チカのトラウマ

80、悪夢に怒声を上げて

「オラァ! ジュリアスこの野郎よくも好き勝手しやがったなこのボケカスが!」


 協力だのなんだの聞こえのいいことを言っておきながら利用する気満々とかどこの悪役だ、そう息巻きながらチカは跳ね起きる。さっきの不自由さなど嘘のように素早く腕を伸ばしてステッキを力強く構えながら、怒りのこもった声で叫んだ。


「今までの分も倍にしてぶち込んでやるから覚悟して――……ん?」


 こっちの善意につけ込みやがって覚悟しろ、と魔法を撃ち込むために前方を睨みつける。だがそのとき、チカは目の前に怒りのぶつけ先がないことに気づく。


 改めて辺りを見渡せば、そこにはジュリアスどころかダグの姿もない。自身が立っている場所も暗い線路の上だったはずなのに、いつの間にか白色ばかりが続く無機質な空間になっていた。


「……どこよ、ここ」


 明らかに状況がおかしい。わかりやすく異常な事態にチカは一旦振り上げたステッキをおろす。どうやらまだジュリアスをぶん殴ることはできないらしい。

 怒りに沸騰し、早く殴らせろと喚く己の感情を抑えながら、チカは混乱する頭の中を整理する。ここはどこなのか、ふたりはどこに消えたのか。


「ええっと、確か目が覚めたらダグたちがボコられてて、それで目の前に蜘蛛の足が……で、それをぶっ飛ばしたら急に具合が悪くなって」


 そうだ。ジュリアスに何かをされて、それで意識が遠くなったんだった。


 最後に見えた横たわるダグと、こちらを見下ろしてくるあの無機質な赤いレンズを思い出し、またふつふつと抑え込んでいた怒りが沸いてくる。

 もしかして倒れたあと、ジュリアスに連れてこられたのだろうか。あの男はチカの魔法にずいぶんと興味を示しているようだったから、研究や実験をするためにどこかに移動させたのかもしれない。


 と、そこまで考えてからチカはあることを思い出す。それは意識を失う寸前、ジュリアスが言っていた内容だ。


「そういえばあいつ、何か言ってたような。……何とか馬? とかなんとか」


 意識がもうろうとしていたせいか肝心な部分がうまく思い出せないが、何かとても嫌なことを言っていたような、そんな気がする。

 思い出した方がいいことのような気がして、どうにかぼやける思考からその時の記憶を引っ張りだそうとチカが目を閉じた、そのときだった。


「……――ぃ、お――い!」

「……ん?」

「お――い! チカちゃーん! 見て見て――!」


 突如として聞こえた幼い子供の声にチカは俯きかけていた顔を上げた。聞き覚えのある、ずいぶんと懐かしい声だ。具体的に言えば、小学校ぐらいのころのクラスメイトの声。

 だが、それも変な話だった。ここは異世界で、そもそもチカは高校生だ。同学年のクラスメイトがあのときと変わらないまま、なんてことあるはずがない。

 これもジュリアスの策なのか、そう考えながらチカは声の主に強い警戒心のこもった視線を向ける。が、それを見た途端に鋭かった目はみるみる内に見開かれ、怒りの表情は驚きと恐怖の混ざったものへと変わっていった。


「ケ、ケント⁈ あんた何でここに」

「ね、見て見て! すっごいでっかいの捕まえた!」

「……その手にもってるのって、ねえ、ちょっと、やめてよ!」


 見えるのは間違いなく小学生のころのクラスメイトだった。キャラクターのついたトレーナーは彼の、健斗のお気に入りで、よく着てきていた。名前の通り健康で活発、絵にかいたような小学生男児で、膝小僧に絆創膏が無かった日はほとんどない。通信簿に「元気すぎる」と書かれるような、明るく元気なクラスの人気者で、そして――


「ほら! 特大ダンゴムシ! 絶対ボスだよこいつ!」

「おわあぁぁぁぁぁぁぁっ⁈ 裏見せるな近寄るな走ってくるな――っ‼」


 ダンゴムシやらカブトムシやらが大好きな、チカの虫嫌いの原因となった男である。


 何故か満面の笑みでダンゴムシの裏を見せながら走ってくるケントにチカは鳥肌をたてながら、脱兎のごとくその場から駆けだす。だというのに、ケントは遠くなるどころかますますその距離を詰めてきた。


「ねえねえ見てってば。すごい大きいから」

「見たくないっつってんでしょ⁈ あんたはそうやっていつもいつも――っ!」


 そうだった、ケントはこういうやつだった、とチカは無邪気に声をかけてくる小学生男児に青筋を立てながらスピードをさらに上げる。


 小学校時代、頼んでもいないのに、というか嫌がっているのにケントは飽きもせずチカにせっせと虫を見せにきた。それは間近にダンゴムシを突き付けられてとうとうブチぎれたチカがランドセルをケントの後頭部にぶつけるまで続いたし、一連の出来事は「ダンゴムシランドセル事件」と、まんまな名前をつけられてしばらくクラスを賑わせた。


 とにかく人の言うことを聞かないし、妙なところで頑固な奴なのだ。現に今だって、嫌がるチカの後ろをダンゴムシ片手に追いかけまわしている。

 いい加減にしろこのわんぱく小学生が、とチカが続けて怒りを言葉にしようとしたその時、ケントはとんでもないことを言い始める。

 

「そっか。もっと大きい方がよかった? じゃあ――」

「は? ちょ、ちょっともっと大きいのって、まさか」


 ケントが小首を傾げ、「じゃあ」と言ったその瞬間、チカの必死の拒絶も空しく巨大な影が空から降ってくる。突然のことに、彼女は反射的な反応で上を見上げた。見上げてしまった。上から降ってくるものを、はっきりと見てしまった。


 それは悪夢のように巨大さで、生々しくうぞうぞと動く足を見せつけてくる、脳が考えることを拒否するような、怪獣のような大きさのダンゴムシ。


「ひぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――っ⁈」

「どうどう? すごいでしょ!」


 蠢く裏側を直視した瞬間、チカは周囲をビリビリと震わせるほどの悲鳴を上げ、ケントはニコニコと無邪気な声を上げる。

 悪夢のような状況だった。気絶できるものならしてしまいたかった。

 あまりのことの連続にふっ、と意識が遠のきかけたその時、似た状況に脳が刺激されたのか、ようやくジュリアスの言葉を思い出した。


 ―――過去の傷トラウマの中で、ゆっくりとな。


 トラウマ。つまり、思い出したくもない出来事。

 

「あんのクソ野郎が――――っ!」


 ようやくこの状況に合点がいって、チカはあらん限りの怒りを込めて叫んだ。最悪極まりないこの状況を作り出した、犯人の顔を思い浮かべながら。

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