163、マジウケるんじゃが
「えっ、ちょ、なんで――あいだぁっ⁈」
驚きのあまり跳ね起きた体がマットレスの上を弾む。なけなしのスプリングは悲鳴を上げながらもなんとかその役目を全うし、彼女は跳ねた反動でベッドから放り出された。ずでん、とそこそこに重い音が部屋を揺らし、うつ伏せに硬い床へダイブしてしまったチカは衝撃に潰れた悲鳴をあげる。
ビリビリとした痛みが上半身と顔面を中心に襲い掛かった。顔を上げれば、ぬるりとした感触があり、生っぽくしめった、鉄臭い臭いもする。しかしチカはその痛みにも垂れる鼻血にも構うことなく、見る人がいたら「逆立ちの練習でもしていたのか」と言われそうな体勢から立ち上がった。
チカは右手で鼻の付け根を抑えながら、左手でスカートのポケットを探る。ベッドから落ちる原因は、確かにそこから聞こえてきていた。中を見ずとも指で探れば声の元は簡単に見つかり、チカは慌ててそれを引っ張り出す。
人差し指と親指の間には、見覚えのある黒いチップ。SDカードほどの大きさで、表面には「L」と刻印されたメモリアルカード。確かジュリアス撃破後、招待状とは別のカードだとわかったが、指を置いてもうんともすんとも言わないため、そのまま放置していたものだ。
声は、そこから聞こえてくる。
「じゅ、ジュリアス⁈ な、なんで、どうしてあんたが――」
『おっと、先に言っておくがこれは録音された自動音声じゃ。話しかけて返事が返ってくる、なんてことは起きないので、そんなアホな真似はしないようにの』
「誰がアホよ!」
ラーフカンパニーの設立者であり、シャノンたち
「あいつはあんたの代わりに落ちたように見えた」というダグの言葉を思い出しながら、チカは指先のメモリアルカードに視線を落とす。可愛らしい少女の声にはミスマッチな、老人のような言葉遣いがどこか懐かしく感じた。
『これは特殊なメモリアルカードでの、設定対象の生体情報の変化に反応し、自動で音声を再生するようプログラムしてあるんじゃ』
「生体情報? っていうか、ジュリアスのやつ、いつの間にこんなの仕込んでたわけ?」
当たり前のように「生体情報」というジュリアスの自動音声に、チカはぶるりと身体を震わせ、ペタペタと自身を触る。まさか気づいていないだけで、気を失っていた間に変なものでもくっつけられたんじゃなかろうか、なんて薄気味悪い考えが浮かび、もう一度身体を震わせ、どこか自慢げな自動音声にドン引きの眼差しを向けるチカ。
けれど、そんな仕草に再生されているだけの音声が何か反応するわけもなく、ジュリアスの一方的な説明は淡々と続いていく。
『動悸、声のトーン、体温の変化、その他諸々から判断してるんじゃが……』
「……サラッと言うけど、マジでどこからそんな情報とってんのよ」
『まあ簡単に言うとのう。この音声は精神面での不調に反応する仕組みになっとる』
「!」
『つまりじゃ、この音声を聞いとるっちゅーことはお前さん、今精神的にまいっとるじゃろ? メンタル結構キてるじゃろ?』
「……当たり前じゃない」
驚愕のあまり忘れていたことがジュリアスの言葉で再び浮かび上がり、チカはカードを摘まんだ手を力なくベッドへと落とした。それはくたびれたスプリングに弾かれ、抵抗する気力のないチカの手は、置物のようにマットレスに転がる。
「いきなり死ぬ、なんて言われたら誰だってこうなるでしょ」
せっかく気が紛れていたのに、とぶつぶつ文句を言いながら、チカは床に座り込んだまま、頭をベッドの端に預けた。天井は薄暗く、黙ってこちら見下ろしている。ただそれだけだというのに、何故か物言わぬ天井に何もできずにいる今を責められているような気がしてきて、チカはサッと視線を逸らした。
いつもであれば被害妄想も大概にしろと一蹴できる考え。だが、今はいつもと何もかもが違う。矢継ぎ早にぶつけられる情報に魔法少女は落ち込み、疲弊していた。
「……もしもさ、私がいらないことしてなかったら、あんたもここにいたりしてね」
疲弊はチカの気を滅入らせ、それはさらに嫌な考えを呼ぶ。そしてまた落ち込み、思考は転げるように下へ、下へ。負のサイクルだ。
「私が余計なことしてなきゃジュリアスとうまい具合に手を組めてさ、それこそこんなことが起きる前に全部片付いてたかもしれないし。そもそも、私がいなければダグだってあんな危険な目に遭わずに済んだのに。ボロだって、ザクロだって」
もし、もしもあのとき。そんな考えがぐるぐると回り、その渦の中心にチカを捕らえて離さない。嫌な流れに巻き込まれていることを自覚しながらも、チカはその渦からの出方がわからなくなっていた。
「っていうかさ、魔法少女とかならなきゃよかったのよ。そしたら、こんなことにもなってないし、……死ぬことも多分、なかったし」
過去へとさかのぼり、そのたびに「もしも」が浮かんできて、その多さとどうしようもなさに、チカは乾いた笑みを零す。オレンジの瞳にいつもの輝きはなく、砂漠の砂のようにザラリとした視線を宙へと飛ばす。
「……間違いだらけだな、私。本当、馬鹿みたい」
こっちが良いと思ってとってきた行動が全て間違いだっただなんて、あまりに空回りしすぎていて笑えない。
チカは自虐的な声色でぽつりと呟くと、膝を立てて小さく丸まった。膝に顔を埋めれば、周囲の音がどんどん遠ざかっていく。身体は痛みから、そして思考からチカを遠ざけようと必死だった。たった十七の少女をこれ以上傷つけまいと、本能的に守ろうとしていた。
『ぶわっはっはっはっはっはっは! 何じゃ何じゃメソメソしおって! でかい口たたいとった小娘はどこに行った? ん?』
だが、そんな揺りかごのような守りをぶち破り、音から遠ざかっていた耳に突き刺さる声があった。
『ちゅーか、吾輩を下したお前さんがそこまで落ち込んどるとかマジウケるんじゃが! 腹痛大爆笑なんじゃが! 吾輩もう腹ないけどな!』
「人が落ち込んでんのに爆笑してんじゃないわよバーチャル美少女ジジイ!」
周囲の埃さえ吹き飛ばすような、大きな笑い声。それを聞いた瞬間、チカは反射的にメモリアルカードをメンコの如く床に叩きつける。タシーンと、どこか小気味いい音が、部屋に響き渡った。
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