200、ドールが感情を知りたい理由

「チカ、あなたにこそお聞きしたいです。『感情』というのは、どういうものなのですか」

「ええ? 私?」


 生真面目な顔をして、とんでもない疑問をぶつけてくるシャノンにチカは困惑する。


 感情。言葉にするのは簡単だが、それを説明するとなると難しいもの。チカを含め、人間は感覚で感情を使っている。笑っている人に対して「どうして笑うのですか」と聞くようなものだった。どう言えばいいかわからない。


 チカはただの高校生だ。感情を研究する人間ではないし、心理学者やら考古学者のように人間の心理や歴史に詳しいわけでもない。どこにでもいる、ただ人間として生まれた人間だ。


 だから、困った。どう答えるべきか。


「感情、感情ねぇ」

「お願いします。私はどうしても、それを理解しなければならないのです」


 わからない、と逃げてしまうこともできた。シャノンはそれを決して責めはしないだろう。

 けれどそんな「お願い」を聞いてしまうと、どうにかして力になりたいと思うのがチカという人間であった。


 チカは腕を組んで頭をひねる。こんな状況で「笑いたいから笑うように、感情ってそういうものなのでは?」くらいの単語しかでてこない自身の脳みそを呪い、嘆き、何かまともな答えを絞り出せと叱咤する。


 もちろん凡人が即座に天才になれないように、普段小難しいことを考えない脳が急に変われるわけもない。今まで単純明快に考えてきたチカの脳みそは過負荷に熱を上げ、その熱は大気圏を突破し銀河に星を散らし、


「おイ、ご主人様を困らせるナ」


 そこで助け船が出た。

 チカの思考は即座に銀河から帰還する。


「人間っていうのは生まれたとキから感情が備わっていル。物心つく前かラあって当たり前のものなんダ。それガ簡単に説明できルカ」

「――しかし、効率的に考えて」

「……焦るなヨ。まだ話は始まったばかりダ」


 チカは驚く。あのギルがシャノンを気遣うような言葉をかけている。

 少し目を離せばやれ型落ちだの何だのと悪態がポンポン飛び出すあのギルがだ。


「珍しいね、ギルがそこまでするなんて。『そんなことオレが知るか』って言うタイプかと思ってた」

「オレだってそう言いたかっタ。けどな、ご主人様。こいツは酷イ。酷すぎル」

「ひ、酷いって?」


 ギルはびっと指先をシャノンの鼻先に突きつけながら嘆いた。


「『そんなに感情の動きが知りたきゃ主人の前で自爆でもして見りゃいいだロ』って面白半分で言ったラ」

「私が全損した結果、ダグに何か感情が生まれるのですか?」

「……こうダ。ナ?」


 酷いだろ、と同意を求める視線を受けてチカは頷く。これは酷い。あのダグの態度を見てそう言いきれてしまうところとかが特に。

 そんなふたりのダグへの憐みの表情を前に、当の本人は首を傾げている。


「シャノン、あんたマジで自分が壊れてもダグが何も思わないって考えてんの? 本気で?」

「……確かに、私の破損で新たなドールの発注やそれに伴う手間といった不利益が発生することは理解しておくべきでしたね。訂正します」

「……それで? お前が自爆した際、お前の主人が抱く感情の種類は?」

「該当するのは苛立ち、でしょうか」


 もう一度ギルがチカを見る。「どうしようもない」と目が語っていた。


「んで、試しに自爆したラ主人が助かるかもしれない状況に遭遇したラ、って話し合っテたとこロだっタ」


 聞かなくてもわかるような気がするが、チカは一応質問する。


「それで、シャノンの答えは?」

「自爆ダ。一秒も迷わなかっタ」


 なるほど、だからあんな大声を出していたというわけか。

 チカが納得している隣でギルが手で顔を覆う。わかりやすく疲れた表情だった。


「デ、どうしたらいいかわからなクなってたところダ」

「なるほど……そういえばシャノンはなんで急にそんなこと聞きたくなったわけ? 誰かに何か言われたとか?」

「いいえ、これは私の自発的な行動です」

「何か、理解しないとって思うようなことがあった?」


 らしくなく、シャノンが少し焦っているように思えて、何か理由があるのだろうとチカは尋ねる。するとドールは伏せていた青い目を上げ、まっすぐにチカを見つめてきた。


「……あなたが、いなくなってしまうので」

「え、私?」

「ダグは、あなたが来てから感情を表に出すことが増えました。……本当に楽しそうに、笑うようになった」


 チカは、自分がここに来る前のダグのことをよく知らない。それでも「何か」があったのだということはなんとなくわかる。

 ダグと出会ったばかりのときの、擦り切れた、見るものすべてが敵であるかのような目を思い出す。確かにあのときと比べたら、ダグは本当によく笑うようになった。


「私は、あなたの感情が理由だと考えました。チカの感情が鍵となって、ダグの感情を引き出してくれているのだと。ダグはあなたといるときが、一番よく笑ってましたから」


 大切なものを思い出すように、シャノンはゆっくりとした口調で言う。


「でも、チカは帰らないといけません。そうしたら、ダグは前のようになってしまう」

「……だから、感情を理解しようとしたの?」

「はい。私が少しでもチカの代わりになればと、そう考えました」

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