16、触手とマジで駄目なもの

「う、ぁ……うわぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 最後尾の男が後ろから迫りくるドローンに悲鳴を上げ、驚きのあまりに転倒する。それを合図にするようにシャノンの足が床を蹴った。反動で、彼女の体は急速にドローンへと近づいていく。


 その次の瞬間、シャノンが勢いよく右足を振りぬいた。


「っ――、あ、ぁ、ああ……?」

「避難を。ここは危険です」

「ひ、ひ、……ひへィっ!」


 途端、ガシャンとドローンが派手な音を立てて壁へと叩きつけられた。見れば彼女の蹴りをくらったドローンが、ぶすぶすと煙を吹きながら地面へと落ちていくのがわかる。


 白い清潔感のあるボディには、くっきりとつま先型の穴が空いていた。衝撃に耐えられなかったらしい基盤やらコードのパーツ類が、ひしゃげた状態で穴から覗いている。


 シャノンが落ちたドローンには目もくれずに逃げ遅れたひとりへと話しかけると、男は舌をもつれさせながら「はい」とも「へい」とも聞こえる奇声を上げた。そして這いずる様な体勢のまま、逃げ出していった仲間を追いかけて奥へと消えていく。


 通路にはチカとダグ、シャノン。そして残りふたつとなったドローンが取り残された。


 不気味な、何かが起こる前兆のような静けさがドローンと三人の間に横たわっている。


 残されたドローンはこちらを観察するかのようにその場にとどまっていた。近くで見ると、その全長はさほど大きくはないことが分かる。広げた両手に、ちょうど収まるくらいだろうか。


 近づいて見ると、つるりとした表面には薄っすらとつなぎ目があることがわかる。


 ふたつのドローンは身を寄せ合うようにしばらく止まったままだった。しかし、大人しくしているのも束の間。よりシャノンに近い方のドローンが素早く「何か」を伸ばしてくる。目にもとまらぬ速さだった。


 だが、それよりも早いスピードでシャノンの片手が伸ばされてきたものを掴む。そして彼女はそれに一瞥もくれないまま、手の中のものを躊躇なく握りつぶした。


 見覚えのある触手が床に転がる。テルタニスが使っていたものと同じ、機械のマカロニのような触手だった。


 また伸びてきた二本目の触手を引っ張り、それを出してきた本体を地面へと引きずり降ろして踏み潰しながら、シャノンが短く言う。


「対象から、システムへの干渉電波を確認。ダグ」

「援護はする。気にせず、前だけ見てろ」

「無理はせずに。不可能と思ったら撤退を」

「わかってる……こりゃ俺が知ってるのよりずいぶん脆いが、注意しろよ」


 それはふたりの間で決められた、合図なのだろう。


 シャノンと同じようにダグは短く返事をすると、軽く上着の裾を上げる。するとその隙間から小さな何かが飛び出していった。


 それは小さく、四枚の翅を動かしながら素早く飛ぶ、


「――ひ」


 虫だった。どう見ても、間違いなく紛れもなく、トンボのような形状の虫だった。


 ダグはそれが飛び出していくのを見届けてからスマホのような、しかしところどころからコードが飛び出している薄い端末を取り出す。


 だが、最早チカにとってはそんなことどうでもいい。


「妨害はこっちに任せとけ。お前は――って、おい。あんた、何離れてんだ。危ないだろ」

「む、む、むむむむむ」

「む?」

「む、虫っ! 虫出したでしょ! 今っ!」

「虫ィ? ……ああ、あれのことか」


 チカの悲鳴に対し、ダグはちらりとトンボに視線を向けると、「ああ」と言った。


「ありゃ俺の小型ドローンだ。安心しろ、別に噛みつきゃしない」

「ドローンって、な、なんであんな悪趣味な形にしてんのっ!」

「知るか。引っこ抜いた過去の記録アーカイブから飛ぶのに適していて再現可能な生物を」


 と、そこまで言ってからダグはチカの引きつった表情を見て、そしてニヤリと悪い笑みを浮かべた。「いいことを知った」とでも言いたげな、心底楽しげな笑みだった。


「……ああ、なんだあんた。あれの『元』が苦手なのか?」



 虫は駄目だった。本気で、本当に、駄目だった。


 幼いころにダンゴムシの裏を見てから、チカは虫の類が本当にまったく一切駄目になった。厳密にはダンゴムシは虫ではないらしいが、そんなことはどうでもいい。あの足の多さが、もぞもぞ動くその姿が、テカテカで、けど柔らかく脆い体が、全部無理だった。


 中でも飛ぶ虫は彼女の天敵だ。何故なら飛ぶ奴は早いくせに避けるのが下手で、わざわざこっちに近づいてくるからである。


 もしゴキブリなんて出ようものなら、チカはたとえ屋内であってもノータイムでビームをぶっ放すことだろう。

 

 だからダグがトンボを服から出すのを見て、チカは距離を取ったのだ。後ろに五歩程度後ずさった。狭い通路で可能な、限界の距離だった。


 虫に罪がないことは分かっている。だが、それでも駄目なものは駄目だった。もし目の前に虫の造形デザインをしたものがいたのなら、チカは間違いなく胸倉を掴み上げる自信がある。どうしてああも妙に生っぽくてグロテスクな造形にしたのか、小一時間問い詰めたい。


 目の前の男に虫が苦手、なんてバレたら面倒なことになる気がした。チカは引きつりそうな口の端を吊り上げ、精いっぱいの笑みを見せる。


「――べっっつにぃぃ? あんなの? 苦手でも、何でもないしぃ」

「そーかよ。そりゃあいいこと聞いた」


 しかし、それも無駄な抵抗だったらしい。


 絶対バレた、とチカは舌打ちをする。鼻歌でも歌いだしそうなダグとは反対にチカ気分は最悪だった。絶っ対何か良からぬことに悪用される。そう思うと今から頭が痛くなりそうだ。


 だがそんなチカの気持ちなど置いて、ダグは手元の端末で何かを操作しながら、シャノンに向って指示を飛ばす。


「こっちの妨害電波ジャミングは効いて数秒。今のうちにぶちかませ、シャノン」


 途端、後ろで何もしていなかったドローンが何か衝撃を受けたようにガクッと動きを崩した。何か不調でも起こしたのか甲高いピーピー音が鳴り始め、電子音で「システムエラー」と騒ぎ始める。狭い通路に高い音が反響するせいで耳が痛い。


 けれど、それも長くはなかった。


「ありがとうございます、ダグ」


 その一瞬の隙をシャノンが見逃すわけもなく、最後のドローンは触手を出す暇さえ与えられずに壁とシャノンの手の間で押しつぶされる。


 バキャッとドローンは最期の悲鳴を上げ、完全に動かなくなった。

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