31、潜入準備
「おはようございます、チカ」
「……何でシャノンが私の部屋にいるの?」
「返事がありませんでしたので。ダグが起こすようにと」
かえって疲れるような睡眠から目覚めた直後、チカの目の前にあったのはシャノンの澄ました顔だった。
シャノンは昨日と変わらずぴしりとした服装で、目を引くプラチナブロンドにはほつれの一本も見られない。これが人間とドールの差か、そう思いながらチカは自身の跳ねた前髪を撫でつける。毎朝寝ぐせと格闘している身からすれば羨ましい限りだ。
「チカ、これを」
「私の制服じゃん。もう乾いたの?」
「はい。何か足りないものはありますか?」
「あ、じゃあ櫛とかある? 流石に手だと限界でさ」
「わかりました」
通学鞄があれば櫛が入っているのだが、向こうに置いてきてしまったのか生憎手元になかった。部屋から出て行くシャノンを見送った後、チカは返って来た制服にさっそく腕を通す。慣れた着心地だが、今はこの布地の厚さが頼もしい。
ブローチをリボンの中央に留めていると、またがちゃりと扉が開いた。それを聞いた瞬間、チカは迷いなくベッド下に置いておいた鉄パイプを拾い上げる。護身用に廃材から一つ、拝借しておいたのだ。
「おい、さっさと起きろ。今日は――ぐぇっ⁈」
そしてそれをためらうことなく扉に向って投げた。鉄パイプはくるくると宙を舞い、そしてデリカシーのない訪問者へと直撃する。
扉の向こうからネズミの潰れたような声と後ろ向きにひっくり返る音が聞こえた。恐らくダグかボロに言われるがまま呼びに来たのだろうが、礼儀がなってない。
「人の部屋に入るときは声かけとノック。いい?」
「お、まえ……!」
「―――あれ? 返事が聞こえないなあ」
「はい‼ 分かりました!」
口答えより早くチカがステッキを出せばネズミは元気のいい返事を返してきた。どうやら魔法の恐ろしさはちゃんと身をもってわかったらしい。相手と自分の力量差が分かるのはいいことである。
即座に姿勢を正したネズミを前に優雅にベッドに腰掛けつつ、チカは訪問の理由を尋ねた。ただ起こしに来ただけ、ということではないだろう。それならシャノンだけで事足りる。
「で、何の用?」
「……ボロさんが調整をしたいから呼んでこい、と」
「調整? なんの」
「擬態用のカバーです」
「擬態?」
調整、擬態。ネズミの口から出てきた言葉にチカはますます首を傾げた。いまいち話の先が見えてこない。ボロは一体何をしようと言うのか。
そう考え込んでいることがわかったのだろう。ネズミは赤くなった額をさすりつつ、チカに説明を続ける。口調の節々から不満げな態度が分かるが、それを露骨に出さない辺り、パニッシュキャノンはこの男の理性に深い爪痕を残したらしい。
「都市に行くなら機械化を誤魔化す擬態カバーが必要だろうって。それの調節でしょう、多分」
都市。それを聞いてチカはばね仕掛けの人形のようにベッドから跳ね起きた。その勢いにまた何かされると思い込んだネズミが後ろにひっくり返り、ごちんと頭蓋骨と床をぶつける音が響き渡る。
「それならそうと早く言ってよ! 場所は⁈」
「っええと、ダグんとこの部屋だって」
だがそれに痛そうだ、なんて暢気な感想を言っている暇はなかった。ネズミに構ってる場合じゃねえとチカは転がったネズミをそのままに、扉付近に倒れた男を飛び越えて部屋から駆けだしていく。
シャワー、シャワー、シャワー。
待ちわびていた単語がパチンコ店の電光掲示板の如く輝きながらチカの脳内を回っていった。注目を浴びるのも気にせずに、彼女は部屋を飛び出してすぐ真横にある扉を叩く。
「ボロ、ダグ! シャワー!」
「ああもううるせえな! 単語で喋るんじゃねえ!」
ノックをすればすぐに不機嫌そうな顔をしたダグが顔を出した。その手には見慣れないものが握られている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます