162、落ち込んだ先に、吾輩
※※※
全部嘘だったらよかったのだ。そもそも自分が異世界に来てしまったことから、全て夢であればよかったのだ。
目を覚ませ、とチカは自身の頭を叩く。目を覚ませばそこはいつもの布団の上で、いつものように顔を洗って着替えてダイニングに行けば、待っているのは叔母が用意してくれる朝食。半熟の目玉焼きとトーストと味噌汁。朝はご飯が重くて食べられないと言ってから用意されるようになったいつも通りのそれを食べたら、歯を磨いて、高校へ。教室に行けば広美が待っていて、面白い授業を教科書と共に聞いて、つまらない授業をノートの落書きと共に過ごす。
放課後になったら寄り道しながら帰り道を歩き、買い物に出てきた道子おばさんと言葉を交わし、道端で管を巻いている村山のおじさんに手を振る。家に戻ったらおやつのカステラが待っていて、それを食べようとしたらスマホの呼び出し音が鳴るので、仕方なくカステラを咥えてステッキ片手に飛び出すのだ。
「……覚めてよ」
けれどいくら願ったところで目の前にある埃臭い枕はなくならず、窓のない空っぽの部屋の床は畳にならない。甘いおやつの匂いも味噌汁の匂いもない、いつまでも他人行儀な空気が漂っている。早朝の通学路の眩しさも、眠くなる午後の暖かさも、夕焼けに照らされた帰り道も、ここにはない。あるのは埃と洗剤と、そして遠いものだと思っていた死が近づいている自分の身体だけ。
気が付けば枕にはぬるいシミがついていた。ここに初めて来たときですら、こんなことにはならなかったのに、とチカは伏せっていた顔を上げ熱い目元をこする。だが、そんなチカの意志とは関係なく、枕には丸いシミが増えていくばかり。
「ぅ、う~~~、うぅぅぅぅぅっ!」
声など上げるものかと食いしばった歯から、獣が唸るような声が響く。受け入れがたい現実に手足が暴れ、ベッドに理不尽な暴力を浴びせる。しかし、それも長くは続かない。ベッドの弾力に弾かれるのも疲れ、ぐったりと吸い込まれるように腕を降ろしながら、チカは暴れていたときは熱くなっていた脳みそが、急速に冷えていくのを感じていた。
中学のころを思い出す。魔法を使いすぎるなとは言われた記憶はあるが、それで死ぬなんて言葉は聞いていない。そのはずだ。確かにそんな話はなかった。だとすれば、騙していたということなのだろうか。嘘をついていたのだろうか。
その可能性が少しでもあることに吐き気を覚え、チカは再び枕へと突っ伏した。聞かなかった方が悪い、なんて言う奴もいるが、そうは思わない。死という取り返しがつかないことが結果にあるならなおさらだ。
せめてそんなことを言う人たちではあってほしくないな、と自身を勧誘したスーツたちにぼんやりとそう願いながら、チカは天井を見上げた。
「……私、あとどれぐらい生きれるんだろう」
すっかり冷静さを取り戻した頭に浮かぶのは、考えて当然の疑問。
中学から高校まで、チカは魔法少女として働いてきた。もちろん何度も魔法を使っているし、なんなら一晩中使っていたことだってある。こっちにきてからもそれは同じだった。テルタニスから逃げるために、ネズミをどうにかするために、ギルに対処するために、ジュリアスと戦うために、仲間を救うために。
「薬物みたいなもんだ。魔法が神経を無理やり高ぶらせているから、使ってる最中は何も感じないだろう。だがな、その影響は確実に蓄積されてんのさ」
そう、ザクロは言っていた。魔法は身体に負荷をかけ、その反動で命が削れるのだと。元気だとしても魔法は身体を蝕んでいて、今は長い眠りだけで済んでいるかもしれないが、それも徐々に重症化していくのだと。
一生をベッドの上で過ごしたくなきゃ大人しくしろと、去り際に言われた一言が重く胸にのしかかる。
魔法で削れた寿命は一体あと何年なのか。五年か、十年か、ひょっとしたら明日までなのかもしれない。
そんな不可視の恐怖がどんどんとチカの気分を暗い方向へと転がしていく。
「なんで、こんなことになってるんだろう」
ただの、魔法が使える女子高校生だったはずなのに、いつの間にか異世界にいて、狙われて、気づいたら寿命は縮んでいて。
どうしてこうなったのか。自分は、どこで選択を間違えたのか。
普段であれば絶対に考えないような疑問がチカの頭をかき乱し、思考を沈めていく。段々と考えることも嫌になってきた。悩んだところで答えは出ず、気分が悪くなるようなことばかりが思い浮かぶ。もう何も考えたくない、何もしたくない。なんだか疲れてしまった。
ぼんやりとしてきた視界を瞼で覆い隠しながら、チカは身体中の空気が抜けてしまうほどの長い長いため息を吐く。こんなこと言ったって仕方がないと思いながらも、我慢しきれない弱音が口から飛び出していき、それがまたチカの自己嫌悪を加速させる。
「……魔法少女なんて、ならなきゃよか――」
『あ――あ――テステス! 吾輩マイクのテスト中――!』
「………………は?」
『テスト終了、録音確認。……おっほん、どうやら落ち込んでいるようじゃの。少女よ』
しかし視界が完全に暗闇に包まれる寸前、突如として部屋に響き渡った聞こえるはずがない声に、チカは勢いよくベッドから飛び起きた。
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