60、人の癖、それぞれ
数秒の沈黙。それまで快活な口調のピエロが口をつぐむと、部屋がやけに静かに感じた。
気まずい数秒。静けさが耳につく。黙ったままのぬいぐるみなんて当たり前のはずなのに、何も言わないピエロは不気味に思えた。
何を考えているか分からない目がこちらを向いたまま固まり、そして
『素晴らしい!』
「は?」
『疑う、人間に見えないから存在を訝しむ。いやあ本当に人間そのものじゃ!』
その静寂は生み出した本人によって打ち破られる。
ぽかんとしたギルの顔も脱力したチカの反応も気にかけず、ついさっきまで黙っていたピエロはため込んだ言葉を興奮した様子でぶちまけた。
短い両手を頭の上でばたばたと振りながら、ピエロは早回しの口調で言う。
『いやはや友は本当にとんでもないものを作ったのう。ここまで人間に近い感情をもつドールを作る存在になるとは。いや、素晴らしい。吾輩にはできなかったことじゃ』
「え、あ……?」
『ギル、と言ったかな。君さえよければ後で詳しくその仕組みを調べさせてほしいんじゃが。ああもちろん無理にとは言わん。これは吾輩の知的好奇心じゃからの。でもできればその素晴らしい構造を見せてほしいのう』
流れる水の如く浴びせかけられるそれに紫の目が大きく見開かれ、瞬く。ギルはとめどない賛辞の言葉に敵意を失い、戸惑ったように青い髪を振った。
チカに向けられる眼差しが「どうしよう」と訴えかけてくるが、そんなのチカにわかるわけがない。興奮状態のピエロを前に、首を傾げるのが精いっぱいだ。
ギルが紫の目に何とか怒りの形相を戻そうと眉間に力をいれる。だが、それは傍から見ても少し顔を歪めたようにしか見えなかった。さっき見せた殺気混じりの冷え冷えとした顔からは程遠い。思わぬピエロの行動に動揺しているのが良くわかる。
「……っで、でもオレは失敗作ダ。どんなに人間に近かろうと創造主は、そう言って」
それでもギルはその表情を保ちつつ、腹に力を入れた声で返答した。ペースに乗せられてなるものかと、ピエロの賛辞を固い声が拒絶する。
『何を言う。失敗作な訳がないじゃろうが』
「――――」
『君は吾輩が成し遂げられなかった傑作じゃ。ま、多少の調整はいるかもしれないがの』
けれど己に言い聞かせるようなギルの言葉は続かなかった。迷いなくきっぱりと言い切ったピエロに、薄い唇が震え、そして閉じる。
目が動揺に震えていた。警戒と、そこに入り混じる喜びの色。噛みしめたギルの唇がピクピクと痙攣し、感情を溢れさせないように堪えている。白い喉が、何かを飲み込むように上下する。チカにはそれが、泣き出す寸前の表情に思えた。
ギルが短く息を吐く。自身の感情を律し、落ち着けるように胸に手を当てて、ようやく口を開いた。
「し、つもんの答えになってなイ。お前は、何なんダ」
まだ声は多少震えてはいたが、それでも何とか形にはなっている。
『ああすまんすまん、その話じゃったな。うむ、吾輩はジュリアス。ジュリアス本人じゃよ』
「じゃあ、その体は何ダ。何故、ジュリアス本人だというのなら、どうして姿を見せなイ」
『いやまあ、身体は見せられないというかないというか、まだできてないというか……』
「え、無い?」
さっきまでとは打って変わって歯切れが悪くなったピエロ、もといジュリアスの放ったひと言にチカの目が丸くなった。その口ぶりはまるで隠しているわけではなく、見せられないと言っているように思える。
身体がない、とはどういうことなのか。
『ほら、彼が言った通りじゃよ。いくら機械化が身体を生きながらえさせるとはいえ、それにも限度がある。だから――移した』
「……移した?」
『そうじゃ。吾輩の脳、思考、精神なんかを丸ごとコンピューターに移したんじゃ。身体がくたばる前にの』
そしてその答えにチカは呆気にとられた。この世界に来てから大体のことは慣れたつもりで、実はそんなことは全くなかったと思い知らされた。
脳を移す。思考を移す。精神を、人格を移す。自分の外へ。コンピューターへ。
SF映画だと頭が騒ぎ、それを今さら何だと理性が律する。
今さらなんだ。身体を機械に置き換えたり、人のようなロボットがいたり、散々見てきたじゃないか。
けれど、チカの表情はチカが思っているよりもずっと素直だった。チカは目を丸くしたまま、目の前のぬいぐるみをまじまじと見つめる。
「……そういえば、確かジュリアスは男性だったとデータにあるガ、生前の性別と声が一致しないのは何故ダ? どういう意図があル」
そこにギルが言葉を挟んできた。さっきよりも大分落ち着いたのか、もう声に震えはない。
ギルは前よりも和らいだ、しかし警戒の目でジュリアスに言う。
『いやー、ほら、な? せっかく移すなら前と違う自分にな? 深い意味はないぞ?』
ギルにそう詰められた途端、しどろもどろに可愛らしい少女の声でそう返すジュリアス。それを見たチカの頭に「バーチャル美少女化」という文字が浮かんだ。
人間味のなかったピエロに急に生々しい癖が見えた気がして、彼女は痛くなり始めた頭を指で支える。声と口調の違和感の謎がようやく解けた。
あまり知りたくはなかったが。
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