28、眠った後に



 ※※※



「え、そんな寝てた?」

「大分な。おら、飯」


 十数時間。その睡眠時間を聞いたとき、チカはあまりの長さに呆気にとられた。確かにいつもよりはかなり眠った気がする。だが十時間以上はチカが知る中でも最長睡眠時間だ。どう考えても寝すぎである。


 ここまで眠ったのは夜通し逃げ回る破壊の怪物ブレイフリークスを追いかけていた時以来だろうか。住宅街での追いかけっこの末、学校に行くのも忘れて爆睡したのは一体いつの日だったか。


 寝すぎたせいか逆にぼんやりとする思考を振り払いながら、チカはダグから投げるようにして渡されたものを受け取る。今度のものは栄養保存パックとは違い、その丸さといい重さといい、チカの良く知る形をしていた。


「あ、缶詰じゃん」

「ネズミのへそくりだとよ」

「へえ、こっちにも缶詰とかあるんだね」

「もっともだいぶ前に廃れたがな。あいつは意地汚く隠し持ってたらしい。あんたに是非食べてほしいってさ」


 ラベルこそないものの使い慣れたそのサイズ感は同じである。チカは異世界の缶詰をしげしげと眺め、上部についた蓋を開けるための見慣れたつまみ部分に指先を引っかける。少し力を入れるだけで蓋部分はぺりぺりと簡単に捲れていった。


 中には見慣れないブラウンのペーストがびっちりと詰まっている。


 一体これは何の缶詰なんだとチカが首をひねっていると、いつの間にか用意していたらしいフォークをこちらに差し出しながらシャノンが説明してくれた。


「食用肉をペースト状に加工調理したものです。味、成分共に問題ありません」


 なるほど、つまりはパテのようなものらしい。


 促されるままにフォークを握り、中身をすくって食べればざらついた舌触りとレバーペーストに似た風味が鼻を抜けていった。


「で、あんたが寝てた間のことについてなんだが」

「ネズミは大人しくなった?」

「中身が変わったかと思ったよ。マジで何したんだ?」


 聞けば今チカが座っているベッドも差し入れられる食料品も全てネズミの手筈らしい。確かにこの部屋に来た時にベッドなんてものは無かったはずだ。


 ネズミの私物と聞いて、チカはとりあえずベッドから起き上がることにした。ダグと同じように床に座り、朝礼の如く膝を抱える。


「ネズミの奴は? 今何してんの」

「子分共と一緒にこの部屋の周り巡回してる」

「……何で?」

「あんたを守るためだとよ。おかげで騒がしくてしょうがねえ」


 どうやらパニッシュキャノンの効果は正常に続いているらしい。チカが眠っている間、どうやらあの男はずいぶん色々騒いだらしく、心なしかダグの顔は疲労にやつれたようにも見える。


「まあ、今だけだよ。そのうち戻るから」

「戻るって、前の状態にか?」

「そ。今は自分の罪悪感とか良心に振り回されてるだけだから、ちょっと経ったら落ち着くと思う」

「……それじゃ結局は元に戻るだけじゃねえかよ。意味あんのか?」

「大ありよ。別に増幅させた理性がなくなるわけじゃないんだから。今はただそれの処理に脳が追いつかなくてオーバーに騒いでるだけってこと」


 魔法をくらった直後は混乱して多少騒がしくはなるだろうが、その効果もじきに体に馴染んでくるだろう。しばらくすればうまいこと身体が理性に適応して、性格も元に戻っていくはずだ。ただ元に戻るといっても増えた理性が消える訳ではないので、これからは悪事を働こうとすれば増大した理性が効果的なストッパーとなってくれる。


 強制的に悪事の自覚をさせることで悪人を更生させる魔法。それがパニッシュキャノンに「悪事救済」がついている理由である。


 それを聞いてダグは「ほぉ」だの「へぇ」だの、感心しているのか興味がないのか分からない相槌を打っていた。栄養保存パックの残りカスをパッケージから直接口に流し込みつつ口の周りを舐めるダグの姿はどこかやけくそじみている。


 ごくり、と細いがしっかりと主張する喉仏が上下に動いた。


「マジで何でも出来んだな、魔法ってのは」

「何でもは無理。出来ることだけ」

「それで十分だ。本当にあのネズミを大人しくさせやがった」

「……ま、私もムカついてたから」


 簡単に答えながらチカは缶詰の残りをかき込んだ。この世界の食べ物というのはどうにも見た目に対して満腹度が高い。あっという間に満ちた腹に満足感を覚えながら、チカは目の前で胡坐をかいた男に聞いた。


「で、結局私はここにいていいわけ?」

「ああ、ボロさんが許可を出した。あんたも今日からこの巣の一員だ」

「ふーん? いいのかなぁ、私はテルタニスの手先なんでしょ」

「面倒くさい拗ね方してんじゃねぇよ」


 厭味ったらしい言い方になったなとは思った。だが、言言わずにはいられない。


 呆れたような表情をするダグからわざとらしく視線を逸らし、チカは芝居がかった仕草で頬杖をつく。ダグに言ったところでどうなることもないことはわかっている。けれど黙っていることは出来なかった。


「拗ねてないし。当然の疑問を言ったまでだし」

「……ボロさんが許可を出したんだ。誰も文句は言わねえよ」

「こっちはその『ボロさん』のおかげで大変な目に遭ったんだけどね」

「――お前なぁ、ボロさんは」


 それにため息をつきながらダグが答えようとする。だがしかし、それは扉が開く音に遮られた。

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