96、巣穴のお医者さん
「すっ、すみません! 準備に手間取ってしまって」
ばたばたと部屋に飛び込んできた褐色肌の小柄な青年は開口一番にそう言うと、慌てた様子で押してきたらしいワゴンから機材を取り出して設置していく。医療ドラマで見たことのある形状のものから、全くどう使うかわからない形状のものまで様々ものがダグのベッドを取り囲んでいく中、眠るダグの近くに吊り下がったパック詰めの液体の赤が目を引いた。
突然入ってきた青年は医者なのか、慌てながらもテキパキとした動きで準備を進めていく。フックがついた棒に赤い袋を下げると、癖のある黒髪がふわふわと揺れた。その横顔にどこか覚えがある気がして、チカはまじまじと青年に視線を送ってしまう。
「おい、パル! ……なあ、どうなんだよ」
「ど、どうって、何ですか、ネズミさん」
「何ってそのぐーすか寝こけてる奴の容態に決まってんだろうが! 医者だろお前!」
「ひぇぁぁぁあっ⁈ す、すいっ、すいませぇん!」
ネズミに怒鳴られ、それに驚き困ったように眉をハの字にする青年。その姿にチカはそのパルと呼ばれた青年が「ネズミの部下のひとり」であることをようやく思い出した。
「あ、あんたあのときの!」
「……え、あ、はい……どうも、えへへ……」
「転んで助けられたのにドローンゴミ箱にぶち込んだ恩知らず!」
「……あのぅ全くもってその通りなんですが、いたたまれないのでもう少し小さい声で言っていただけると」
目の前にいるのはチカがまだ地下にきたばかりのころ、テルタニスが来たという芝居をうちすっころんでシャノンに守られた挙句、証拠のドローンをゴミ箱に突っ込んだ張本人だ。まさかそいつが医者だったとは。
居心地悪そうにするパルは口元を笑いとも泣き顔とも言えない曖昧な表情に歪めながら、こちらの機嫌を窺うような声色を浮かべている。だがそれでも手元の動きに全くの迷いがないのは流石医者といったところだろうか。
「ネズミの不始末の件もある。君に思うところがあるのは理解しているが……巣の中に医学の心得をもっているのは彼しかいなくてね」
「いや、別にそれはもういいんだけどさ、終わったし。大丈夫なのこいつ?」
さっきの悲鳴といい、ネズミへのどこかおどおどとした態度といい、命を任せるには些か頼りなく思える青年だ。本当にダグを任せても大丈夫なのか、そう考えていたことが表に出ていたのだろう。ボロは安心させるようにチカに言う。
「頼りなく思えるだろうが彼は優秀だ。この巣の中で彼の世話になっていない者はほとんどいない。……どうだ、パル。お前から見て」
「……正直なところ、あまり良いとはいえません」
けれどそんな頼りになる医者の声は酷く暗いものだった。パルは針を刺すために剥き出しになった腕を避けるようにダグへ毛布を掛けた後、気弱そうな顔をこちらに向ける。
「内部がかなり損傷を受けてます。血の予備があってもこのままにしておいたら弱っていく一方ですよ」
「……どうにか巣の中で治療することはできないか?」
「難しいと思います。今まで集めてきた機材じゃここまでの大掛かりな治療は……」
つまりパルが言うにはこのままだとダグは怪我で弱っていく一方らしい。機材が無く、何もしなくとも時間は減っていくばかり。放っておいたらどうなるか、なんて考えたくもない。
「っ、ねえ! 何か他にないの⁈」
頭をよぎった考えに嫌な汗が流れ落ち、他に何か手段はないのかとチカは隣にいるボロを揺さぶる。とてもじゃないがじっと待ってはいられそうになかった。
「……仕方がない。あいつを頼るしかなさそうだな」
「あいつ? そいつがダグを治せるの?」
それはどうやらボロも同じだったらしい。ボロは揺さぶるチカの手を止めないまま、いつもより気合が入った声をあげる。
ボロの口からいきなりでてきた「あいつ」に、チカが揺さぶる手を止めれば、ボロは乱れた布を巻きなおしながら言った。
「ああ、医者の端くれで自分の古くからの知り合いだよ。テルタニス嫌いのくせに地上に住む変わり者だ」
まあ、あいつはこちらも嫌っているがね。そう続けるボロの声は布に遮られ不明瞭ではあったが、どこか寂しげな色を滲ませていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます