29、最低限の環境を

「君の意見は最もなものだろう」


 現れたのはボロだった。初めて会った時と変わらずチカよりも小さな身体で大人びた話し方をしながらボロは自然に会話に加わる。


「現に、自分が言ったことで巣の問題に巻き込んでしまったことは事実。信じられなくて当然だ」

「……」

「すまない。自分もだが、うちの巣の者が迷惑を――」

「謝るのは私にじゃないでしょうが」


 だが、ボロの謝罪の言葉は続かなかった。じろりと効果音が付きそうなほどの強い眼差しで、チカは自身の足元を見下ろす。口調は淡々としたものだったが、その声で怒っていることがわかったのだろう。ダグとボロが身を固くする。


 チカの視界に無表情でこちらを見ているシャノンのスカートが映る。眠っている間に済ませたのだろう、破れた個所には赤い布があてられていた。白の中に咲いた異なる色は雪原にパッと咲いたバラのようにも見える。


「シャノンには言ったわけ? 問題を放置してごめんなさいって」

「……彼女は機械人形システムドールだ」


 ボロの言い分は普通なのだろう。ドールだから、人間じゃないから。だから気にかけることはないのだと、そう言いたいのだろう。


 理屈では理解できる。だが、チカは納得していない。女の子がスカートを勝手に裂かれて、あんな視線の中に晒されていいわけがない。それが人間じゃないにしてもだ。


「はあ? ドールなのと被害に遭ったのと、話は別でしょ。あんたがこんなになるまで放っておいたからシャノンが嫌なことされたんでしょ」

「――君は」

「私への謝罪とかは後でたっぷり聞くから。まずシャノンに謝って」

「いやしかし、それには意味が」

「意味とかごちゃごちゃ抜かす暇があるならさっさと謝って」

「だが」

「謝 っ て」


 有無を言わせない威圧感があった。それがどれほどすごいかと言えば、それまで冷静だったボロがチカの声に少し後ずさってしまうほどであった。


 確かに、ボロが言う通り意味はないのかもしれない。けれど、だからと言ってシャノンが受けたものが消える訳でもない。自己満足ということは十分わかっている。だが、チカはこの話がなあなあで流されていくのが嫌だった。


 チカの声と気迫に気圧されるようにして、ボロはシャノンに向き直る。ドールの彼女は何が起こっているかあまり分かっていないようにボロを見下ろしていた。


「……シャノン」

「はい」

「君も、すまなかった。自分が至らないばかりに、嫌な思いをさせた」

 

 淡々とした短いやり取りの中、シャノンはボロの言葉に少し驚いたような顔をして、それから静かに「いいえ」と答えた。




「で、私はここにいていいわけ?」

「ああ、自分が話を通そう。君は今日から巣の一員だ」


 ようやく本題に入れた、そう言いたげな声色が足元から聞こえてくる。ボロは簡潔にチカの今後について説明していった。


「部屋の用意はこちらでしよう。何か必要なものがあれば言ってくれ」

「じゃ、シャワーとベッド。あと座り心地のいいクッション」


 用意してくれると言うのであれば遠慮なく、とチカは欲しいものを並べていく。いくら掃除をして多少清潔になったとはいえ、ダグの部屋を見る限りこの巣穴は快適な生活からは程遠い。


 これからはここで生活していく必要があるのだ。散々嫌な目に遭わされた後でもあるし、ここは思う存分吹っ掛けても罰は当たるまい。


 頭の中であれやこれやと「快適地下生活」を企むチカ。しかし、ボロの返答は歯切れの悪いものだった。


「……ベッドとクッションはどうにかしよう」

「シャワーは? いい加減さっぱりしたいんだけど」


 シャワー。その一言にボロは言いづらそうに布の下の目を動かし、もごもごと口ごもる。ついさっきまで流しそうめんの如くあった言葉の勢いは今やホースから漏れ出てくるちょろちょろとした残り水のような有様だった。


「無茶言うなよ。シャワーなんて贅沢品、ここに設置なんて出来るか」


 何か言いにくいことがあるのだろう、とそれをいち早く察したらしいダグが横から口を挟んでくる。どうやらダグはボロとシャノンのこととなると行動が早いようだ。


「は? じゃあ今までどうやって体洗ってたわけ」

「……清潔な布と水の用意はあるんだ。だから、それで」


 水と、布で体を拭く。それも一週間に数度。


 カルチャーショックであった。持ち手を捻れば簡単に熱いお湯が出てきて、しかもそれを毎日浴びる身からしてみれば、そんな病人みたいな生活が普通であってたまるかと叫びたくなった。


「我慢できるかそんなの!」


 実際叫んだ。叫ばずにはいられなかった。


 現代生活に慣れているチカからすれば、いきなり「今日から洞穴暮らしをしてください」と言われているようなものである。どうしてゴミ箱は妙にハイテクな癖に大事なところでローテクなのか。衛生観念を捨ててきてしまったのか。


「何? この世界って妙に発達して見えたけどシャワーもないわけ? そこは止まっちゃってんの?」

「いや、シャワー自体はあるし、存在も知っている。君が言いたいことも理解できる」

「じゃあなんで」

「ここにはねぇってだけだ。我儘言うな」

「……すまない。生活の基盤を整えるので精一杯で手が回らなかった。しかし取りに行こうにも都市はテルタニスの管轄だから、下手なことは出来ないんだ」


 つまりはシャワーも設備もあるがそれを巣の内部に持ってくることができていないということである。正直、こんなところでテルタニスの妨害に遭うとは思わなかった。


 あのクソAIめ、とチカが頭を抱えているのを見てシャワーがどれほど重要に思っているかがわかったのだろう。ボロは真剣な眼差しで、チカへとこう続けた。


「だが、君はダグたちの恩人だ。ネズミの件で迷惑をかけたこともある、どうにか用意してみよう」

「え、マジ?」

「おいボロさん、あんま安請け合いするもんじゃねぇだろ」

「いいや。聞けば君は異世界からきたのだろう? なら不自由なことも多いだろう。自分に出来ることがあるなら力になりたいからな」


 神様仏様ボロ様。生まれてこの方神に祈ったことなど一夜漬け後のテスト前くらいなものだったチカはこの日初めて祈りを捧げた。


 これでどうにかシャワー問題は解決できそうだ。出来ないと言われても言ってみるものである。


「ではそれが用意できるまで一ヶ月ほど待ってほしい」

「……ん?」

「具体的な日数はまだ約束できないが、少なく見積もってもそれぐらいはかかるだろう。だから――」

「ふうん、一ヶ月。少なく見積もっても? へえ……」


 現実とはそこまでうまくいくものでもないらしい。前言撤回、とチカは胸の内の祈りをさっさとゴミ箱へと投げ捨てる。やはりこの世に神などいない。


「そんなに待つとか無理。こちとらいろいろ気になる年頃なわけ」

「いや、しかしこれが限界で――」

「だから。あんたらに出来ないなら、私が取りに行く」 


 やはり欲しいものは待っているだけでなく、取りに行かなければならない。


 呆然と目を丸くして見てくるふたりの前で、魔法少女は不敵に笑ってみせた。

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