152、安堵と震えと微かな笑みと
「いき、てる?」
「おー、生きてる生きてる。どっかの誰かさんが無茶してくれたおかげでな」
「ほん、本当? 幽霊とかじゃなくて、本当に生きてる? 夢じゃない?」
「……ほら見ろネズミ。お前が変なこと言うからややこしいことになったじゃねえか」
しかめっ面でネズミを睨みつける彼にチカの手が恐る恐る伸びる。本当はここにいないのではないか、自分が見ている都合のいい夢ではないか。そんな恐れにも似た思考がチカの手を震わせる。
だが恐ろしい想像とは逆に、触れたところから伝わる確かな生命の暖かさ。
「生きてる……ほんと、本当に生きてる」
「そーだよ。おかげで五体満足だ。分かったら――うぉっ⁈」
「いきて、いぎでる――――っ! よが、よがっだぁぁぁぁぁっ!」
「あ、あんたなぁ、んな泣くようなことじゃ――」
驚いたようなダグの反応など気にもせず、チカはダグの腕を掴んだまま、わんわんとその場で泣き始める。嫌な予感が現実にならなかったという安心感に緊張の糸が切れたのか、はたまた直前までネズミの悪い冗談を信じかけていたせいか。その涙の勢いは中々止まる気配を見せなかった。
そんなチカにどうしたらいいかわからないといった表情で立ち尽くしていたダグだったが、チカの手が安堵に震えていることに気づくと言いかけていたことを引っ込め、代わりに泣きじゃくる少女の額をコツンと小突く。
「……やっぱまだまだガキだなぁ、あんた」
その顔は呆れていたが、口元には微かな笑みが浮かんでいた。
「……忘れて」
「いやあ? 中々に忘れられるもんじゃねぇけど」
「わ す れ ろ!」
数分後。我に返ったチカは涙で大洪水状態の顔をシャノンから受け取ったハンカチでぐいぐいと擦っていた。
どこか面白がるように返答するダグを、ダグの容態を見に来たらしいシャノンが窘めるように言う。
「ダグ、彼女はあなたの恩人です。いくら嬉しいとはいえ、そのような態度をとるべきではありません」
「は? 嬉しい? 俺が?」
まだ遊び足りないと言いたげな顔でニヤニヤと笑っていたダグだったが、次に固まるのはダグの方だった。シャノンはいつもどおりのスンとした冷静な顔で、淡々と言葉を並べていく。
「口角の角度が彼女を見てから数ミリほど上がっています。それに、声のトーンも高い」
「え」
「素直ではないあなたのことです。自身の気持ちを悟られないようにとしているのかもしれませんが、そのやり方は誤解を招きます。嬉しいのなら素直に伝えればよろしいのでは?」
「……」
「第一、本来であれば術後安静にする必要があるにもかかわらず、彼女が目を覚まさないと知って部屋を飛び出したのはあなた自身で」
「もういい、わかった。これ以上喋るなシャノン。頼むから」
「はい。わかっていただけたようでなによりです」
よくよく見れば、ダグは見慣れたジャケット姿ではなく、入院患者が着ているような簡素な前結びの患者着姿。シャノンの言う通り、飛び出したのは事実なのだろう。泣くことも忘れチカが目を向ければ、当の本人はわざとらしいほど大げさに視線を逸らす。
ダグはニヤけた表情から徐々に真顔になり、最終的には顔を覆って俯いてしまった。今ではすっかり身を縮こまらせ、自身の癖を声高にバラされた男子学生のようになっている。その横でシャノンは表情を変えないまま、今度はチカへと青い目を移した。
ダグを諭したものと同じトーンの声が、涼やかにチカの耳へと滑り込んでいく。
「まずはお礼を。ボロとザクロ、そしてチカ。あなたたちのおかげで彼は命を繋ぎとめることができました」
「いや、いいよお礼とか。元々私が蒔いた種みたいなとこあるし――っていうか治ったってことはパーツは手に入ったんだ。ザクロ、やっぱガッツあるなぁ」
ダグがこうして歩いて会話できるほどに回復しているということは、当初の目的であったパーツの取得は上手くいったということだろう。意識不明者を抱えた状態であったというのに流石ザクロ、とチカはガハハと笑う闇医者を想像しながら頷いた。
しかし、チカの言葉にシャノンは首を横に振る。
「いいえ、彼女は――ザクロはパーツの取得に失敗しました。我々の前に現れた時『目的を果たせず、すまなかった』と、私たちにそう言ったのです」
「え? で、でも実際ダグの治療は出来たんでしょ? 何で?」
おかしな話だった。ザクロはパーツを持って帰れず、しかしダグは治療を終えてこうして立っている。情報を処理しきれず、チカの頭にいくつものクエスチョンマークが浮かんだ。
一体何がどうなったというのか。考えるうちに首が真横へと倒れたチカに対し、今度はダグが口を挟んだ。
「確かにザクロは持っていなかった。けど、別の奴が持っていたんだ」
「べ、別の奴って」
「ボロさんだよ。……つっても、当の本人は気づいていないみたいだったけどな」
新たな事実に目を丸くするチカに、ダグはわかったことを話し始めた。
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