21、反撃準備は入念に

 古今東西、セクハラとパワハラは証拠に弱い。


 というか大体のハラスメントは物的証拠の前に無力である。カメラに映った証拠映像にボイスレコーダーに残った問題発言。いつだって人間は弱者を食いものにする相手を入念な準備で撃退してきた。


 そしてそれはもちろん、異世界であっても同じことである。


「ひょっとしてずっとそれで録音してたってわけ?」

「舐めるな。映像も撮ってある」

「あらやだ高性能」

 

 ダグがそう言えばトンボの目が光り、壁にパッと映像を映し出す。それは少し画質はざらついているものの、ネズミやチカ達の顔を判別できるくらいには鮮明だった。


 映像の中で勝ち誇ったような笑みを浮かべるネズミに眉間に皺を寄せながら、ダグはふん、と鼻を鳴らす。


「いつか強硬手段をとってくると思ってたからな。用意しといて正解だった」

「じゃあ、これを皆に見せれば万事解決ね」

「ばーか。そんな簡単に済むかよ」

「何よ。言い逃れできない完全な証拠じゃない」


 しかしどこかまだ思い悩んでいるようなダグにチカは首を傾げる。こちらにはこれ以上ないほどの証拠があるのだ。なら、これ皆に見せて終わりではないのか。ネズミは巣からの信頼を失って勝手に自滅していくはずだ。


 だが、ダグはただひと言「それで諦めるならとっくにしてる」と言った。


「見ただろ。あいつの後ろの奴ら」

「ああ、あの後方イエスマン集団ね。あれが何?」

「あれ全員ネズミの部下みたいなもんだ。しかも数はあれだけじゃねえ。ネズミはこの巣穴で他にも同じような奴を何人も飼ってやがる」


 つまりは人数不利、ということらしい。こちらは今動けないシャノンを含めて三人。対するネズミ勢はダグの話によれば三十名以上いるとのことだ。


「考えてもみろ。ネズミに従順な奴らがボスを貶されて指くわえて見てるだけと思うか? 自慢じゃないが俺は非力だ。囲まれたら簡単にボコされるだろうよ」

「本当に自慢にならないわね……」


 要するに、証拠はあれど報復の可能性があるのだった。三十名以上からの問答無用の暴力は確かにどうしようもない気もする。ダグのガリガリの体を見ていれば尚のことだ。トンボでは数の暴力に太刀打ちはできないだろう。


 けれど、とチカは思う。脳裏をよぎるのはドローン相手に大立ち回りを繰り広げていたシャノンの姿だ。彼女ならたとえ三十人だろうと百人だろうと問題ない気がしてくる。


「なら、シャノンにどうにかしてもらえばよかったじゃないの」

「……あいつは駄目だ。たとえ今起きてたとしても、戦力にはならなかっただろうよ」

「なんで。あんなに強かったじゃない」


 だが、ダグはチカの言葉に首を横に振るばかりだった。ちらりと椅子にもたれかかるシャノンに目をやりながら、ダグはチカに言う。


「そもそもあいつは教育用ドールだ。人間及び他生命に攻撃しないよう安全装置セーフティがかけられてるのさ」

「……ふーん、教育用ねえ」


 つまりは教師のようなものだろうか、とチカは一人納得する。恐らく彼女にかけられた安全装置とやらは、現実でも度々耳にする体罰やら行き過ぎた指導やらを起こさないためなのだろう。それなら確かに数には入れられないかもしれない。


 そこまで考えて、チカはふと頭に浮かんだ疑問を口にする。


「ねえ、何であんたは教育用ドールと一緒にいるわけ」

「……こっちはこっちで込み入った事情があんだよ」


 だが、ダグは何も答えなかった。相変わらず愛想のない顔で、目の前のトンボをじっと睨みつけている。どうやら教えてくれる気はなさそうだ。


「あっそ。まだ教える気はないってこと」

「別に、今教える必要もないだろ」

「まーね。今は目の前の問題を解決するほうが先、ってことでしょ」

「わかってんならあんたも考えろ。言っておくが俺が追放ってことはあんたも巻き添えだからな」

「わかってるわよ」


 そう言うとチカは壁に背を預けながらパタパタと両足を揺らした。度重なる緊張の反動で、体が重くてしょうがない。しょぼしょぼし始めた目をこすりながら、チカは緩慢になり始めた脳みそを動かし続ける。プール後の授業のような、妙な怠さだった。


 ああ、魔法が使えたらもっと手っ取り早いのに、とチカは思う。だが、一時間休んだ程度じゃ力は回復しきらないだろう。精々、あの大技を一発撃てるのが関の山――。


「――あ」


 と、そこまで考えてチカはあることを思いついた。


「何だよ。何かいい案でも思いついたか?」

「あのさ、ここって何人ぐらい住んでるの?」

「あ? あー……まあ、大体百人前後ってとこだな」

「で、そのうち三十人がネズミの部下なんだよね」

「そうだな。で、異世界人サマは何かいい案でも思いついたんで?」

「いい案っていうか、何で思いつかなかったんだろうっていうか……」


 百人中三十人。なら、技の前提条件にギリギリ当てはまるなと考えながら、チカはコツコツとこめかみを叩いた。どうやら自分でも知らないうちに、かなり視野が狭まっていたらしい。まあ、あまりこの魔法自体を使ってこなかったせいかもしれないが。


「つまりさ、ネズミが心から反省して周りの部下に何もさせなければいいんでしょ」

「ああ? いや、まあその通りだが」

「ボロが言ってた話し合いにはネズミも来るんでしょ。なら大丈夫。うまくいくよ」

「おい、話がちっとも見えてこねえんだが」

「いーからいーから。あ、映像と音声最大で流せるようにしておいて。あとそれから――」

 

 と、そこまで言ってからチカの腹がぐうううと不満を訴えて、彼女は空腹を自覚する。そう言えばこの世界にきてからまだ何も食べていない。


 盛大に腹の音を聞かせてしまったことに少し恥ずかしさを覚えつつ、チカは目を丸くしたダグに向って頬を掻きながら言った。


「……それからなんか食べるものとか、ない?」

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