90、後悔するより手を伸ばす

 揺れて、揺れて、そして地面は大きな亀裂が入った瞬間に一拍の静寂を置いたかと思うと、その亀裂を巨大な口のようにぱっくりと開けた。

 あっという間にガラガラと崩れ落ちた地面は、その真っ黒な穴に瓦礫も線路の破片も飲み込んでいく。底は見えず、どこに続いているかも分からない。


 ――――落ちたら、多分やばい。


 チカの魔法少女としての勘が、生きることに何よりも貪欲な欲求が、そう警鐘を鳴らしていた。亀裂に飲み込まれたら最後、どうなるかわからない。この世界はチカが知っているものよりも複雑で、何が起きたっておかしくないのだから。


「うおっ⁈」

「ダグッ! シャノン! 早くっそこから離れ――ッわ、ぁっ⁉」


 揺れと亀裂にシャノンが足を取られ、驚愕の声を上げるダグにチカは手を伸ばす。が、地面に走った口はダグたちだけでなくチカにも食いついてきた。

 ぐらりと揺れた地面に嫌な予感がして即座に飛び上がれば、思った通り数秒も置かずにばっくりと地面が裂けた。不安定な地面に、冷汗がじっとりと背中を濡らしていく。

 ここは危険だ、とチカは己の警鐘が命じるままにシャノンへと叫んだ。

 ダグが怪我を負っている以上、ここから安全に二人が逃げるためには彼女を頼るしかない。


「シャノン! とにかくダグを連れて早くここか、ら」


 だが、目に入ってきたのは落ちてきた瓦礫からダグを庇い、その衝撃で後ろへと傾いたシャノンの背中で。


 シャノンの身体が瓦礫の破片で大きく仰け反り、穴へ傾く。スローモーションのようにはっきりと、ダグとシャノンが穴へと落ちかけるのが見える。恐れていた出来事は、チカに悲鳴を上げる隙も与えなかった。


 だがふたりが揃って穴へと飲み込まれかけた瞬間、シャノンは突き飛ばすようにして穴からダグだけを遠ざけた。


「――っ!」


 地上へと突き飛ばされたダグの目が見開かれ、手がシャノンを掴もうともがく。けれど、もうその手は届かない。

 ただ、暗闇にふわりと持ち上がったプラチナブロンドがまるで水に揺蕩うクラゲのようで、場違いなほどに美しかった。

 残ったダグを見て青い目が穏やかに細められる。「良かった」と、白いドールはそう言いだしそうな顔をしていた。それは落ちている真っ最中だとは思えない程に穏やかで。

 

 悲劇的なドラマのラストシーンのような美しさ。美しいドールは己の身を顧みずに助けたかった男を救った。感動的な幕引きだった。これが絵本であれば「めでたし」の一文がつき、ドールは教訓と共に皆の心の中に刻み込まれるのだろう。


 けれど、魔法少女はそんな終わり方が大嫌いだった。


 チカはまず勢いよくギルをダグの方へと放りなげた。手荒な方法ではあったが、今は少しでもシャノンに届くための可能性が欲しかった。

 そして、チカは助走をつけて穴へと飛んだ。穴の、今も落ちようとするシャノンに向って飛び込むようにチカは宙で身を躍らせると、底へと向かいかけていたシャノンの背を蹴った。蹴って、戻した。シャノンが守ろうとした男が待つ、地上へと。


「チカ――⁈」


 シャノンの目がこちらを向く。だがその言葉にチカが答える余裕はない。

 さて、ここからどうするか。やけにゆっくりと感じられる時間の中で、チカは考える。落ちるのを見ていられなくて飛び込んだが、このままでは今度は自分が真っ逆さまだ。

 落ちていく終着点から顔を背けながら、チカはどうにか助かろうと手を伸ばす。だが悲しいことに掴めそうな箇所はどこにもなく、こちらに伸ばされる手もあと少し届かなそうにない。


 魔法は万能ではない。大体のことは出来るが出来ないことももちろあるし、どうしようもないことはある。例えば、今のような状況とか。


 落ちる、とチカは思った。「ふざけるな」と、怒ったような、泣いているようなダグの叫び声がぼんやりと聞こえてくる。どうやら自分はまた性懲りもなく、衝動的に取り返しのつかないことをしてしまったらしい。


 講習の時、散々言われたことを今になって思い出す。

「いくら魔法が使えても、出来ないことも救えないものいる。だからもし、どうしようもないときがきても自分を責めるな。自身の命を第一に考えろ」と。

 だけどその救えない「もしも」に、チカは耐えられなかった。


 後悔はない。何もしない方がきっと嫌だっただろうから。手を伸ばさなかった後悔はきっと針のようにいつまでも胸に残り続けるだろうから。

 死にたいわけでは決してない。でも、これ以外に方法が思いつかなかった。シャノンを、ダグを、ギルを。助けたいと思った全員を助けるには。

 死にたくない。でも、多分仕方がない。 

 そう考えながらチカは暗闇に落ちていく。




「……え?」


 だがそのとき、何かがチカの背をすくい上げるように押した。ぐん、と視界が持ち上がったかと思えば、上へといきなり飛び上がったチカを抱きとめるようにシャノンがしっかりとキャッチする。

 喜びよりも早く、困惑がチカを襲う。確かに自分は落ちていたはずなのに、一体何が起こったのか。

 きつく抱きしめられながら、チカはちらりと後ろを見る。けれどそこには何もない。亀裂に飲み込まれたのか倒したロボットの上半身も無く、ただ裂けた暗闇が広がるばかりだった。

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