27、魔法少女が眠る間に



 ※※※



 妙なことになった。


 部屋の隙間と言う隙間からこちらを覗いてくる目から無理やり視線を逸らしつつ、ダグはシャノンと共にこの巣にあるにしては上等な鉄パイプで組まれたベッドに横たわるチカを見る。


 この部屋には寝るためだけの家具なんて贅沢なものは存在していなかったが、ついさっきネズミの子分たちが大急ぎで運んできたのだ。おかげで部屋が狭くてしょうがない。


「脈拍、呼吸、共に安定しています」

「生命に異常なし、か。マジで寝てるだけなんだな」

「ダグ、彼女は――」

「わかってる。途中で放り出したりしねぇから安心しろ」


 あの一件から十時間以上が経過していた。シャノンがあからさまにほっとした表情になるのを見ながら、ダグは脱力と安堵からくるため息を床にぶちまける。チカが倒れた後、ダグはそれはもう大変だったのだ。


 気を抜いたら胃が空腹だと騒ぎ始める。どうりで力が入らないわけだとダグは部屋の外に追い出した連中に向って呼びかける。機械化などクソくらえと思っているダグではあるが、機械化するとこういった食事をとらずに済むという点だけは素直に羨ましいと思う。身体を生かしていくための作業は時として面倒だからだ。


「ネ」

「はいっ! お呼びでしょうか!」


 呼ぼうとしたら頭文字部分だけで反応してきた。ここまで変わると便利を通り越していっそ不気味である。


 ネズミは言いつけた通り決して部屋には入らず、シャノンの視界にも入らないよう、扉の隙間から見えるギリギリの位置で体を縮こまらせながらこちらを見上げていた。

 

過去の記録アーカイブで見たことがある。これはあれだ、忠犬というやつだ。


 つい先日までダグを始末しようとあの手この手を試していた男と同一とは思えない目の輝きに、ダグは引き気味にひと言だけ命じる。


「飯」

「今すぐに!」


 それだけできびきびと動き始めるのだから、まあ変な形ではあるがよくできたルームサービスができたと割り切るべきなのかもしれない。


 ものの数分もかからずに用意されたいつもより上等な食事を胃に送り込みながら、ダグは暢気に寝ているチカを観察する。


 規則正しく呼吸は変わった服装のリボンを押し上げ、そのたびに部屋の明かりに反射してブローチがピカピカと光を放つ。まるでじろじろ見るなとでも言いたげな輝きに、ダグは忠告通り目を逸らした。暗闇を向いた途端、ブローチの輝きの残滓が部屋の隅に極彩色の幻覚となってしつこく漂い始める。


 自分はかなり頑張った、とダグは思う。ネズミが勝手に懺悔を初めて周囲が呆気にとられている中、背中にシャノンを背負いつつどうにかこいつを部屋まで担ぎ込めたのは万年栄養失調のような身体をしているダグにしてみれば奇跡だった。


 自分たちを守るための長く曲がりくねった廊下に、律義に閉じられている扉に殺意を覚えたのはあれが初めてかもしれない。


 ともあれ、ダグはどうにかチカとシャノンを連れ帰ることができた。しかしほっとしたのも束の間で、次に押しかけてきたのはネズミとその子分たちだった。


 おかしい。こいつは確かに話し合いの場で告解室の如く懺悔をしていたはずである。しかしそんな疑問が顔に出ていたらしいダグに、ネズミ律義にこう返したのだ。


「その、失礼かとは思いましたが手助けをできればと思いまして」

「うわ気持ち悪っ」


 率直な感想が出てしまったのは仕方ないと思う。だって本当に気持ちが悪かった。


 聞けばネズミはダグが大荷物を抱えて部屋から出て行くのを見て急いで追ってきたのだと言う。あの混乱をどうして来たのかと聞けば、ネズミは「説明は部下に任せてきました」と言った。確かに子分の数は前に見た時より半分に減っている。


 今頃住民たちに質問攻めのもみくちゃにされているころだろうな、とダグは他人事として彼らを勝手に哀れむ。一番混乱しているのはボスの人がいきなり変わってしまったあいつらだろうに。


 何かお手伝いできることがあれば、と控えめに言ってきたネズミをダグは大いに活用することにして、手始めにベッドを持ってこいと命じた。この冷たい床に生身の体温が吸われていくのを見ているだけなのはあまりにも居心地が悪い。


 ベッドはテキパキと運び込まれた。ダグが言ってからものの数分もかけず、ネズミは自身の使っていたベッドを部屋から持ち出してきたのだ。




 その後、ボロが来た。


 狭いから部屋に入るなシャノンの視界に入るなとネズミと愉快な仲間たちに命じてから数分後、静かにボロは部屋に入って言った。


「すまない」


 ダグの知るボロらしい、簡潔な言葉だった。この人は教育機関からシャノンと共に逃げ出した自分を迎え入れたあの日から、言葉を飾るということを知らない。だがそれは冷たいと言うわけでなく、ただ不器用なだけだということをダグは良く知っている。


 もしこの人が巣の外のように冷たい人であれば、教育用ドールと共に逃げてきた子供なんて厄介の種なんて、到底受け入れないだろう。


「なんであんたが謝るんです」

「お前の言葉を信じなかった」

「ここを治める長として正しい判断でしょう。不安なものは拒むべきだ」

「それでも、聞くべきだった」


 その謝罪は連れてきた女を拒絶したことについてか、それともネズミの話を信じたことについてか。


 ボロはただ、ダグに向って深く頭を下げていた。静かだった。けれど、気まずい静寂ではない。


「……『魔法』と、言ったか」

「そうらしい。俺もこの目で見るのは初めてなんだが」

「そうか、魔法か」


 ボロは身体に染み込ませるように何度も「魔法」と口に出した。確かめるように横たわったままのチカを見て、動かないシャノンを見て、それからダグに目を移す。


 布に埋もれて今は見えないボロの姿を、ダグは一度だけ見たことがあった。ボロは大人になってから機械化されたという膝から下を切除したらしく、本来足があるはずのそこには小さな車輪が四つずつ付いている。そして顔は、ダグのものと異常なまでによく似ている。


 テルタニスが命をデザインするようになってから、こういうことは珍しくない。この巣の中でも顔がコピーペーストの如く似ている住民をダグは何人も知っている。恐らくダグとボロはテルタニスが複数用意した容姿のテンプレートがたまたま同じなのだろう。

 

「ボロさん、俺ぁ、初めてあそこまで機械化が進んだ奴を見たよ」


 楽園の塔のことを思い出しながらダグは言う。あれこれと策を凝らして、初めてハッキングをして見た内部はまだ瞼の裏に張り付いている。あの塔のてっぺんに、もう人間らしい人間はいない。


「頭まで機械化しちまってるんだ。ありゃもう」

「駄目だな。そいつらはもうテルタニスの手足同然だろう」


 機械化は文字通り体の一部を手術である。


 部位はどこでもよく、テルタニスの義務化した手術は人々の生活を助けてくれる。だが、機械化は同時にテルタニスの奴隷となったことへの証でもあった。体に埋め込まれた機械はテルタニスの端末に過ぎないからだ。


 埋め込まれたそれは簡単に、機械化した人間の思考を侵略するという。それは機械化した範囲が広ければ広いほど早いとも。


「お前には言ったかな、ダグ。自分の友人がある不慮の事故で手足を無くした時――」 

「両手足を機械化して帰って来た友人はテルタニスに反抗的だったにも関わらず、すっかり奴の従順な信徒となって帰って来た、でしょ? もう何べんも聞いたよ」

「そうか。いや、最近少々忘れっぽくなったかな」


 少しだけ、ボロの声が揺れたのをダグは聞き逃さなかった。わかりにくいがこの人だって人間だ。感情があって、冗談も言うし怒ることもある。今の震えは、笑っている証。


「忘れる、なんて機械化した脳みそには得られない体験だろうさ」

「……ああ、違いない」


 その友人を見てボロは既に機械化された足を捨て、テルタニスから逃げた。テルタニスの目と手と電波の届かない、この地下の巣穴へと。


「まだ、その子は目覚めないのか」

「恐らく。なぁに、死んじゃいない」


 眠るチカを見ながら、唐突なボロの言葉にダグは軽く返答する。きちんと呼吸はしているし、体温も低くない。ちゃんと動いている分、チカはシャノンよりも心臓に悪くない休み方をしている。


 それを聞いて、ボロはどこか安心した様な声色で言った。


「そうか。目が覚めたら、礼を言わなければ」

「……それは何に対してです?」

「大事な身内を救われたんだ。礼をしないものがどこにいる」


 ボロは感情が見えにくい。その割に、恥ずかしいことを平然と口にする。




 そして、現在。十時間以上が経ってシャノンが目覚めた後もチカは眠ったままだった。この休息が「魔法」と関係があるのかダグはわからなかったが、起こして聞くわけにもいかない。ただ今は安静にすることしかできないのだ。


 ダグはまた眠っているチカに視線を落とす。とんでもない奴だった。魔法は不可思議で構造がまるで分からず、当の本人はそれ以上に不可解で御しきれない。ひょっとしたら、自分はとびきりやばい奴を招き入れてしまったのかもしれない。


 けれど、ダグは思うのだ。魔法なら、こいつなら何とかしてくれるかもしれないと。

 

 AIに用意された体で生を受け、AIに教育を施され、AIの一部を成人と同時に埋め込む手術、機械化を義務とされた国。そうあるべきと、閉じた国。


「さっさと目ぇ覚ませよ、チカ」


 こんな息のしづらい世界を、ぶち壊してくれるのではないかと。

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