92、終わって安心、と思いきや
※※※
沈黙が耳に痛い。
「は、早く戻ろっか」
「……」
「ほら、平気だって言っても痛そうだし、その傷」
「……」
亀裂から戻って数分。チカがちらりと隣を見れば、相変わらずむっすりと黙り込んだ横顔がある。それに対してチカは心の中でお手上げだと両手を上げた。どう接したらいいかわからないのだ。
シャノンを助けて、自分が落ちかけて、でも何故か助かってからダグはずっとこの調子だった。何を言っても反応せず、不機嫌そうに口をつぐんでいる。いつもであれば軽口のひとつやふたつは飛んできそうなものだが。
そう考えてから「実は不機嫌なフリで揶揄っているのでは?」と、もう一度隣を見て、それでもやっぱりむすっとしたままの顔にチカは途方に暮れた。
「痛くないの?」
「……別に」
「寒かったりとか」
「……そうでもねえ」
話しかけてもこの調子で、取り付く島もない。
あまりの反応の悪さに「心配してるのにその反応はないんじゃない?」と、逆切れ気味にイライラを募らせかけるチカだったが、怪我人相手に怒るのも気が引けた。
それに、ダグが黙ったままなのには何となく心当たりがある。
「……怒ってる?」
「…………別に」
その言い方は絶対怒ってるやつじゃん。絶対怒ってて機嫌が悪いやつじゃん。
たっぷりと間を置いてからの低い返答に、チカは分厚い付録が本体のような雑誌を思い出す。彼氏のお悩み特集、とタイトルがつけられたよくあるお悩み相談コーナーの可愛らしい吹き出しには、やれ「怒ると黙り込むのが困る」だの、やれ「どう扱っていいかわからない」だのと、彼女への愚痴と悩みが長々と書かれていた。
あれを教室で読んでいた時は「そこまで言うことなくない?」と思っていたチカである。が、実際にそれをやられる側になると確かにこれは面倒くさい。このくらい察しろと言わんばかりに黙っているからわからないし、聞いても碌な返事が返ってこない。
ただわかるのは、不機嫌になる要素が自分にあるということだけ。
面倒くさい。すごく面倒くさい。
具体的に言えば「わかれよ」という態度が面倒くさい。何のために口があると思っているのだろう。魔法が使えてもこっちは超能力者ではないのだ。他人の考えていることがわかるわけない。
だが、思うところがないわけではなかった。
「怒ってるんでしょ。私が勝手したから」
「…………」
「勝手に飛び出して迷惑かけたから、怒ってるんでしょ」
「……あぁ?」
「ま、当たり前よね。情報はほとんどないし、協力者って言ってたのはぶん殴っちゃった」
ふたりを巻き込むような騒動を引き起こしておいて、収穫はゼロ。被害のことを考えればむしろマイナスだ。いくら打倒テルタニスのためとは言え、ダグが怒るのも当然だとチカは思う。痛い思いをしたと言うのに、何もないのだ。
不機嫌な猫のような唸り声を上げるダグから、チカは目を逸らす。口に出してしまえば本当にその通り過ぎて、ばつが悪かった。
「……悪かったわよ。もう迷惑かけるような余計なことしないから」
「っ、おいあんた、何、勝手に納得、して――」
「わかってるから、だからもう普通に……ん?」
まだ何か言いたげなダグに対し「わかっている」と宥めたときだった。ふと、チカは自身のコルセットの隙間に何かが挟まっていることに気づく。初めは埃か汚れの類かと思ったそれは、ゴミにしては黒く、四角く。どこかで見たことのあるような形をしている。
摘まんで持ち上げれば、それはSDカードほどの大きさの黒いチップ。そして見覚えのある「L」の刻印。
それを見てチカはようやく思い出した。これはメモリアルカードだ。チカ達がここに来ることになった要因である。
だがそこでチカは「はて」と首を傾げた。持ってきていないはずのカードが何故ここにあるのだろうか。
「ねえ、このメモリアルカードってあんたが」
もしかしてダグたちが持ってきたのだろうか。そう考えてチカはメモリアルカードを片手にダグの方を見る。が、その顔を見た瞬間にメモリアルカードのことなんて頭から吹っ飛んでしまった。
「え、ちょっ、ダグ⁈」
「…………」
「ちょっと、聞こえてる⁈ ねえ!」
顔面は蒼白を通り越してもはや色がない。瞑った目はどう見ても安らかなものでなく、眉間には深い皺が寄っている。シャノンに預けられた身体は糸の切れた人形のようにぐったりとしていて、荒い呼吸だけが苦し気に繰り返されていた。
返事はない。ひょっとしたらもう、意識がないのかもしれない。
「――チカ。今は早く、彼を安静にできる場所へ」
「っあ、う、うん。そ、そう、そうだよね。早く戻ろ!」
「落ち着いて行動を。心拍に激しい乱れが生じています」
ダグの様子にヒュッ、と胃の底を冷たくしたチカを冷静な言葉が落ち着ける。それに何とか頷くと、チカはシャノンの後に続いて早足で巣を目指し始める。
手袋に包まれた魔法少女の指先は、微かに震えていた。
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