50、謎の招待状
※※※
部屋に戻ると、チカの部屋はずいぶんと見違えていた。
ピカピカに磨かれたベッドフレームに清潔なシーツ。それにだいぶ座り心地が良さそうになった安定感のある四脚の椅子には、継ぎはぎを当てた丸くて柔らかそうなクッションが乗っている。部屋の隅にはシャワー用のカーテンがつけられていて、ボコボコだった部屋の扉は隙間のないものに変えてあった。
初めのころを思えば申し分ない住み心地の良さだと思う。少なくとももうドアの隙間から誰かが覗いてくる、なんてことはないのだ。
ずっと張りつめていた気を緩めながら、チカは目の前に運ばれてきたスープを啜った。
結論から言うと、青髪は追い出されなかった。
「ご主人様! お口にあったカ?」
「だからその呼び方やめてって……あ、でもこれ美味しい」
かと言って、スクラップにされたわけでもない。
青髪、もといギルはチカがきっちり手綱を握るという約束の元に巣にいることを許されたのだ。
もちろん元々テルタニスの手の者ということもあり、不審がる声も多かった。が、チカが命じれば即座に自壊プログラムを起動させようとするわ、あまりに従順なのがわかりやすいわで、最終的には「この女がいれば従うんじゃね?」という空気感が出来ていた。
それに加えてギルは料理が人一倍上手いというのも後押しになった。何でも大体のことはできるようプログラムされてはいるが、その中でも料理は得意な方らしい。
必ずしも食事をとる必要はないが、味覚はあるので料理の味や食感を再現することを趣味としていたとのことだ。
事実、ギルのおかげで巣の食事レベルは各段に上がったと思う。チカは目の前に出されたトマトスープを口に運ぶ。やはり暖かいものが胃に入ると満足感が違う。
やはり人間、食欲には勝てないらしい。今現在、巣には空前の食事ブームが生まれつつあった。使いどころがないと埃をかぶっていた携帯コンロたちが今や引く手あまただ。
もちろん、チカの部屋にも同じものがある。小さく火力もないコンロだが、熱を加えるには十分だった。
「本当、あの材料でどうやって作ってんだか……。おい、お代わり」
「あ? そのくらい自分でよそエ」
「……これでもうちっと可愛げがありゃあな」
チカの部屋に運んできた自前の椅子に座りつつ、律義によそってきたお代わりに口をつけるダグ。そうは言っても、元々を考えればこれでもかなり対応は柔らかくなった方だが。
一番反対しそうだと思っていたダグだったが、意外にも彼はすんなりとギルを受け入れていた。何でも「あの野郎が俺らのためにせっせと働いてると思うと愉快だろ」とのことらしい。実に強かである。
「あ、こっちにもお代わり貰える?」
「ああご主人様! 今すぐニ!」
「……ねえ、そのご主人様っての、どうしてもやめない? 何かいたたまれないんだけど」
「え、けどご主人様はご主人様だシ」
シャワーも使えるようになったし、食事レベルも格段に上がった。今となっては目下の悩みと言えば、ギルが中々ご主人様呼びを止めないことくらいである。
どうしてかこの男はチカがいくら「その呼び方はやめて」と言っても首を傾げるばかりで一向にやめようとしないのだ。
なんでも「敬愛する相手への敬称」として登録されてしまっているらしい。ちょっとどうかと思う。
それを聞いたとき、チカはドール開発者にドン引きした。
「それが標準ってテルタニスって変態なわけ?」
「さあな。あのAI自体をプログラミングした奴はかなりの変わり者だったらしいが」
「じゃあそいつが変態だ。ご主人様ってメイド喫茶かっての」
あの妙なAIを作った奴なんてきっとロクでもない奴に決まっている。何せこの状況の元凶も元凶なのだ。
脳内でそのどうしようもない相手を想像しつつ、チカはブレザーのポケットからハンカチを出そうと手を伸ばす。と、その瞬間指先に何か固いものが当たる。
ハンカチの他になんか入れてたっけ。
そう思いながら触れたものを取り出してみると出てきたのはほんの指先程度の大きさの、黒い真四角のチップであった。黒地に白い文字でアルファベットの「L」が刻印されている。
こんなもの持っていただろうかとチカが首を傾げると、そのチップを見てシャノンが声を上げる。
「チカ、そのメモリアルカードは一体どこで?」
「え、メモリアルカード? 何それ」
「音声、映像、文章等を記録できる記憶媒体ダ。ご主人様、渡してきた相手に心当たりはあるカ?」
ギルの質問に首を横に振りながら、チカはこの「メモリアルカード」をどうやって読むのかと尋ねればメモリアルカードの中央に指をあてるだけでいいらしい。
言われた通りに指を「L」の部分に合わせれば、小さなチップがブン、と音を立てて宙に半透明の文字を映し出す。
――招待状 異世界からの客人及び、その一行 ラーフカンパニー
「なにこれ、ラーフカンパニー? 何かの会社?」
招待状と書かれてはいるが、差出人らしき場所に書かれた「ラーフカンパニー」の文字には一切心当たりがない。
だが、どうやらわかっていないのはチカだけのようだった。
「ラーフって、おいおい、いつの間に引っ掛けてきたんだお前!?」
「な、なに? ここそんなヤバいとこなの?」
「……ラーフカンパニー。通称、『闇のおもちゃ屋』とも言われている組織ですね」
「は? 闇? 何その中二病みたいな名前」
突然シャノンの口から出た名前にチカは首を傾げる。中学生がノートに書きなぐってるような名前の組織だ。一体誰がそんな通称を考えたのか。
だがシャノンはピクリとも表情を変えずに「闇のおもちゃ屋」について淡々と話し始めた。真面目な顔から中学生の考えたような単語が出てくる様は見ていてちょっと面白い。
しかし内容を聞いているうちに、笑ってばかりもいられなくなった。
「ラーフカンパニーはここ最近、活動が活発化している犯罪組織です」
「―――は?」
「異常な技術力があり、何度も有名企業を襲撃しています」
「オレも知ってル。妙な連中で、調べても調べてもボスの顔どころか尻尾すら掴めないんダ」
次々と飛び出てくるとんでもない単語の数々に消化不良を起こしそうで、チカは一旦スプーンを置いた。ギルが不安げな眼差しを向けてくるが、この話を聞きながら食べていては味がわからなくなる。
「犯行の際、使われる物がどれも『玩具』を模していることから、おもちゃ屋と呼ばれているようですね」
犯罪組織で、異常な技術力があり、犯行に使われるものはおもちゃの形。
キャラクター性のバーゲンセールもいい加減にしてほしい。何だそのトンチキ集団は。
「不思議なことに犯行現場の状態から見ても彼らの目的は金銭ではないらしく、混乱を楽しむ愉快犯ではないかとも言われています」
「愉快犯、ねえ。でも、そんな有名企業ばっかり襲ってるんでしょ? 何か別の目的とかあるんじゃないの」
「あいつらの犯行現場には駆り出されたことがあル。でも、本当にめちゃくちゃにするだけで何も盗んでないんダ。……ただ」
「ただ?」
「『もっと笑いを』ってメッセージがいつも残ってル。でも、それだけダ」
「……駄目だ、何をしたいのかさっぱりわかんない」
異世界で、機械化で、ドールの次は闇のおもちゃ屋ときたか。しかもただのおもちゃ屋ではなく酷く胡散臭い。
また変なところに目をつけられた気がする、とチカは聞こえてくる新たな単語に顔を顰めた。
それにしたって、一体いつこんなカードを持たされたのか。
「闇のおもちゃ屋って、そんなのに会った覚え……あ」
そのとき、チカの頭にある予想が過る。
いやいやそんな。でも偶然にしては出来過ぎているし。でも闇のって言ってたし。
否定したい気持ちと、でも可能性があるのはあれしかないと考える気持ちがごちゃ混ぜになる。
ダグを見るとチカ同じように「いやまさか」という顔をしていた。どうやらゴミ捨て場で件の人物と話した彼もその可能性にたどり着いたらしい。
いや、人物と言っていいのかは怪しいラインではあるが。
「……ねえ」
「ああ、俺も同じこと考えてたところだ。……おいマジかよ」
「脈拍の速度に異常を検知。ダグ、チカ、どうしましたか?」
「いや、あのさシャノン、私ら会ってるかも。その、闇のおもちゃ屋ってヤツ」
額に手を当てるチカをあざ笑うように、彼女の脳内を黒猫が駆けていった。
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