魔法少女、迷子

35、迷子の黒猫ちゃん

 よく考えればシャワー部分だけあってもお湯は出ないのではないかというチカの疑問はシャノンから説明された、この世界の技術力によって解決された。


 何でも最近のシャワーというものはどこでも手軽に浴びられるように単体で持ち運び可能のものが多いらしい。独立したシャワーにつけられた簡易タンクに水を入れて使うのだそうだ。ボタンひとつで冷水にもお湯にも変更可能。この世界はシャワーもハイテクらしい。


 バスルーム以外で使うことがあるのかと問えば「アウトドア需要だとよ」と、ダグが短く答えた。



「ところでさ、どこに向かってるわけ?」


 三車線はありそうな幅のある、舗装された道を通り抜け、賑わいを見せる店の間を縫うように歩き、先頭を歩くダグはどんどん人気のいない方へと向かっていた。店の並びが後ろへと遠のいていくのを眺めながら、チカは迷いなく先頭を歩くダグに行き先を尋ねる。早く帰りたがっていたので近場の店に入って終わりだと思っていたが、この様子だとどうやら違うらしい。


 もしかして何か穴場の店でも知っているのかと思えば、ダグは前を向いたまましれっと答えた。


「ゴミ捨て場」

「……は?」

「おい、ここまで来て今さら嫌だとか言うなよ」


 ゴミ捨て場。今ゴミ捨て場と言ったかこの男。


 聞き捨てならない言葉が聞こえたとチカの口から低い声が漏れる。だがそんな威圧に怯む素振りすら見せずに、ダグは肩を竦めながら飄々と言葉を続けた。


「安心しろ。なるべく綺麗なやつを選んでやる」

「え、嫌なんだけど。ゴミ捨て場のやつ使うの」

「わがまま言うな。正規で手に入れたらいくらすると思ってんだ」

「ええー……」

「チカ、大丈夫です。殺菌消毒に関してダグの腕は確かですので」

「いや、そう言うんじゃなくてさ。気分の問題なんだけどなぁ……」


 けれど、水で体を拭いていた時を思えばシャワーが手に入るだけましなのかもしれない。それがたとえゴミ捨て場出身だったとしてもだ。


 ぶつぶつと文句を言いたい気持ちをぐっと堪え、チカはダグの後に続く。どうしようもならないことに関しては割り切ることも時には重要だ。


「ていうかさ、ゴミ捨て場とかあるんだなって」

「あ?」


 どうやら目的地はずいぶんと入り組んだ場所にあるのか、細い道が多くなってきた。足元に転がったジュースの空き缶を傍にあったゴミ箱へ蹴り入れながら、チカは思ったことを口にする。思い浮かぶのは巣で見た、あの何でも分解するゴミ箱のことだ。


 空き缶は放物線を描きながら吸い込まれるようにゴミ箱へと落ちていき、カランカランと安っぽいファンファーレを鳴らした。


「いや、なんかゴミを自動で分解するゴミ箱とかあったじゃん。皆あーいうの持ってたらさ、捨てる場所とかそもそもいらないんじゃないかなって」

「ああ、ありゃ業務用のを改造したやつだ」

「業務用?」

「そーだよ。上からパクってきたやつを、俺がいじった。あの大きさの機能じゃ巣の廃棄物を処理しきれねえからな」


 つまりはあのゴミ箱自体が特殊なもので、普通には流通していないということらしい。しかもダグはそれを元よりもかなり強力なものへと改造したとのことだった。


 さらに細くなる道を器用に通り抜けながら、ダグは話を続ける。慣れているのか、その足取りは軽やかだ。


「店とかならともかく、少なくとも普通の家にはねえ代物だ。第一、そんなもん使い方を誤ったらヤバいことになるのは目に見えてるだろ」

「……そんなヤバいものをさらに改造して使ってんの?」

「別に、下手にいじくり回さなきゃただの便利なゴミ箱さ」


 好奇心に任せて触らなくてよかったかも、とダグの話を聞きながらチカは内心で冷汗を流す。流石のチカも「危ない」と宣言されたものに触りに行くほど命知らずではない。そこら辺の分別はきちんとあるのだ。


 これからは新しいものを見ても軽率に近寄らない方がいいのかもしれない。そう考えていた時だった。チカは微かな鳴き声が聞こえた気がして顔を上げる。


 微かで、ほとんど聞こえなかったがあれは確かに――


「……あれ?」

「おい、ちんたらしてっと置いてくぞ」

「分かってるよ。でも今さ」


 ――にゃあ!


 猫の声がした。そう言おうとした瞬間、微かだった鳴き声がはっきりと聞こえてきた。しかも声の大きさ的に、さっき聞いた時よりも近い。


 思わず振り返れば通って来た曲がり角に、猫がいた。さっき通ったときはいなかったはずなのに、いつの間に近づいたのか、黒猫は行儀よく前足を揃えて座っている。


 品の良い真っ黒な毛並みはつやつやと光っており、見るからにさわり心地が良さそうで、チカはこちらを見上げる、きゅるんとした金の両目に目を奪われた。


「あ、おい! 離れんなって!」

「大丈夫だって、すぐそこの角だし」


 ダグの静止を振り切って、曲がり角に近づいても猫は逃げなかった。それどころか手を差し出すと、猫はぐるぐると人懐っこくチカの手の甲に鼻先を擦り付けてくる。


「わ、わ! かわいー!」

 

 思っていた通りさらさらと手触りのいい毛並みを堪能しながら、チカは目の前の黒猫を観察する。野良猫にしては人間に対して警戒心がないし、毛並みに汚れがないところを見ると、どこかで飼われていた子が逃げ出してきたのかもしれない。

 そう思いながら怖がらせないよう、チカが下からすくい上げるように抱き上げれば、猫は大人しく腕の中におさまった。暴れるどころか機嫌よく喉を鳴らし始める姿に、チカは笑みをこぼす。


「ね、この子さ――」


 だがそのとき、曲がり角から顔を上げて元居た場所に目を戻した瞬間、チカは気づいた。ダグも、シャノンも、姿どころか声すらも聞こえないということに。

 さっきまでいたはずふたりは、もうそこにはいなかった。


「……ダグ? シャノン?」


 呆然とふたりの名前呼ぶチカだったが、当然答えなどあるわけもなく。

 チカの腕の中で黒猫が小さく呆れたように「にゃあ」と鳴いた。

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