199、ぶらぶら楽園の塔ツアー



 健康チェックが終わったあとは、ぶらぶらと施設内を歩き回った。硬いブレザーは畳んで病室に置き、ブラウスとスカート姿にスリッパを履いて、空調の効いた廊下をぺたぺたと歩く。もちろん、言われた通り居住区には近づかないようにした。


 ロボットたちが銀色のパッケージやよくわからないカラフルなゼリーのようなつぶつぶが乗ったトレーをせっせと準備している「食事準備室」を覗き、次の「トレーニングルーム」では、風景を高画質で楽しめるランニングマシンや重さを使い手に合わせて自動で変えてくれるバーベルを磨いているロボットたちを眺めた。どのトレーニングマシンも誰も使ったことがなさそうなピカピカ具合で、磨かれすぎた銀色の部品がまるで鏡のように輝いていた。


 暗い部屋にコンピューターの明かりだけがついている「ストレスチェック室」があり、閉め切られて中が見えない「食品生産室」があった。個室が白いカーテンで仕切られた「メンテナンス室」は何に使うのかわからない灰色のコードや部品が散らばっていて、他の部屋よりも使われていた印象があるが、誰の姿もない。


 忙しなく廊下を通り過ぎるのは清掃ロボットばかり。忙しそうにしていても安全運転でぶつかりそうになることなど一度もなく、ロボットたちはモーター音だけを響かせて廊下を滑っていく。


 皆はどこにいるのだろう、とチカは思う。歩いていればそのうち見つかるだろうと考えて適当に歩き出したチカだったが、考えが甘かった。


 シミや汚れひとつない白い廊下はどこまでも長く、壁に等間隔に並んだ扉はずっと奥まで続いている。少し目をつむって歩いたらすぐにでも自分がどこを歩いているかわからなくなってしまうだろう。


 チカは最後に見たメンテナンス室から二、三歩、歩いて足を止める。そして、すぐそばを安全運転で通り過ぎたロボットに思い切って声をかけた。


「ねえ」

「発声ヲ確認。――ハイ、何カ御用デショウカ」


 急ブレーキをかけることもなくロボットはその場で静止すると、顔らしき丸いボール状の部分をぴったり90度の角度でチカへと向ける。顔を認識しているのか、ボール中央にはめ込まれたレンズが拡大と縮小を繰り返した。


「チカ様、デスネ。何カ身体ニ不具合デモ――」

「あ、そういうのじゃなくてみんなを探してるの。私と一緒に来た人とかドールとか、どこにいるか知ってる?」


 一秒にも満たない間が開いた後、ロボットは頷くような仕草を見せる。


「付近ニイラッシャルオ連レ様ノ元ニ、ゴ案内シマショウカ?」

「お願い。私だけだと迷いそうでさ……」


 その申し出を受け入れると、すぐに案内は始まった。ロボットは廊下をチカがついて行ける程度のそこそこのスピードで動き、ある部屋の前で止まる。


「コチラデス」


 空き部屋なのか、部屋の前にあるプレートは空白だった。チカは送ってくれたロボットに礼を言ってから、控えめに扉をノックする。だが、返事はない。開けようと扉に手を触れようとすると、それは自動で横にスライドした。


「だから、言ってルだろうガ! 起きタことへの対処ノ仕方ニよっては人間に『悲しみ』の感情が働ク可能性があってダナ、人間によっては精神に異常ナダメージを及ぼすかもしれナイんダ! よく考えロ!」

「……しかし、助かっているのならよいのでは?」

「良くないっテ言ってルだろうガ! お前あいツと一緒にいてよクそんなこト言えルな!?」


 途端、ギルの大声が廊下いっぱいに響き渡り、チカは慌てて部屋に飛び込むと自動で閉まっていく扉を手で押した。


「ちょ、ちょっと何話してんの? そんな大声で、何事かと思ったんだけど」

「あっ、ご、ご主人様ッ!?」


 ギルがすぐさまチカの方を向く。テーブルを挟んで向こう側には朝会ったばかりのシャノンの姿もあった。

 シャノンはチカの姿を見た瞬間に近づき、まくしたてる。


「チカ、体調は大丈夫ですか。何か不調があればすぐに申告を」

「大丈夫、大丈夫だって。平気だからこんだけ歩きまわっているんだし」

「しかし異常があってからではいけません。やはり部屋に」

「人間ハ同じ行動をとっていルと『退屈』するもノなんダ。ご主人様を思うナら、その気持ちも尊重しロ」


 すぐにでも部屋に戻したいという顔をしたシャノンの言葉を遮って、ギルが呆れたように言う。それはいつもとは逆のまるでギルが教えているかのような姿で、チカが驚いて目を向ければ紫の目と視線が合い、それはニコッと笑った。


「ご主人様、朝食ハどうだっタ?」

「え、あ、美味しかったけど……ひょっとしてあれ、ギルが?」

「栄養補給用の無味ゼリーを持っていこウとしたかラ止めたんダ。あいつら、味に興味がなさすぎルからナ」

「む、無味は流石に嫌かも……」

「ダロ?」


 どうやら朝のリゾット風はギルが用意したものだったらしい。あと少しで味のないゼラチン状のものを食べさせられるところだったのかと、チカが改めて礼を言うと、ギルは嬉しそうに身体をくねらせた。


「ところで、この部屋で何してたの? 何か大声で話してたみたいだったけど」

「……こいつに頼まれて、人間の感情ニついテのお勉強のために、講座ヲしていタんダ」

「私がお願いしました。同じドールで、感情に詳しいのは彼なので」


 気になっていたことを改めてチカが聞けば、顔をうんざりとしたものに切り替えて、ギルが言う。どうやらふたりはこの部屋で「感情」について話し合っていたらしかった。

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