84、トラウマに勝つ

「あとさ、何空き巣するレベルで金に困ってるくせに十円とか一円とかばらまいていくわけ? 意味わからん。つーかそれ以前に金ないからって空き巣すんな。あと――」


 それからたっぷり数分。チカはこの際だからと溜まりに溜まった鬱憤を晴らしていた。

 小学生時代から高校になるまでの数年分、地層のようにチカの中で重なり続けていたストレスは、一度吐き出されると止まることがない。口からは流れる水の如く、つらつらと罵倒と不満と文句が飛び出し続ける。

 もちろん口を動かしている最中に足を動かすことも忘れない。どうせジュリアスがチカを嵌めるために作った空間なのだ。思う存分利用してやったって罰は当たらないだろう。


「はぁ―ぁ、私も何でこんなしょぼくれ男にいつまでもビビってたんだか……」


 背丈は父より低く、体躯はダグといい勝負の痩せっぷり。帽子の下の髪は長いこと手入れしていないのかぼさぼさで、キューティクルもへったくれもない。マスクと帽子に挟まれた目は、怯え切った小動物のように泳いでいる。

 記憶で、悪夢で何度も見てきた鬼のような姿からはあまりにもかけ離れた風貌だった。その姿であんなにもチカを苦しめていたはずなのに、今の男の姿は恐怖より憐みの方が勝る始末。包丁を握っていた時の威勢はどこへやら、魔法少女のつま先で転がされるたびにビクビクと体を震わせる様は何とも情けない。


 小さい頃の記憶はあまりあてにならないな、とチカは足元で転がった空き巣を見下ろしてため息を吐く。記憶の中ではあんなにも大きく恐ろしい化け物にすら見えた男は、改めて見ればどこまでも平凡で貧相なただの成人男性だった。どうやらいつの間にか空き巣という恐怖が心の中で肥大化しすぎていたらしい。


「ご、っご、ごめ、さな、お金、ほしっ、ほしく、て」

「……あ?」

「しんど、くて、仕事っ、やってもつづかなく、て」


 床に転がったままブツブツと何か言い出した男の言葉に、チカは新聞の見出しに続く文章を思い出す。

 金目当ての犯行。男には金がなく、仕事がなく、安心できる日々がなかった。確かそんなことが書いてあった気がする。

 貧しさにわかりやすいほど追い詰められた男の凶行。貧しさが、不安感が男に空き巣という犯罪に手を染めさせ、包丁を握らせた。

 そう考えればこの男も貧しさの犠牲者と言えるのかもしれない。


「だから、本当っ、傷つけるつもりとか、なくって、いないと思ってたから、驚いて、それで、俺っ!」

「黙れボケ」


 が、魔法少女はそんな哀れっぽい男の語りを無慈悲にぶった切る。


 ステッキをおでこにドゴッと打ち付け、物理的に男を黙らせてからチカはフン、と鼻を鳴らした。足元を見下ろすオレンジの目は冷ややかで、そこに魔法少女としての慈悲や優しさは欠片も感じられない。

 身を切り裂くような怒りを感じたのか、男はビクッと身体を大きく竦ませた。


「どれだけ辛いとかしんどかったとか、こっちの知ったこっちゃないのよ。あんたのせいで父さんも母さんも痛い思いして、私は何年も苦しんで。……傷つける気がなかった? 人の親刺しといて、どの口が言ってんのよ」


 確かに男は苦しかったのかもしれない。だが、その矛先をチカ達に向けるべきではなかった。その事実は変わらない。どれだけ可哀そうだったとしても、その誤ったやり方のせいでチカ達は傷つき、立ち直るのに何年もの時間を要したのだ。

 そして、その時間はもう二度と戻ってこない。たったひとりの、男に振り回されたせいで。


 チカは倒れたままの男の胸倉を掴み上げ、その目を睨みつける。男の暗い目の中に、チカのオレンジが燃え盛る炎のように映り込んだ。

 

「自分の意志でやったくせに、包丁を握ったくせに、可哀そうでしょって勝手に許されようとしてんじゃないわよ!」


 魔法少女の視線が男を焼き、まっすぐな言葉が無抵抗の男にトドメをさす。

 男はチカの声に目を丸くして、それから泣き出しそうに顔をぐしゃぐしゃに歪めると、溶けるようにその場から消えていった。


「お? 消えた」


 よくわからないが、これはジュリアスが見せたトラウマに勝ったということでいいのだろうか。

 いきなり消えた男に驚いてきょろきょろと辺りを見渡すと、これまた同じように目を丸くしている両親と目が合う。ふたりは己の娘がやり遂げたことをまだ上手く呑み込めていない様子だった。


 それにチカは一瞬、何と説明したものかと考えるが、消え始めている実家とふたりを見て、その悩みも不要だったかと用意した説明を投げ捨てる。

 その代わりに、チカはにっと笑ってピースサインを作って見せた。現実でも、まだ自分を幼いときのままだと思っているらしい両親を安心させるように。


「強くなったでしょ、私」


 それを見た両親はまた驚いたような顔をして、けれど完全に消える寸前にチカの表情に答えるように笑っていたのをチカは見逃さなかった。

 元の世界に戻ったら、久しぶりに帰ろうか。

 そんなことを考えている間に、チカの視界は眩い光に包まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る