一難去ってまた問題

151、悪い冗談は顔だけにして

「チカちゃーん! 見て見てー!」

「二度同じ手に引っかかるかぁっ!」


 覚えのある声がした。ケントである。チカが知る典型的小学生男子であり、小学生時代に彼女が虫嫌いになった根本の原因。そして、この世界では決して会うことがないと分かっている人物である。

 似たような経験をしているが故に、すぐさまこれを夢と判断したチカの行動は早かった。

 チカは目を閉じ、わんぱく小学生男子が持ってきているであろうものを視界にいれないまま、声のする方にラリアットをかましたのだ。


「うぎゃっ⁈」

「ん? 何か妙に手ごたえが……」


 だがその時、夢にしてはずいぶんとリアルな重さの衝撃が伝わってきて、チカは思わず首を傾げる。


「いってぇな⁈ 何すんだこの野郎!」


 そして次の瞬間、ケントがけして言わないであろう罵倒がチカの耳を貫いた。



 ※※※



「――――はっ!」

「ようやくお目覚めかよこのクソアマ」


 大声に目を開けば、クリアな視界に飛び込んできたのは鼻を真っ赤に腫らせた男。

こちらを真上から覗き込んでくる顔面のドアップに、チカは思わず反射的に手をチョキの形にして突き上げていた。

 不審者対策に有用なのは反射力とためらわないことである。


「あっ、ぶねぇな⁈」

「あ、ネズミか。びっくりした」

「びっくりで人の目狙うなお前!」

「いやだって目が覚めたら他人のドアップなわけじゃん? ほら、咄嗟に危険だって思うじゃん」

「……それで初手目潰しなのはお前くらいだよ」


 ネズミは文句を言うがこういうのは先手必勝。躊躇したらやられかねない。やらない目潰しよりやる目潰しである。

 ぶつぶつと呟くネズミを横目にチカは寝ていたらしいベッド体を起こす。どうやら巣に戻って来たようだ。


「あ、そ、そうだ! ボロ! ボロが――――」


 寝起き特有のぼんやりとした思考が徐々にはっきりとしていくにつれ、チカは絶対に伝えなければいけない事実を思い出し、慌てて口を開く。出来事は山のようにあったが、これだけは確実に伝えなければいけないだろう。

 しかし、ボロの舎弟のような男の反応は思っていたよりも薄いものだった。


「ああ、知ってる。あの人またとんでもねえ無茶しやがったんだろ」

「え? あ、知ってる、の?」

「ザクロの姉さんから大体は」


 ザクロ。その名前を聞いた瞬間、あやふやだった最後の記憶が鮮明に浮かび上がる。

 気を失った自分と、そんな自分たちを連れて逃げてくれた闇医者の姿。


「そ、そうだ! ザクロは」


 だがネズミに詰め寄ろうとベッドを降りた瞬間、膝からがくんと力が抜け、咄嗟にベッドに捕まりながらチカは目を白黒させる。そんなチカにネズミは「当たり前だ」と言いたげな視線を送っていた。


「あ、あれ? 何で?」

「当然だろ。お前三日も寝てたんだから」

「は⁈ 三日⁈」

「ああ。姉さんに担ぎ込まれてからぶっ通しで寝てた。それを僕が心優しく起こしてやったってのにお前はさぁ」


 ネズミの嫌味は半分も耳に入っていなかった。三日という言葉だけがチカの頭をぐるぐると回る。この世界に来てから彼女の最高睡眠時間は更新されっぱなしだ。

 三日。それだけ眠っていたというのなら、このどこか重怠い感覚も力の入れ方を忘れた身体も頷けた。薄々気づいてはいたが、今回ボロだけでなく自分もかなり無理をしたらしい。


 そこまで考えて、チカは一番重要なことを思い出しハッとなって顔を上げた。


「ちょっと、じゃあダグは? ダグはどうなったわけ?」

「……」


 内容はもちろんダグについてである。そもそもチカ達が忍び込んだのはそれが理由だった。

 三日もあったのなら何か進展はあっただろう、と期待を込めて彼女はネズミを見上げる。しかし返ってくるのは何かを言いよどんだような沈黙だけ。

 嫌な予感がチカの頭に浮かんだ。


「ね、ねえ、黙ってないで何か言いなさいよ!」

「……あいつは、ダグは」

「まさか、だめ、だったの?」


 そもそも、内臓パーツが手に入らなかった可能性は大いにあった。チカ達は気を失っていたし、ザクロはひとりテルタニスから逃げていたのだから。

 だがそれでも、「もしかしたら」と心のどこかで希望を抱いていた。ザクロはもしかしたら偶然にも内臓パーツを見つけて、それを持ち帰れたかもしれない。もしかしたらパーツそのものがなくても、何とか回復できたのかもしれない。

 けれど、浮かんでいた希望のどれもが目を伏せたネズミの前に散っていく。気まずい沈黙の中にあるのは絶望的な否定だけ。


 チカは自身の体から力が抜けていくのを感じていた。それは何も、三日間眠っていたことだけが要因ではない。

 チカは顔を青ざめさせながら床に膝を付き、震える唇で認めたくない事実を口にする。


「ダグ、あんたが、そんな――――!」

「勝手に人のこと殺してんじゃねえよ」


 しかし、そんな悲痛な空気は部屋のドアを豪快に開け放つ音と共に霧散した。部屋にずんずんと入ってきた懐かしいその顔は、容赦なくネズミの後頭部をひっぱたく。


「おいこらこのクソボケネズミ。趣味悪ぃこと言ってガキ泣かしてんじゃねえぞカス」

「ってえな! んだよ、ちっと揶揄っただけじゃ」

「こいつの顔見てまだ揶揄ってるって言えんならデリカシー皆無賞やるよ。悪い冗談は顔だけにしとけ」


 チカは呆然と突然始まった漫才のようなやり取りを見上げていた。記憶の中のものより少し痩せたその顔は、チカの視線に気づくとニッと笑って手を上げる。


「よう。やっと起きたか、寝坊助」


 ダグが、当たり前のようにそこに立っていた。

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