34、都市ナウタル



 ※※※



 そして今現在、この状況に至る。


「はぁー、ほぉー……」

「何間抜けな声出してんだよ」

「チカ、前を向いてください。転倒の危険があります」

「いや、そうは言ってもさぁ……?」


 ダグから咎めるように声をかけられても、シャノンから注意をされても、チカの返答は上の空だった。その目は眼前に広がる光景に釘付けになっている。


 それは見るな、という方が無理な景色だった。立ち並ぶ真っ白なビル群の間に浮かび上がる立体的ホログラム広告が炭酸の飛沫を上げ、滑るように通り過ぎていくミニカーを巨大化したような車両には運転者どころかハンドルすらついておらず、宙にふよふよと浮いた円盤型の小型ロボットが「おはようございます!」と無機質な体に似合わない明るい声で道行く人に呼びかけている。


 それはまさに近未来という言葉がぴたりと当てはまる風景だった。こんなの、テンションが上がらない方がおかしい。


「だってさ、マジでSF世界なんだもん。見ちゃうって」

「馬鹿、目立つなって言ったのをもう忘れたのか」

「忘れてないって! シャワー手に入れたらすぐ戻るから!」


 浮かれた声に再度釘を刺すダグに軽く返答をするチカだったが、その目はすでに美しく輝くショーウィンドウに引き寄せられている。鮮やかなミントグリーン色の箱に敷き詰められた銀色の金平糖。あれは一体何なのだろうか。食べ物か、それとも聞いたことがない未知のものか。


 火に飛び込んでいく虫の如くふらふらショーウィンドウに引き寄せられ、チカはふたりから離れかける。だが、それをダグが素早く引っ掴んだ。制服の襟部分を掴んで勢いよく引っ張られたために、チカは「ぐえ」と短い悲鳴を上げる。


 見上げれば鬼のような形相をしたダグの顔が見え、それを見てしまえば流石のチカも「何をするんだ」とは言い返せなかった。

 

「……いいか、マジでよそ見も観光もなしだからな。こちとらピクニックしにきてるわけじゃねえんだ」

「わ、わかってるってば……でもちょっとお店覗くくらい」

「駄目だ」


 低く地を這うような声に、それでもあの金平糖が諦めきれず精いっぱい抗ってみる。しかしダグにそんな慈悲はない。

 ダグは素晴らしくにこやかな笑みでチカへと断言した。


「ケチ!」

「おーおーケチで結構。さっさと行くぞ。シャノン、来ないなら引きずってこい」

「はい。チカ、失礼します」

「ううー……ちょっとぐらいいいじゃん……」


 泣く泣くシャノンに腕を引っ張られてショーウィンドウから遠ざかっていく姿はお菓子を諦めきれない幼児のそれである。しかしどう見えているかなど気にもせず、チカは未練がましくショーウィンドウを見つめながら唸り、ぶつぶつと文句をこねくり回す。


 好みのものとあればチカはしつこいたちだった。幼いころは必殺の駄々こねでいつも勝利と戦利品をもぎ取って来た。

 だがダグとシャノンに培ってきたものは通用しない。チカは連れていかれるがままに、ずるずると引きずられていく。


「あれが何なのか気になっただけだし。別に、ちょっと見たらすぐ行くってぇ……」

「……商品名、銀河の星歌。あれは贈答用のキャンディーの一種です」


 あまりに駄々をこねるチカを哀れに思ったのか、それともそうした方が早く静かになると判断したのか。澄ました横顔から理由は読み取れなかったが、歩いている途中、いきなりシャノンは説明を始めた。もちろん、足は止めないまま。


「え、あれ飴なの?」

「ええ。商品名はかみ砕いた際の特有の音と、触感に由来するようで」

「へえ! そうなんだ! やっぱ普通の飴とは違うってことね」

「……おい。あんまり甘やかすなって」


 その説明に機嫌を一転させ、目をキラキラと輝かせ始めるチカにダグは顔を顰めるが、シャノンは淡々とした様子を崩さないまま「報酬は必要でしょう」と言った。


「報酬って、俺たちはそいつのわがままでここまで来てるんだぞ? 報酬も何もねえだろ」

「彼女は我々に協力をしてくれるのです。ならば少しでも協力者の士気向上に繋がる行動をすべきではないでしょうか」

「……つっても」

「ダグ。少しでも成功率を上げるのなら、報酬は必要です」


 シャノンがぐい、とダグに顔を寄せる。背が高いせいでまるでダグの顔を覗き込んでいるような中腰の姿勢になった。


「今回、チカは私が機能を停止していた際、あなたを守ってくれたと聞いています」

「いや、それは俺らが寝泊まりできる場所を提供したことでトントンに」

「ダグ。これは私の極めて個人的、かつ勝手な願望なのですが、彼女にお礼がしたいのです」


 形のいい白い鼻が、ダグの鼻先を掠める。ダグはシャノンの目力から逃れようと首を振ったが、顔に手を添えられてその逃げ場もなくされた。


「あなたを守ってくれたことに、お礼がしたい。お願いします、ダグ」

「――っ」


 まずダグはシャノンから飛びのき、何かを言おうとしてはやめるを繰り返し、むにゃむにゃもごもごと口を動かして、それでも言葉に出来ない苛立ちを発散させるようにどすどすと乱暴に数歩、シャノンたちに背を向けて歩き、そして止まった。


「……早く終わったら、考えんこともない」


 たっぷり間を置いた後、聞こえてきたのはシャノンの勝利を認める言葉で。


 チカは顔全体で笑顔を作りながらシャノンに飛びついた。


「やっったぁぁぁぁぁ! っシャノン大好き!」

「あーもーでけえ声でそいつの名前呼んでんじゃねえよ馬鹿っ!」


 わいわいと話しながら歩いて行く三人は多少目立ちはした。だが、それもほんの少しのことであった。街の人間はやや驚いたように足を止める者もいるが、歩き出せば彼らの姿は日常の一部として徐々に薄れていくだろう。


 何の問題もなかった。何の問題もないように見えた。

 

 だから彼らは、自分たちをじっと見つめ続けている「誰か」に気づけなかったのだ。

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