最善を選んだ男
85、魔法少女が夢見る一方で
※※※
「……おい、そいつに何をした」
『こんなおもちゃを作るなら、ナノマシンくらいは聞いたことくらいはあるじゃろ、小僧』
その場に崩れ落ちるように倒れたまま動かなくなったチカを見て、ダグは己に鎌を突き付けたままの蜘蛛を睨みつける。チカが倒れる寸前の言動からして、この敵対者が何かしたのは明らかだった。
思った通り、機械の体となったジュリアスは地面に叩き落としたダグのドローンに無機質な目を向けながら、事のタネを明かしだす。
『生体に使うナノマシンは本来、処置の難しい医療行為を行うために発展した技術じゃ。細胞レベルの大きさで体内に入り、病原となる細胞に薬を注入したり、手術が難しい箇所の腫瘍を安全に除去したりのう』
つらつらと講義でもしているかのように、ジュリアスはダグに自身がやったことを説明していく。知らない少女の声で、恐ろしい蜘蛛の姿で、ダグが知っている「あの」ジュリアスのようなことを言う。
ダグはジュリアスに関しては資料に書かれていた以上のことは知らない。だが、その資料を何度も読んだのだ。
読むたびにシャノンの元となるドールを作った会ったこともない男を尊敬し、もしも会えたならと想像した。会ったこともないのに、きっと立派な人なのだろうと、そう思っていた。
『だが、吾輩のナノマシンは特別製でのう。脳の記憶を司る部分に入ってちょいと悪さが出来る』
「……
『ちゃんと聞いておったか、耳ざとい奴じゃの。ま、カプセルに入れられない分、仕事を終えたらすぐに分解されてしまうがのう。それでも暴れる猛獣を大人しくさせるには十分じゃ』
自身の技術で倒れた少女を、人間どころか猛獣呼ばわりする技術者を見て、ダグは幼いころに抱いた淡い憧れに別れを告げる。どうやらダグが尊敬していたジュリアスは、子供の儚い幻想に過ぎなかったらしい。
「……は、ずいぶんと悪趣味なやり方で」
『何とでも言うがいい。手段が見つかった以上、こちらも行儀のいいやり方ばかりを選んではおれんのだ。この一瞬にも、虐げられているドールがいるのだから』
「その御大層な目的のためだったらこんなガキに襲いかかるのもやむなしってか?」
痛みと出血でぐらつき始めた焦点をなんとかジュリアスに留めながら、ダグは舌を動かし続ける。始めに比べて大分痛みが広がってきていた。血が流れ続けているせいか、手が震える。どこか肌寒く感じるのに、傷口だけが焼けるように熱いのが不思議な心地だった。
「あんたの言う行儀のいいやり方がどんなもんか、見てみたいぜ。ああでも、どうせ大した違いもないんだろうな」
『……小僧が。そんな状態でよく口が回るもんじゃ』
「巣穴で鍛えられたもんで」
氷のベッドの上、焼きゴテを押し付けられているような中で、こちらを見下ろす赤いレンズにニヤリとダグは笑う。痛みに歪みそうな唇を吊り上げ、歯の隙間から息を吐く。チューブから空気が抜けるような、シューっという音が静けさを強調するように響いた。
「なあ、死ぬ前に教えてくれよ。何でドールのためにそこまでする。何があんたをそこまで壊した?」
ダグは口を動かし続ける。ジュリアスの原因になど、さほど興味はなかった。どうせ聞いたって今聞いたところでどうしようもない、お涙頂戴の悲しい悲しい過去があるだけだろうから。
だが、今は時間が欲しかった。考え、この状況をどうにかする隙を探すための時間が、ジュリアスがダグの首に鎌を食い込ませるまでの時間が、一秒でも長く欲しかった。
『本当に、よく回る口じゃのう』
「いいだろ、どうせ放ってほいても俺は死ぬんだ。それまで仲良くお喋りといこうぜ」
考えろ、考え続けろ。止まるな、生きるための逃げ道は必ずある。
薄い氷のような笑みとは裏腹に、熱暴走を起こしそうな勢いで頭を回転させながら、ダグは薄く唇を開く。
「あんたに何があったんだ? くたばっちまう前に教えてくれよ」
『……何だも、何も、
「あ? オヤって、なんだよ」
『ああそうか。お前さんら住民はもうほとんどがテルタニスの創造生命じゃったか。そりゃあ親心なんぞわかるわけもない』
聞いたことのない単語に首を傾げるダグを置いて、ジュリアスは勝手に話を進めていく。そして恐ろしいロボットは口を開きかけたダグを黙らせるように、その鎌をダグの首へと寄せた。
『さて――、涙ぐましい努力じゃがタイムアップじゃ、小僧。吾輩はこれ以上、時間をかけるわけにはいかんのでな』
幼く可憐な声が冷淡に、最期を告げる。
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