138、ちょっと気づくのが遅かった

 嘘だ、と。そう言おうとした。チカの口は実際に「う」の発音をするべく尖っており、少しでも息を吹き込めば間違いなく言おうとしていたことが予想していた発音通りに飛び出したことだろう。

 だが、何も言えなかった。

 チカの口はエサを求める金魚の口の如く開閉を繰り返すだけで、嘘の「う」も「そ」も、全く発音できずにいる。怒りに身を任せていた魔法少女の振り上げた腕は天を指した状態で固まったままで、まるで一時停止を押したアニメのような有様だった。


 どうして何も言わないのか。言ってやればいいじゃないか。お前が言っていることが全くの嘘っぱちなことぐらいわかっているんだぞ、と。わかりやすすぎる罠に引っかかるほど馬鹿じゃないと、胸を張って言えばいい。いつものように不敵な笑みを浮かべて、ビームでぶち抜いて表情のわからないテルタニスのアホ面を拝めばいい。


 固まった頭の中で聞こえた声は、大体そんなことを言っていた。チカはそれを最もだと感じたし、事実、テルタニスが自分たちを揺さぶるために嘘をついている可能性の方が高い。これまでの行動を思えば、このムカつくAIがチカたちに優しく真実を伝える方が嘘くさい。

 きっとテルタニスは膨大なデータから得た知識でまんまと引っかかったチカ達を見て「馬鹿め」と笑うのだ。底意地の悪いラスボスのように油断で固まった背中目掛けて触手を伸ばし、無礼な侵入者たちを捕らえるに決まっている。


【目を背けないで。これは真実です。あなたの知る彼は、あなたの目の前にいるのです】


 だというのに、そうに決まっているはずなのにチカの身体は動かなかった。ステッキを振り下ろすどころか、テルタニスの言葉を待ってさえいた。

 その理由は機械的に聞こえたボロの声を紛れもない本物だと認識したせいであり、テルタニスが嘘をついていると断言しておきながら、「絶対に偽物ではない確証もない」などと意見を振りかざし始めた頭のせいであり、そして「まさか」と一瞬でも思ってしまったときに浮かんだ、最悪のイメージのせいだった。


【あなたが想像する通り、これは私の卑劣な罠です。知れば手を出せないだろうと分かっていて、私は彼を利用しました】


 人間は何か思わぬことに直面した時、フリーズする。例えば火事、地震、などの災害時。知り合いが事故にあったと言われたとき。家に空き巣が入ったとき。出席番号と掠りもしない日付のはずなのに授業中にあてられたとき。ショックから己を守るために、人間の頭と身体は固まる仕組みになっている。


 ビームが蛍光ピンクにぶつかり、飛沫が舞う。それは銀の冷たい機械片でなく、チカ達と同じ温度をもつもので、ピンク色が色を吸って赤黒く染まっていく。ザクロが悲鳴を上げ、チカがその場に崩れ落ち、ボロは何も言わず、テルタニスだけが楽しそうにその凄惨な現場を観察している。

 チカが想像した妙にリアリティのある光景は、ただの女子高生をフリーズさせるのに十分な効果をもっていた。


【さあ、どうしますか。この状況を、人間のあなたはどう切り抜けるのですか?】


 金属を引っかいたような機械的な声が冷たくも暖かくもない音で悪役のような台詞を吐き、その声でチカの思考は深い水底から水面に引っ張られるように、妄想から現実へと一気に引き戻される。

 だがフリーズから解き放たれても、止まっていたという事実はなくならない。


「――――チカっ!」


 遠くなっていた音が迫るように戻ってきたそのとき、ようやく自由を取り戻したチカの目は新たな銀の針が三本、こちらに狙いを定めていることに気が付く。

 三つ首の竜のようなそれらの先端に光が集まっていく中で「少し気づくのが遅かった」と、自身の意地悪な声にそう言われた気がした。

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