83、魔法少女は振りかぶる

 チカは幼い日以来、久々に見たぐちゃぐちゃの我が家と空き巣の姿を見ながらあの日のことをぼんやりと思い返す。


 空き巣の最後は実にあっさりとしたものだった。玄関近くにいた集団下校グループの騒ぎで異常事態があっという間に近所の住民に知れ渡り、通報に即座に駆けつけた警察に捕まったのだ。

 ついさっきまで鬼のような形相をしていた男がサイレンの音を聞いた途端、しなびた野菜のように生気を無くしてその場にへたり込んだことをよく覚えている。包丁を落とし、顔を覆って「終わりだ」とブツブツ言い続ける男は、無抵抗に手錠をかけられてパトカーに押し込まれた。

 化け物のようなことをしたくせに、その情けない後ろ姿は人間にしか見えなかった。


 命に大事はなかったものの、両親は入院。当時幼かったチカは、事件現場から遠ざけられるように少し遠い親戚の家に預けられた。


 初めの頃こそふさぎ込み、包丁を見るだけで泣きわめくほど不安定だったチカだったが、優しい叔父と叔母、何かとチカを気にかけてくれるご近所名物の村山おじさんと道子おばさん、そして転校先でできた新たな友人のおかげで、何とか普通に生活できる程度には持ち直すことができた。

 幼い日より多少気性は荒くなったが、それでも空き巣のあった日のことを夢に見て、枕に顔を押し付けて泣きじゃくっていた頃よりはずっとマシだとチカは思っている。空き巣のことを考える時間は日がたつほどに減っていき、中学に上がるころにはふと思い出す程度にしかならなくなった。


 月日は過ぎて、両親は小学校の卒業間際には退院し、家もめちゃくちゃな状態からどうにか戻った。お世話になった親戚に菓子折りを持ってやってきた父と母は、こっちに戻ってきてはどうかとチカに言った。病室の外で見るふたりにはどこか違和感があったことをよく覚えている。

 そんな両親からの申し出だったが、チカが「広美と一緒の中学校に通いたい」と言って断ると、ふたりは驚いたような顔をしていた。前もってここに居たいと相談した叔父叔母夫妻からの援護もあって、チカはまだしばらく家には戻らないことになった。


 両親の乗った車のナンバーが小さくなっていくのを見送りながら、チカは戻らなくていいことに内心ほっとしていた。

 別に広美と同じ中学に通いたいという言葉に嘘があるわけではなかったが、それは戻りたくない理由の一部にしか過ぎない。


 本当のことを言うと、チカは家が恐ろしかった。もういないとわかっていても、あの日と同じ玄関に立つと思うと足が竦んで、指先が震えるほどに。


 ドアを開けたら、またあの時と同じ光景が広がっているのではないか。もしかして、空き巣はうまいこと逃げ出していて、あの家に戻ってきているのではないか。

 そんなありもしないことをいくつも思い浮かべて、チカはあの日の記憶からは決して逃れられないのだと、そう思った。いくら月日が癒したように思えても、酷い傷跡がいつまでも残るように、あの恐怖はぬぐえないのだと。


 そして、今。

 チカは幼い日に見た家を見る。めちゃくちゃになった部屋と、倒れる父と自分を庇おうと走ってくる母と、泡を飛ばしながら包丁を振り上げる空き巣を見ている。


「う、ぁ、わっ、うわぁぁぁぁぁっ!」

「チカっ⁈ や、やめて! その子に、手を出さないで!」


 言葉もあの日のままに、チカの目の前で再びあの惨劇が起ころうとしていた。塞がりかけた傷をほじくり返すような、悪趣味な舞台がチカを蝕まんと幕を上げる。


「……こっちもいい加減、勝手に心の中に居座られるのにはうんざりしてたところよ」


 だが胸の痛むようなそれを前にしても、魔法少女は目を閉じることも逸らすこともなかった。傷にあえて塩を塗り込むように、チカは己のトラウマと対峙する。

 足が震える。幼いころの恐怖がチカを飲み込もうと覆いかぶさってくる。

 けれど、それでもチカは視線を逸らさずに、空き巣に向って言った。自分はもう、泣いて逃げてばかりの女の子じゃないのだ。


「ご丁寧にあの頃と全く同じのを見せてくれたわけだし、ちょうどいいわ。ありがたく利用させてもらおうじゃないの。私のリベンジに!」


 切りつけられ痛みを主張する腕を無視し、変化を象徴するステッキをバットのように構えながら、チカは不敵な笑みを浮かべる。守ろうとする母の身体を庇うように一歩踏み出して、チカは空き巣の顔面に向ってステッキを振った。


「人の心から――っ出てけこのクソ空き巣!」

「――っぐ、ぎゃぁ⁈」


 ホームランでも打つかのような美しいフォームで、チカのフルスイングしたステッキは正確に空き巣の頭をとらえた。頭蓋骨に硬いものが衝突するドガゴッ、という鈍い打撃音と共に、空き巣の身体が地面へとひっくり返った頭の反動で宙に浮く。

 空き巣は痛みと衝撃に潰れた悲鳴を上げながら、べしゃりと床に崩れ落ちた。


「……あと、子供の貯金箱にまで手ぇ出してんじゃないわよ。金返せこら」


 チカは床に伸びた空き巣にまだ終わりじゃねえぞと言わんばかりに、足でゲシゲシと追撃を仕掛ける。その表情は長いこと抱えていたものから解放されたような、どこか晴れ晴れとしたものだった。

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