164、らしくないね。下向くの
『うひゃひゃひゃひゃっげほっ、ごほっ、あー、笑いすぎて自動咳き込みシステムが……ひっひっひっ』
「……何が自動咳き込みシステムよ。余計なものつけちゃって」
ジュリアスの音声は三十分たっぷりと笑い続けた。その間、止めように止められなかったメモリアルカードをチカはベッドに放る。叩きつけても押し付けても踏んでも投げてもびくともしなかったカードは、傷ひとつない状態で黒い自身を輝かせている。
ずっと笑い続け、終いには咳き込み始めたジュリアスの声へとチカは鋭い視線を向けた。
「手の込んだことして、私を馬鹿にしにきただけなワケ?」
『――おっと、そろそろ本気で壊されそうじゃ。何しろお前さんには超便利な魔法があるしの』
「……そりゃ、あるけど」
魔法を使えば、このムカつく音声はもっと早く止められたのかもしれない。しかし、使おうとはとてもじゃないが思えなかった。
一時間ほど前のザクロの声が、つい数秒前に聞こえた気がしてチカは片耳を抑える。
「こっちの気も知らないで、なんなのよ」
こちらの事情を何も知らず、魔法を「便利」と評すジュリアス。知らなくて当たり前とわかってはいても、今のチカにとってそれは単に神経を逆なでする単語に過ぎない。もう続く話も聞く気がなくなり、チカは耳を塞いだままカードへと背を向けた。
一方、ひとしきり笑い終わったジュリアスはようやく続きを話すことにしたのか、『さぁて、落ち込んでいるとこ悪いんじゃがの』と前置きをして、それから必要のない呼吸音を大きく響かせてから
『――
突然、年齢の重みを感じさせる声で言い切った。
「なっ……」
『お前さんの考えてることなんて、天才の吾輩にはお見通しじゃわい』
「あ、あんたに何がわかるって――」
『自分の選択何もかもが間違っていたかもしれない。そう思っとるんじゃろ』
いきなりの言葉に無視することも忘れて飛び起き、そこにさっきまで考えていたことを内容そのまま、続けざまにぶつけられて、チカは固まる。
『……お前さんは強い。若造とは思えんほど、芯がある。力を理解し、迷うことなく誰かを救うためにそれを振るえる。時代が違えば救世主とでも呼ばれたかもしれんの』
そこまで強いと知っている。だからわかるのだと、ジュリアスの声は続けた。
『そんなお前さんがここまで弱るなんて、自分の信じたものが揺らいだときくらいじゃろ。違うか?』
「……っ」
『仲間の裏切り……なーんてことはなさそうじゃし。恐らくお前さん自身の問題ってところまで絞り込めば、お前さんの行動パターンから考えて、あとは簡単じゃ』
違う、そう言いたかった。けれど、言えなかった。ジュリアスの言葉は今までを見てきたかのように、チカの心をピタリと言い当てていたから。
勝手に突っ走ったことが、ジュリアスを相手取ったことが間違いだったかもしれない。そもそも魔法少女になったことが間違いだったかもしれない。思いつくほどチカの足元はぐらついた。自己嫌悪で、不安で動けなくなり、そして最後に浮かぶのは「私がこんなことしなきゃ」という言葉。
「……だって、私がいなきゃ全部良くなってたかもしれないじゃない」
『確かに、お前さんは吾輩からしたら厄介な邪魔者でしかない。現にお前さんのせいで吾輩の素晴らしい計画はパーじゃ。吾輩から見れば、お前さんの妨害は無駄でしかないのう』
「っ、余計なことしたってことぐらいわかってるっての!」
『――じゃがの、そんなお前さんの思う無駄で救われた奴がおることを忘れるな』
からかうような口調から一転、真剣みを帯びた声がチカの耳へと突き刺さる。
『お前さんが止めなきゃ、小僧の機械人形はどうなっていた? 吾輩が勘定に入れ損ねた小僧の心は誰が救っていた? もしこの世界にお前さんが来とらんかったら、創造主から見捨てられたあの機械人形を誰が救った?』
「――――」
『そもそも未来なんてもんは誰にもわからん。この天才にも、天才が作り出した頭脳にもじゃ。予測はできても、必ず小僧やお前さんのような想定外が出てくる』
淡々と、言い聞かせるようにジュリアスは続けた。その言葉の一つ一つが、砂漠に染み入る水のように、チカの心へと届いていく。
「で、でも私、私がいらないこと、しなきゃ」
『それとも何か? お前さんはあやつらがどれだけ感謝しても、
「――っそんなことない!」
『……まったく。無駄だったかも、なーんてうじうじする前に見える結果に目を向けたらどうじゃ』
無駄だと断じることは、これまでを否定するのと同じ。つまりはダグやシャノン、ギルを助けたことをなかったことにしたい、と言っているのと同じなのだと、ジュリアスは言っているのだろう。少なくとも、チカはそう理解した。理解して、首を強く横に振る。
そんなチカを見ることなく、ジュリアスはどこか呆れた声で話を続けた。
『大体、完璧な未来予測なんて吾輩にもできないんじゃ。お前さんにできる訳がなかろう?』
「……こんなときにマウント取らないでよ」
ぽつりと、文句を零すチカ。しかしその不満気な声とは逆に、自身の沈んでいた心がどんどん軽くなっていることに、チカは気づいていた。
『……それに、吾輩が言うことではないかもしれんがの、全てにとっての最善などこの世界には存在せん。最善なんてもんは、それを願う者にとっての願望の塊じゃからの』
「願望の塊?」
『こうなりたい、こうあってほしい。誰だってそれを現実にしたいから己の思い描く最善を目指す。じゃが、それはぶつかることもある。治療を願う家族と、安楽死を望む患者のように。そして、吾輩とお前さんのようにの』
「……」
『人の数だけ最善があるのだから当然じゃ。そして互いに最善を目指して、吾輩は負けた。じゃがそれはお前さんなりに最善を目指した結果であって、当然、望む権利もあって……えー、だから、なんじゃ、その……』
「……わかってるよ。邪魔したことを気にするなって、言いたいんでしょ」
珍しく口ごもるジュリアスの声を聴きながら、これはジュリアスなりの激励なのか、とチカは考える。ちょっと上から目線で鼻につく物言いだったが、その声は確かに俯いたチカの背を叩いていた。
ジュリアスはしばらく言いづらそうにもごもごと小さく何かを言っていたが、それも面倒になったのか、今度は突然声を張り上げる。
『っ、ちゅーか、吾輩からしてみればお前さんの無駄だのなんだのっていうのがそもそも驕ってるって話じゃ! 悪いことは全部自分のせいみたいな落ち込み方しよって! 何様じゃ!』
「な、何よいきなり」
『小娘が与える影響なんざたかが知れとるわい! 吾輩に比べたらお前さんのやってることなんてささくれ同然!』
「ささくれって……」
勢いのある声に、チカの頭の中でくたびれたぬいぐるみピエロがズビシっとポーズを決める。その内容は、もう「変に気負うな」と言っているようにしか聞こえなくて、チカの口には笑みが浮かんでいた。
『じゃから――ごちゃごちゃ考えず、納得する方法で行動すればいいじゃろ』
「……それで、悪い方に進んだら?」
『失敗したら、なんてのは恐れて何もしないアホの寝言じゃ。……それに、お前さんには目を任せられるほど頼れる仲間がいるはずじゃが?』
吾輩と違って。そう締めくくられた言葉にチカは顔を上げる。まるで薄暗い迷宮から抜けだせたかのような、視界が開けた心地だった。
「……考えすぎだったのかな。私」
『考えすぎじゃ。らしくもない』
「っはは……うん。そうだね」
返って来た言葉にチカは笑う。まるで本当に会話をしているかのような自然さだった。
チカは床から立ち上がり、大きく伸びをする。そこにさっきまでの圧し掛かるような重さはない。状況はさっきとまるで変わらず、何をしていいのかもわからない。しかし気持ちは酷くさっぱりとして、くすぶっていたやる気は勢いよく燃え上がっている。
チカはバチンと両手で頬を挟んだ。
「よっし、気合い入った! それじゃ早速――――」
『さて、もしこれでも立ち直れんようならしょうがない。天才から、やる気のでるヒントのプレゼントじゃ』
「……ヒント?」
『テルタニスはな――』
予想だにしていなかった言葉にチカは目を丸くし、言葉の続きに耳を傾ける。そしてそれを最後まで聞き終えてから――――チカは部屋の扉を破壊した。
もちろん魔法である。ただの十七歳に扉を破壊するほどの筋力はない。もうここまで散々使ったのだから、このくらい誤差だろう、というのがチカの頭が出した結論だった。ジュリアスから聞いた「ヒント」を伝えなければならないという感情が、身体を突き動かす。
「えっ、えっ?」
「な、何でドアが……⁈」
部屋から弾けるように飛んでいった扉を呆然と眺めているのは、チカが助けたあの兄弟。ふたりは部屋から出てきたチカを見て目を丸くし、それからところどころつっかえながら、話しかけてきた。
「っ、あ、ぼく、ぼくたち、っその、お姉さんが、連れていかれるの見てて、それでっすごく、すごかったから、あのっ」
「……無茶なお願いだってわかってる。っでも、あんたがすごく強かったから! テルタニスをどうにかできるのはあんたしかいないって、そう思ったからっ、だから――」
いっぱいいっぱいになりながらも、自身の気持ちを伝える弟と、しっかりと伝えようとしながらも緊張が隠しきれていない兄。兄弟の手にはピッキングに使うような先の曲がった針金があり、その先端が小刻みに震えている。
チカは強張った、しかし期待と不安を込めた眼差しでこちらを見上げてくる兄弟に目を落とし、そしてニヤリと笑みを見せた。
「ちょうどその作戦を伝えにいくところ!」
その言葉に少年たちの表情がパッと明るくなり、チカは喜びを顔じゅうで表現する兄弟の間を通り抜け、テルタニスの掃討作戦を聞いた部屋へと足を急がせる。相変わらずの入り組み具合だったがそれはもう慣れたもので、近所を散歩しているかのような軽やかさだ。
バァンッと勢いよく扉を開ければ、端末片手に扉を開ける姿勢で固まっているザクロが見え、その奥で幽霊のような顔でこちらを睨んでいるダグと目があう。ダグの顔はひと目で怒っているとわかるものだったが、臆することなく、チカは部屋へと足を踏み入れ
「やっぱり、私もいく」
きっぱりと、そう言い切った。
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