73、そして光が目を覚ます
さっきまでの激しい銃撃音などなかったかのように、辺りは静まり返っていた。
暗い線路の上には上半身がぽっきりと折れた蜘蛛が横たわり、動かない。この場を支配していた少女の声も、もう聞こえなかった。
「……どうにかなった、か」
一か八かの賭けに勝った、とダグは張りつめていた息を吐き出しながら強張っていた筋肉を弛緩させる。途端、思い出したようにじくじくと痛みを訴え始めた脇腹に顔を顰めながら、ダグはなるべく傷に響かないようにゆっくりと身体を動かした。
本当は多少無理をしても今すぐにここから離れたかったが、今この場でまともに動けそうなのはダグだけだ。もし無理してダグまで動けなくなったら目も当てられない。
隣で相変わらず眠ったままのオレンジ髪をそっと小突く。ずいぶんな騒ぎだったというのに暢気なものである。
「おい、いつまで寝てんだよ。マジでヤバかったんだぞ。……ったく、本気で死ぬかと思った……」
正直なところ、考えた作戦が失敗する可能性は大いにあった。もしダグの想像通り、蜘蛛に感情機構が搭載されていなかったら、ダグの言葉に耳を貸すことなく冷静に対処されていたら、そもそも感情のある振る舞いがただの「フリ」だったとしたら。成功よりも失敗で台無しになる道の方が多いくらいだ。欠陥だらけの計画にもほどがある。
だがダグはその糸よりも細い道に賭け、そして勝った。蜘蛛のドールに向ける感情が本物だという可能性を信じた。それ故の勝利だった。皮肉にも、蜘蛛は本気でドールのことを考えていたがために負けたのだ。
とにかく、ここから離れよう。そう考えてダグは痛みを訴える身体に鞭を打って立ち上がる。極度の緊張状態が解けたせいか、気を抜いたら膝が笑ってしまいそうだったがなんとか気合で堪える。いくら脅威が去ったといって、いつまでもここで寝転がっているわけにはいかなかった。
「シャノン、動けそうか? 動けるならそこに転がってる馬鹿を――」
寝転がったままのチカの腕を引っ張りながら、ダグはシャノンに声をかける。動かない者が何人もいるとなると移動も一苦労だ。
だが、ダグが移動を始めようとしたその時だった。
『――油断、した、のう。小僧、お前の言う通りに』
視界の端で銀色が素早くうごめくのが見えて、ダグは咄嗟にそれを避けようと身体を捻る。が、それは少しばかり遅かったらしい。
蜘蛛の足だけが迫って来たかと思うと、ダグの視界は後ろに向って吹っ飛んでいた。ダグは頼りない棒きれのように飛んでいき、壁に背を打ち付ける。肺と胃、両方から空気が吐き出され、衝撃に視界が明滅を繰り返す。
「がっ……⁈」
『やれやれ、まさか小僧に、ここまでされるとはの。まったく、想定外じゃ』
「な、で……動け……て」
ずるずると壁を背にもがくダグの目の前では、当たり前のように蜘蛛の足だけが動いていた。ギルとシャノンとダグでようやく真っ二つにしたはずの蜘蛛の体。その下半身が当然のように自立して動き、ダグを薙ぎ払ったのだ。
奥では寝転がったままの蜘蛛の頭が鎌を支えのようにして起き上がりながら、こちらを観察しているのが見える。
赤い目でじっとこちらを伺いながら、蜘蛛の足は素振り練習でもしているかの如く、二、三度足を振った。
『ふむ、やはり足だけじゃと大雑把な動きしかできんのう。要改良じゃな。頭と足、両方を別々で動かすには相応の計算量が必要になる……』
年季のはいった研究者のような口ぶりの少女の声を聞きながら、ダグは目の前が真っ暗になるような気分を味わっていた。
あれだけ痛い思いをして、ドールふたりが渾身の攻撃をして、ようやくどうにかなったと思ったのに、蜘蛛にとっては折れることなど最初から取るに足らないことだったらしい。
ここはもう力を合わせて解決して、それで終わりの流れだろ。ふざけるな、なんて八つ当たりにも似た怒りが沸き上がり、ダグの頭を駆け回る。そして、同じくらいの落胆と絶望がその怒りで生まれた最後の気力を奪い取っていった。
ギルもシャノンも倒れたままで、チカは目を覚まさず、自分は碌な抵抗も出来ず。そんな状況の中、ダグの心に浮かぶのは情けない諦めの言葉だけ。
――こんなのもう、どうしようもないじゃないか。
『さて、問題点も見つかったことじゃし、幕引きとするかのう』
「……ち、くしょ……!」
『ではな、小僧。これ以上吾輩の計画を邪魔されると困るのでな、許せよ』
蜘蛛の足がゆっくりと持ち上がり、その鋭い先が自身の胸に照準を合わせるのを止めることもできない。これからされることを避けることも阻止することもできそうにない。
彼に許されたのは、ただそれを見ていることのみ。
『足の操作はそこまで慣れとらんのでな。痛み無く、なんて芸当は無理じゃろうが……。なあに、なるべく早くやってやるからの。気を楽にしとけ』
まるでこれから擦り傷の手当てをするかのような気安い口調で、蜘蛛は鋭い錐のような足をトンと置く。ダグの胸の中央、穴が空けば確実に死に至る位置。蜘蛛に穴を開けかけられた脇腹が、ジクジクとその痛みを主張する。
ゆっくりと、ゆっくりと、その位置を間違えないように蜘蛛の足が振り上げられる。ダグの命を握るものが、胸の上にある。
『では、せいぜい安らかに』
そして、死が、降ってくる。
『ぐ、ぅっ⁉』
閃光。そして、轟音。少女の悲鳴。
一瞬にして目の前が明るくなった。今までが暗かったせいか、あまりの違いに目が眩む。
死にあらがえず、ダグは目を閉じかけたはずだった。けれど、まるでそれをこじ開けるように、その光は容赦なくダグを照らす。
目の前には見覚えのあるステッキと、弾き飛ばされたように転がる蜘蛛の足。
ついさっきまで寝ていた少女は、声に少し申し訳なさそうな色を滲ませながら言う。その手は頼もしく、ダグの背を支えていた。
「ごめん、寝すぎた」
燃えるように煌々としたオレンジ色。それがどうにも目に染みて、ダグは乱暴に目を擦った。
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