36、魔法少女、迷子

 とりあえず、猫のままだと呼びにくいので「クロスケ」と名前をつけることにした。


 温かい生命を撫でながら、チカは細い通路に立ち尽くす。右左と辺りを見渡すが、付近にはふたりどころか誰かがいる気配すら感じられない。


「えー、先に行っちゃたわけ?」


 そんな薄情な、なんて言葉が漏れる。ちょっと曲がり角で猫を撫でていただけだというのに置いていくなんてあんまりだ。しかも、知らない世界だというのに。


 けれどそう呟いたところでもちろん助けなど来るわけなく、曲がり角からダグが「反省したか?」なんて小言を言いながら顔を出してくることもない。急に今いる道の先が遠くに伸びた気がして、チカはクロスケを抱きしめた。強くなった腕の中、猫が居心地悪そうに動いている。


「うーん……まあ、でも、歩いてればそのうち追いつく、かな?」


 幸いにもダグたちが足を向けていた方向は覚えているし、そこから伸びる道はまっすぐだ。走っていることもないだろうし、歩いていればそのうち追いつくはずだ。


「うん、大丈夫大丈夫! 何も問題なし!」


 しかし己を鼓舞するように呟いたひと言が壁に反射に空しく転がっていくのを聞いてチカは口を閉ざした。元気づけるつもりで声に出したというのに、これでは逆効果だ。


 チカはクロスケを抱えたまま、黙って歩き始める。ただ道なりにまっすぐ歩いて行く。ローファーがコツコツと地面を打つ音だけがやけに大きく聞こえた。ひとりで歩いていると、自分の音ばかりが聞こえてくる。


 ここしばらく騒がしかったせいだろうか。静かなのが今は、耳に痛い。




 そして体感数分後。チカは頭を抱えていた。


「…………迷った」


 迷子になるなんて何年ぶりだろうか、と頭の冷静な部分でそう考えてしまってから彼女は「いやいや」と首を振る。


「いや、まだ迷ったわけじゃないし。わかんなくなったら元の道に戻って、それから」


 だが、しかし。そこで迷った場所まで戻ろうと後ろを向いて、そこでチカは自分が考えていることに気づいてしまった。そして再び頭を抱える。


 完璧な迷子であった。


 初めは良かったのだ。道は狭いがまっすぐで、ただ道なりに進めばよかった。けれどすぐに分かれ道にぶつかり、様子を見て違ったら戻ろうと右に進んだらその先で今度は三方向に別れていて。


 まるで迷路だった。チカは幼いころに行った遊園地の巨大迷路を思い出す。だがあの迷路のように人を楽しませようという創意工夫はこの通路に一切ない。それどころかわざと迷わせるような作りをしているようにすら思えてくる。


 趣味の悪いことにこの迷路にはほとんど行き止まりがなく、道が何本にも枝分かれしている。しかも路地のように壁が迫ってきているせいで風景がほとんど変わらないのだ。


 時々誰かが書いたスプレーの落書きが色あせているだけで、それ以外で覚えている風景はほとんど壁、壁、壁。


 こんな壁魔法でぶち壊してやろうか、なんて暴力的解決がふと思い浮かぶが、怒り狂うダグの顔を想像してやめた。騒ぎは起こしたくない。


 ヘンゼルとグレーテルよろしく、パンくずだの光る石だのあればまだ状況は違っていたのかもしれない。だが生憎そのどちらも手にはないし、もっと言うならもうすでに迷った後だ。おとぎ話の教訓をまったく生かせていない。


 ため息を吐いた。本当に、この世界に来てからため息が多くなった気がする。知らない世界に疲れているのか、それとも問題が解決したと思った矢先に新しく問題を抱える自身に呆れているのか。


「ねえ、ふたりともどこに行っちゃったんだろうねぇ」


 立ち止まって、チカは腕の中のクロスケに話しかける。この猫がいることが、今のチカにとって唯一の心の慰めになりつつあった。


 艶やかな毛を撫で、その暖かさを味わいながらチカは久々に感じた孤独を埋めるべく口を動かす。考えてみれば、この世界に来てから孤独なんて感じる暇がなかっただけだった。


 知らない世界に、ひとり。それはこんなにも寂しいものだったのか。

 

「ね、クロスケ。クロスケはこの辺詳しいんじゃない? 少なくとも私よりはさ」


 尻尾が揺れる。


「だから、ゴミ捨て場とか知ってたら教えてほしいな」


 何も、本当にクロスケが「ゴミ捨て場はこっち!」と案内してくれることを望んでいたわけじゃない。


 言ってみただけだった。猫に言葉が通じる訳もないし、返事などしてくれない。おとぎ話のように、行きたい場所へ連れて行ってはくれない。ただ、少し心細くて、それを吐き出したかった。それだけだった。


 だからチカは驚いたのだ。彼女の言葉に答えるようにクロスケが腕の中から飛び出したとき、それはもう自分でも間抜けに思うほど呆気にとられた。


「えっ! クロスケ?」


 戻っておいでと伸ばすチカの手を、クロスケはするりするりと素早くかわして、どんどん先へと進んでいく。かと思えば、少し先で立ち止まって、こちらを窺うようにじっと見つめる。


 薄暗がりから見てくる金の目に、まるで「こっちへこい」とでも言われている気がした。


「っちょっと、待って!」


 もしかして、本当に案内してくれようとしている? 猫が?


 突如として降りかかって来た不可思議に胸を不安と好奇心で鳴らしながら、チカは先を行く黒猫を追いかけていった。

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