201、術後にタックルはお控えください

 つまりはチカといるときが一番楽しそうだからチカの代わりになれるように勉強していた。そういうことらしい。


「代わり、代わりねぇ」

「……気分を害したでしょうか」

「いや、ダグがここにいなくてよかったなって思って」


 逆にいてもらった方が色々と早くことが進む気もしたが、余計にこじれる可能性の方が高いと考え、言葉を飲み込む。この件を余計にややこしくする勇気はチカにはない。


「ダグは代わりなんていらないと思うけどね」


 少し足が疲れてきてテーブルにもたれかかると、ギルがさっと部屋の隅に積み上げられていた椅子をとって、チカの背後に据えた。用意された真っ白なそれに礼を言ってから腰掛けると、足に溜まった熱がじんわりとほどけていく。


「しかし、ダグの表情筋の稼働回数が多いのはチカの前です。先日も――」

「あー、待った待った。つまりシャノンはダグにこれからも笑っててほしいってことなんだよね?」

「はい」

「なら、やっぱり代わりとかいらないよ」


 チカは手際よくギルが淹れてくれた紅茶をひと口すする。乾燥した口を十分に湿らせてから続けて言った。


「それに、私の代わりになるとか言ったらダグ怒ると思うし」

「……やはり私では代わりにもなれないということでしょうか」


 違う。そうじゃない。

 チカはどことなくしょんぼりとした顔を見せるシャノンを前に、バレないようにこっそりとため息をついた。


 来たばかりのころ、動かなくなったシャノンにダグがどういう顔を向けていたか見せてやりたい、と思う。あれはどう見たって「代わりになってほしい」なんて相手に向けるものじゃなかった。


 もどかしい。いっそのこと何もかもこの場でぶちまけてやりたい。どう見たってお互いのこと想いあってるだろお前らこの野郎お幸せに、と叫びたい衝動に駆られる。


 しかし第三者が人の恋路へ勝手に口を出すのもいかがなものか、と頭の中のもうひとりの自分に諭されて、チカは喉まで出かかったそれをぐっと押しとどめた。


「違う違う。あいつはシャノン『が』良いってこと」

「私が?」

「そう。私の代わりとかじゃなくて、シャノンが」


 それでもこのくらいは許されるだろう。チカは露骨なほど「が」に力を込めて言い切りながら、シャノンの表情をうかがう。しかし、まだ納得していないのかチカの意図が伝わっていないのか、不思議そうな顔で考え込んでいた。


「シャノンは、ダグのこと大事に思ってるんでしょ?」

「――はい。大事な人です」


 視線を逸らさずにシャノンは言う。思わず聞いている方が恥ずかしくなるくらいの、「それはもう告白だろ」と叫んで悶え転がりたくなるほどの、まっすぐな言葉だった。


「それが答えだよ。シャノン」

「答え、ですか? これが?」

「ダグに笑っていてほしいなら、それで十分。大事に思ってもらえるって、すっごくすっごく嬉しいことなんだから」


 風邪をひいたときの卵粥。ポストに入っていた休んでいた間の授業をまとめたノート。怪我をしたときまっさきに駆け寄って来た足音。

 大事にされるというのはそれだけで嬉しいものだ。それこそ些細な空白など、吹き飛んでしまうほどに。


「それに追加してシャノンが自分を大切にしてくれたらもう最高。言うことなし。もう年中にっこにこよ、あいつ」

「そうなのでしょうか?」

「そうなの。だから、ギルの質問への答えみたいに即自爆、は無し。わかった?」

「……しかし、先ほどのケースだとこれが一番被害が少ない方法かと」

「じゃ、シャノンはダグがシャノンを助けたいからって犠牲になってもいいの? 何も思わない?」

「それはあり得ません。私のために犠牲になるなんて、彼の代わりは――」


 チカの言葉を即座に否定してから、シャノンはハッとしたような顔でチカを見上げた。ようやく納得してくれたようで何より、とチカは少し冷めてしまった紅茶を飲み干す。


「わかった?」

「……はい」

「だからね、私がいなくなっても大丈夫。心配しないで」


 少し寂しくはある。けれどダグなら大丈夫だろうという確信があった。シャノンが、守りたいと思った相手が傍にいるのだから、きっと寂しさなんてすぐに忘れてしまうだろうと。


「しかし、チカ。私が考えるに、ダグはあなたのことも大切に、」

「……オレは嫌ダ」


 少し身体が冷えてきて、そろそろ部屋に戻ろうかとチカが椅子から立ち上がった、そのときだった。

 突然、チカの腰に硬い頭部が勢いよくぶつかり、椅子へと身体が戻される。その痛みと衝撃にチカは思わず「うっ」とうめき声を上げた。


「そいつらが良くてモ、大丈夫でモ、オレは大丈夫じゃなイ」


 いきなり何をするんだとチカはタックル犯に文句を言いかける。しかしそれも縋り付くように腰に回された腕と震えた声を前に、何も言えなくなってしまった。

 青く細い髪がチカの腿の上でぱさぱさと音を立てる。


「オレは、嫌ダ。ご主人様」


 長身を折りたたむようにして顔を腰に押し付けたまま、ギルが泣き出しそうな声で言う。


「帰りたいんだってわかっている、けド、ご主人様がいなくなったら、オレは悲しイ。嫌ダ」

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