジの髪を整えている中、チカは暇な両手で忘れ物の最終チェックをする。


 ブレザーのポケットを確かめ、スカートのポケットをもう一度はたき、ブラウスに申し訳程度にくっついた底の浅いポケットに指を突っ込む。いつもの登校前の準備のように指は動き、最後に襟元のリボンへと到着した。


 癖というのはなかなか抜けない。そう思いながらチカはもう何もついていない制服のリボンの中央をを爪先で引っかく。


「あのブローチ、魔法使えないならただのガラクタだと思うけど」

「『異世界の物質というだけで研究対象になる』、とのことです」

「……テルタニスが言いそうなことだわ」


 うっかり変身しても困るし、ブローチは処分しようという話になった際、まっさきに引き取ることを提案したのはテルタニスだった。そのときは尤もらしく【危険物を放置するわけにはいかない】と言っていたテルタニスだったが、やはり未知の物質への好奇心だったか、とチカは妙に上ずっていたAIの声を思い出す。


 ブローチは今頃どうなっていることやら。そう考えていると、整えるのが終わったのかブラシが髪から離れていった。


「終わりました。もう立ち上がって良いですよ」

「ありがとシャノン。やっぱ頭の裏は自分じゃ見えなくってさ」


 今度は止められることなくチカの足は床についた。薄くて軽いスリッパでなく底の厚いローファーの重みが妙に懐かしい。

 少し踵や爪先で床を蹴って靴に足を馴染ませてから、チカは両手を思いっきり上げ、身体を伸ばす。


「あー……、帰れるんだよね、私」

「はい。もう準備はできているとのことです」

「そっか、そっかあ……」


 もうお別れなのだ。この世界と。

 そう考えると寂しさがこみあげてくるのが不思議だった。来たばかりの頃はあんなに帰りたいと思っていたはずなのに。


 チカは扉の傍まで歩いてから肩越しに後ろを振り返る。自分以外がいない病室に、ようやく肌に馴染んできたシーツ。大きな窓からは変わらず白い建物たちが日の光を浴びて輝いているのが見えた。

 ここに帰ってくることはもうない。あの埃っぽい地下に戻ることも、もうないのだろう。


 口に出す代わりに心の中で「さよなら」と呟く。

 世界と、そして魔法に別れを告げて、ただの少女は二度と戻らない部屋から足を踏み出した。




 指定された場所は、チカが初めてこの世界に来た場所だった。

 扉をくぐると、勢ぞろいしたメンバーが一斉にチカの方を向く。


「おう、おせーぞ寝坊助」

「ダグ、やめないか。それが別れの言葉になるかもしれないんだぞ」

「あんたこそ察しておやりよ。素直に別れたくないってことだろ」

「ごしゅッ、ご主人ッ、ザマァ……!」


 いつもより攻撃的であったり、それを窘めていたり、涙で顔がぐしゃぐしゃだったりと反応はそれぞれだったが、各々別れを惜しんでいるということは理解できた。

 これは静かに別れることなんて出来なさそうだ、そう思いながら部屋へと入り、指定された通りに台形型の装置の上で光る輪の中に足を踏み入れるチカ。

 その瞬間だった。


「痛っ!?」


 どすっと胸に衝撃が走る。何が起きたんだと、恐る恐るチカが視線を下へと動かすと、胸の中央にぶつかった、見覚えのある真っ白な触手。


【完成したわ】


 その先を辿れば突如としてアタックをを仕掛けてきた犯人が、何でもないような声でそう言うのが見えて、チカは頬を引きつらせた。


「……痛いんだけど」

【見てみて。リボンのとこ】

「話聞く気ないでしょあんた!」


 この世界から去るという瞬間なのに、何だこの扱いは。そう文句をぶつけてやりたかったが、テルタニスは聞く耳を持たず、触手を引っ込めたあとはじっと「贈り物」への感想を待っている。


「何だってんの、よ……?」


 ため息をつきながらチカは言われた通りに視線をリボンの中央へと下ろし、そして目を見開く。何もなかったリボンの結び目の部分に、新たに真っ白なブローチが付けられていた。


「えっ、なにこれ?」

【デザインはどう? 気に入った?】

「え、いや可愛いと思うけど、これ何?」


 バラのモチーフが彫られたブローチは上品で、縁にあしらわれたオレンジ色の縁取りが可愛らしい印象を与えてくる。

 しかし今になって何故これを貰えたのかがわからず、チカは頭に大量のクエスチョンマークを浮かべた。


【それはあなたの新しい武器。どうせ、こうなった原因をやっつけたいって思ってるんでしょ】


 触手で機械をカチカチと操作しながらテルタニスが言う。

「武器」、その言葉にチカはさらにわけがわからないという顔をした。


「へ? 武器って、魔法はもう――」

【それは魔法じゃない。わたしとボロとザクロが解析して、新しく作ったもの】

「新しい武器? それって」

【それに触れて、変身って言えばいい。あとは全部自動だから】

「……あんたね、もうちょっと詳しい説明を」

【駄目。このタイミングを逃したらあなたを元の世界に帰せない】

「っ、ああもう!」


 機械が稼働する音と徐々に白飛びしていく視界にチカは残された時間はわずかだと察する。

 まったく、湿っぽいのも嫌だがこんな慌ただしい別れになるとも思っていなかった。

 

 視界が白に侵食されていく中、チカは少しでも皆の顔を記憶に残そうと目を凝らす。

 顔に手を当てて天を仰ぐザクロに、それに寄り添うボロ。ダグはぐっと唇を引き結んでいたが、それもシャノンに何か耳打ちされるとぎこちなく口角を上げた。シャノンに顔面を乱暴にこすられていたギルが何とか見れるようになった顔を上げ、最後にシャノンがこちらを振り返る。


 花が咲くような笑みだった。今まで見てきた中でも一番自然で、一番可愛らしい笑みだった。


 チカは瞬きを我慢してその笑みを目に焼き付ける。しかし、それも次第に白に飲まれて消えていく。


【バイバイ、チカ。


 子供らしい別れの挨拶を最後に、「ん?」と思う暇もなく、チカの意識は徐々に薄れていく。そして気がつくと――


「……あれ?」


 チカは見慣れた通学路の、見慣れた夕日の中に立ち尽くしていた。

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