91、人間だった男のひとり言
※※※
――どうして、こんなことをしたのだろうか。
ロボットは己の手を見上げながら考える。そのたびに、ジュリアスが作り上げた最新高性能小型コンピューターはへこんだロボットの頭の中で何度も同じ結果を打ち出していた。
計測不能。不可解。彼が考え、あんなに欲していたはずの最善からは程遠い結末。
だから高性能なコンピューターは不満げに自身の持ち主に問いかける。
どうしてあの人間を助けるような真似をしたのか、と。
『……どうしてじゃろうか』
ジュリアスはぽつりと呟く。生前のしゃがれた老人の声ではない、透き通った聞き取りやすい、しかし無機質な少女の声で。
自分がやろうとしていることが考えと反していることは行動する前からわかっていた。ジュリアスには人間であった頃よりもずっと高性能で無駄のない脳みそがある。それはジュリアスが手を伸ばそうとした瞬間にはその行動を「無意味」と断じ、やる必要はないと結果を出した。
自分が作り出したコンピューターである。己の脳みそ同然のそれをジュリアスは信頼しているし、それが打ち出した結果が間違っていたことなんてない。
だが、それなのに彼は手を伸ばすのを止められなかった。
ジュリアスはずいぶんと物騒になった自身の手を見る。申し訳程度の筋肉とやせ細った骨に使い古しのタオルのような皮膚を纏わせたような弱々しい手ではない、鋭く冷たい鎌の両手。計画の邪魔になるものを排除するために作った守るためではなく、攻撃するための手段。
だというのに、その手で、自分は何をした?
ジュリアスは鎌の刃でなく、その背の部分に視線を移す。鎌の背に刃はなく、ただ刃をより鋭くするために計算されたカーブがあるばかり。
地面の崩壊に巻き込まれかけていた最中、ジュリアスはそれを使って落ちかけていた少女の背を押した。驚いたことに何もかも切り裂けたはずの鎌は、あろうことか考えていた用途とは真逆のことに使われたのだ。
ジュリアスは驚いていた。その驚愕は敵対していた少女に「助ける」という選択を生み出したことに対してであり、そして結果がわかっていたというのにそれを振り切って行動に移した己に対してのものでもあった。
周囲は暗く、場所はわからない。落ちてきた穴だけがどんどんと小さくなっていくのだけが見えるが、落ち続ければそれもいずれはわからなくなるだろう。
どうしてあんなことをしたのか。地面の崩落に巻き込まれながら、ジュリアスは再び考える。己が巻き込まれるのも厭わずに、どうしてあの少女を助けたのか。
今のうちに始末するという選択はあった。あの少女がテルタニスの手に落ちる可能性が無いわけではないのだ。テルタニスがまんまと魔法を手に入れ、更に力をつけるという最悪の結末を回避するためならば、若い芽を摘むのも仕方がない。
だから始末する可能性はあれど、助けるなんて必要はなかったはずなのだ。
それなのに、どうして。自分は――。
答えの出ない問いかけを続けながら、ジュリアスは再び己の手を見る。落ちていくばかりの時間の中では、自身くらいしか見るものがなかった。
手を見て、魔法を使う彼女に触れた瞬間を思い出す。傷つける以外では久しく触れていなかった、血の通った柔らかい肉体の感触。
――――ねえ聞いてよ! ジュリアスおじ様!
その感触に引きずられるようにして、ジュリアスの中で蘇ったのは古びた、しかしはっきりとした記憶だった。
「パパったら酷いのよ。私の顔を見るなり『寝てろ』ですって! 久々に元気な娘に会えたっていうのに!」
「まあまあ、彼も心配しとるんじゃろ。前もそう言って無理をして起きて、熱を出しとったからのう」
「うっ……。あれは本当に大丈夫だと思ってたのよ」
「ま、第一声が『寝てろ』なんてのは吾輩もないと思うがの。まったく、あやつは配慮の欠片もない」
「っでしょ? 流石ジュリアスおじ様! 聞いてよ、それだけじゃなくてこの間なんて」
記憶の中、パジャマ姿で憤慨する少女は確か、同僚の娘だった。柔らかな茶髪の巻き毛の彼女は体が弱く病気がち。だが決して気弱な性格ではなかった。伏せっている日が多くとも少女は勝ち気で、快活な言葉がポンポンと出てきたものだ。
同僚である彼女の父親は仕事が忙しいせいか研究所を兼ねた家の中、少女は度々研究員のひとりであるジュリアスに文句を言いに来ていた。内容は毎度似たようなもので、構ってくれない父親への愚痴ばかり。
同年代の子供と比べれば彼女は聡明な方だった。幼いながらに父親の仕事への理解もあり、その忙しさを分かっている。父親が自分を心配しているということも心のどこかではわかっているのだろう。
だが、そうは言ってもまだ子供だ。まだまだ甘えたい盛りだし、親に相手をされずに寂しいと思って当然だろう。
白い頬を興奮で赤く染めつつ、溜めていた会話欲を一気に解消する少女に相槌を打ちながら、ジュリアスは少女の頭に慰めるように手を乗せる。ほとんど白色になってやせ細った己のものとは違い、少女の髪はカシミヤのように柔らかく、若々しく生き生きとした艶と弾力があった。
「そりゃあさぞ退屈じゃったろう。どれ、また好きなおもちゃでも作ってやろうかの」
「本当⁈ じゃ、じゃあお話しできるおもちゃとか、作れる?」
「もちろん! 吾輩、天才じゃからの!」
「もう、おじ様ったら。天才は自分で天才って言わないのよ」
「……妙にズケズケ言ってくるところは父親そっくりじゃの、まったく」
愚痴は言うものの、忙しい父親を気遣っているのだろう。文句を言うのが父親でなく、ジュリアスというのが良い証拠だった。
だからそんな気遣い屋をジュリアスは自分の出来る範囲で甘やかした。自身を祖父のように慕ってくる少女が可愛かったし、欲しがったものは何でも与えた。最も、誕生日にお願いされた「同年代の友達がほしい」という希望には頭を悩ませたものだったが。
確かあのときはジュリアスが一日中彼女の遊びに付き合って、どうにか満足してもらったのだ。子供の全力に付き合った翌日はクタクタで、申し訳なさそうな少女の顔をよく覚えている。
同い年とまで贅沢は言わずとも、せめてもう少し若くあれば。あの日以上に己の老いを恨めしく感じたことはない。もしも自分が少女と同じ程度の子供であったなら罪悪感を抱かせずに済んだのにと、叶わない願いを思ったこともあった。
机に突っ伏した彼に無理をするな、と少女は言った。けれどジュリアスはその言葉に首を振る。
多少無理をしても、疲れても、いつも退屈そうな少女が笑ってくれるのが酷く嬉しかったから。子供らしく幸せに、少しでも楽しい毎日を過ごしてほしいとジュリアスは思ったのだ。
『――――ああ、そうか。そういうことか』
そこまで思い出を振り返って、ようやくジュリアスは己のしたことに、してきたことに納得した。
この体になってから、どうして「おもちゃを作らなければ」という使命感に駆られていたのか。「楽しさ」を「笑顔」を求めていたのか。新しい体に拘っていたのか。
一部のドールたちへの扱いに憤っていたのは本当だ。だが、その大本の理由を何故今まではっきりと思い出せなかったのか。
孫のように愛していたからこそ、あの結末を、友の選択を、思い出すことに苦しんで、苦しんで、苦しんで。だから、己の頭をコンピューターへと移す際に記憶にロックをかけたからだ。思い出す苦しみから逃げるために。
どうやら自分は、永遠に覚えていることが堪えられなかったらしい。
『……だから吾輩は、あのお嬢さんを、見捨てられなかったのか』
それでも記憶を消去するという選択を取らなかったのは、やはり愛していたからか。
ジュリアスはようやく理解できた不可解に、無機質な、だが穏やかな声で呟く。
少し似ているのだ。あの少女は、友の娘に。シャーロットに。
『すまんのう、シャーロット。お前がまだいるうちに、楽しい世界を見せてやりたかったが――――』
無機質な少女の声のひとり言は誰に聞かれることもなく、暗闇の中へ吸い込まれるように消えていく。
機械と化したジュリアスの声はそれっきり、聞こえなくなった。
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