72、彼は彼なりのやり方で
『せめてこんな場所でなく、もっと清潔な場所に寝かせてやりたいんじゃが』
蜘蛛はそう言うと悲し気に伏せた赤いレンズをギルに向ける。無機質なひとつ目にも関わらず、表情は豊かなものだった。その体はピエロのときよりよほど冷たい見た目だというのに腕が吹き飛んだドール相手に心を痛めているのがよくわかる。
本来であれば外敵に向けるのであろう鎌はその鋭さを決してドールに向けなかった。髪の毛一本たりとも切らないような慎重さで鎌の背を使いながら、蜘蛛は見た目に似合わない器用なやり方でドールに触れている。
『……それで、小僧。お前を守ってくれるものはもういなくなったわけだが』
蜘蛛の声がふいにこちらを向く。ドールに向けたものとはあまりに違うその固さにダグの肩がびくりと跳ねた。
『ひとりでまだ何かする気か。』
「……生憎と、諦めが悪いもんでね」
『まったく、弱いなら弱いなりにもうちっと賢い立ち回りがあるだろうに』
さっきまでとはうってかわった敵意が剥き出しの声。それに恐れを見せないように腹に力を入れながら、ダグは軽口を叩く。
左手は上着のポケットの中、ドローン操作の端末を音を立てずに操作しながら、ダグは開いた右手で挑発するような握りこぶしを作って見せる。
「俺としてはそうやって油断してくれる方がありがたいね。そうやって余裕ぶってる奴ほど驚いた時が面白れぇからさ」
ゆっくり、慎重に。軽い口調とは反対に、ダグは背に汗を流しながら蜘蛛の背後に忍ばせていたドローンを操る。赤いレンズがこちらを向いている間がチャンスだった。少しでも振り向かれたらダグの考えている流れは全部おじゃんだ。
振り返るな、こっちを向け。
祈るようにそう繰り返しながら、ダグは口を動かし続ける。地下で暮らすようになってからというもの、ダグの口は施設にいたころよりずっとよく回るようになっていた。
「つーかよ、何でそこまでこいつに拘る? やりたくないことまでやってよ、そこまで魔法の力ってのがほしいのか?」
『お嬢さんの傍にいたなら小僧もわかってるじゃろ。その子の力をうまく使えばテルタニスに対抗できる』
「だから追いかけまわしてボコボコにしたって? ずいぶんなやり方だな」
『……別にお前さんの理解なんぞいらんわい。吾輩は吾輩のやり方で、今をより良くしようともがいとるだけじゃ』
「俺の理解はいらなくたって、こいつのは欲しいだろ それともあれか? お前も結局根本的なところはあのクソAIと同じ――」
『違う。吾輩をあれのやり方を一緒にするな』
苛立ったように蜘蛛が鎌を地面に打ち付ける。本当に喜怒哀楽が激しい機械の蜘蛛だった。
その態度に片眉を上げながら、ダグは相手を苛立たせるような笑みを浮かべる。
「何が違うんだよ。言うこと聞かねえ奴はボコって良くするだとか大層なこと並べ立てて、結局お前もテルタニスも同類じゃねえか」
『違う! 吾輩は――』
「いいや、違わねえ。……いや、対象は違うか。あんたはどうやらずいぶんな人間嫌いで、その代わりとんでもなくドールにご執心みてえだからな」
可哀そうに、という蜘蛛の言葉はダグたち人間に向けられたものではなかった。哀れむようなその言葉は、慈しむような声はいつだってシャノンやギル、つまりはドールに向けられていた。
「違うとこはあんたはドールのためで、テルタニスは一応人間のためってとこだろうな。ま、あのAIがどこまで本気なのかは知らねえけどよ」
ゴミ捨て場での一件を思い出す。テルタニスは人間に手を出したギルに容赦なく「処分」という判断を下した。あのAIにとって機械化した人間はドールよりも上の存在だ。目の前の、ドールのために人間を痛めつけた蜘蛛とは違って。
ダグは睨みつけるような赤い視線を一身に受けながら、口とポケットの中の端末を動かし続けた。
あともう少しで、準備が完了する。
「この馬鹿があんたのとこにお邪魔してる間、ちっと調べさせてもらったよ。ラーフカンパニーが襲った企業ってのはどいつもこいつもドールにとっちゃクソみてえなとこだった」
『――――』
「ドールへの過度の体罰にパーツがオーバーヒートを起こすまでの過剰労働、メンテナンスをしないのは当たり前で……ああ、中でも馬鹿が私欲のためにドールをちょろまかして持って帰ってた、なんてのも」
『黙れ。もう、それ以上口を開くな』
「まあ、あんたはその大事な大事なドールの腕を引きちぎって叩きつけたわけだが。どうなんだよ。成すべきことのために、一番大事なものを傷つける気分ってのは」
『小僧、言わせておけば、お前――』
射殺すような視線に焼かれながら、ダグはぎこちなく口角を上げた。
そうだ。それでいい。ずっと、こっちに夢中になっていればいい。周りのことなんて目に入らないほど、こちらに怒りを向ければ――。
『……なんての。小僧のやりたいことなんぞ、分かり切っとるわい』
一瞬の出来事だった。
「は」
『ほれ、このあたりかの。お前さんの考えそうなことじゃ』
あと少しで砲身を構え終えるところだったドローンが蜘蛛の足にによって、その真後ろで粉々に砕け散る。赤い目は依然として前を向いたままだというのに。
カツンカツンとパーツが散らばる音を聞きながら、ダグは呆然と自身の勝ちの芽が摘み取られていくのを眺めていた。
赤い目がダグを見る。あ、と思ったときにはもう遅かった。
焼けるような痛みが、ダグの脇腹を襲う。
「――っ!」
『大方吾輩を怒らせて、その隙でも狙っとったんじゃろうがやり方が甘い。そんな見え透いた方法なんぞ、すぐにバレるに決まっておるじゃろ』
「ぅぁ、ぐ……っ」
『痛いか? そうじゃろうなあ。お前さんら人間には、痛みがあるからなあ。辛かろう』
そんなことを言っているくせに、蜘蛛は鎌をどかそうともしなかった。
蜘蛛の鎌が脇腹からじわじわ広げていく嫌な痛みに脂汗が止まらない。鉄臭い臭いが鼻につき、染み出した液体が服を湿らせる。
暗闇の中であることだけが幸いだった。見えてしまえば、きっと感じる痛みは今以上だっただろう。
『けどなあ、きっとドールたちはそれ以上の苦しみだっただろうよ。吾輩は人間の友として、よき助け相手として彼らを生み出したというのに、こんな奴隷まがいのことをさせられて、しかも作り出した親はそれを増長させておる』
可哀そうに、とまた蜘蛛が言う。ひとり言のように落とされたそれは、暗い通路の中を寂しく転がっていった。
『あやつに任せていては、吾輩の生み出した可愛い我が子たちが報われん。だから吾輩はお嬢さんの力を借りてテルタニスを破壊する。それが褒められたやり方じゃなくてものう』
ぐっと鎌に力がこもるのを感じる。生臭い鉄の臭いがより濃くなって、ダグの鼻奥にこびりつく。身体が生命の危険を感じ取り、全身に汗が噴き出した。
痛みに滲む視界の中、蜘蛛は淡々とダグに終わりを告げる。
『では、さっさと終わりにしよう。すべては吾輩の子の幸せのために。吾輩は、最善の選択を』
そして、ダグは何の抵抗も出来ずに無残にもその鎌で脇腹からスッパリと切り裂かれ、悲しくもその胴は、
「――助かったよ。あんたが余裕ぶってるだけのやつでさ」
『……何? 小僧、お前』
何を、と蜘蛛は言おうとしたのだろう。だが、その言葉は最後まで続かなかった。
ドガガガガガ、と突如として蜘蛛を襲った横方向からの砲撃に、蜘蛛はその身を後ろへ仰け反らせる。シャノンが蹴り、ギルが砲撃を浴びせかけたその場所へ、ダグのドローンは容赦なく弾の雨を降らせた。
『な、ぁ――――⁈』
ダグは力が弱い。筋力だって持久力だって施設にいたころよりはついたものだが、ドールに比べれば貧弱だ。今も蜘蛛の足一本にだって叶わないだろう。少なくともダグは全く勝てる想像が出来なかった。情けなくも負ける自信は山のようにあるのに。
だから、ダグはダグなりの戦い方を身に着けた。
口で探り、相手の最も触れられたくない部分を探し当てる。
触れられたくない部分というのは誰にでもあって、それに触れられると余裕はどんどん削り取られていくことを、ダグは地下の世界で学んだ。
「余裕ってのは大事なもんだよな。もってると何かと役に立つ。劣勢でも堂々と構えてられたり相手の計画に気づけたりな」
そう言いながら、ダグは脇腹を押さえて立ち上がる。もちろん、蜘蛛を両側から挟むようにして展開したドローンからの砲撃をやめることはない。
「けど、余裕があるのと余裕があるフリってのは別もんだ。後者はただの意地だからな」
蜘蛛はついに最後まで、ダグが展開したドローンが真後ろのひとつだと信じて疑わなかった。
ビシビシと、蜘蛛の背骨にヒビが入る音を聞きながら、ダグはゆっくりと赤い目に告げる。
「余裕が無いと大変だよなあ。例えば――視界が、極端に狭くなったりよ」
度重なる攻撃に耐えきれず、ついにバキンとそれが折れる音がした。
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