12、嫌なことに怒って何が悪い
「え、人間じゃない⁈」
ここにきてから初めての最大音量だった。
薄っぺらい申し訳程度の壁をびりびりと震わせた声の大きさに、チカは慌てて口を手で塞ぐ。チカ自身、自分の声量に驚いていた。しばらく黙って作業していたせいか、声のボリューム調節が狂ってしまったのかもしれない。
ダグは集中していてこちらを見ることすらなかったが、微かなため息の音でどんな顔をしているかは大体想像できた。今もテキパキと手を動かしながら部屋の埃を掃いているが、その表情はきっと呆れかえっているのだろう。
「大声出すなよ。ここにいるのは俺たちだけじゃないんだ」
「わ、わかってるって……で、本当なの? シャノンが人間じゃないって」
「ああ。ま、別に珍しいものでもないけどな」
声が聞こえたのであろう野次馬の好奇と驚愕の視線が、壁の隙間という隙間からチラチラとこちらを覗き込んでくる中、視線を気にしないようにチカも手を動かす。
服として使えなくたったぼろ切れを結んだパイプを振れば、錆びついた棚の上から綿雪のような埃が降ってきた。通路の途中に落ちていた廃材ではあるが、この長さはやはり高いところの埃をとるのにちょうどいい。
ダグがそれを床の埃と一緒にまとめていく。集まり山と化した埃と塵をゴミ箱へと入れ、部屋をどうにか住めるように変えていく。その流れは実にスムーズで、とてもこんな埃と塵まみれの部屋に住んでいた住民とは思えなかった。
※※※
結果から言うと、「リーダー」からの合否判定は「否」であった。
この巣穴をまとめる人物は、結局チカたちが向かう前に、あちらから騒ぎを聞きつけてやってきた。それはチカの腰辺りまでしか背丈のない、小動物のような男だったが、小動物らしからぬ目のぎらつきがあった。
全身を覆い隠すように灰色の布をまとった、「ボロ」と呼ばれる男はチカの足元に伸びる人影を一瞥すると、特に迷う様子もなく言ったのだ。
「却下だ。ダグ、前にも言ったが不穏分子をこの巣穴に入れる訳にはいかない」
「……一応弁明しておくが、先に手を出してきたのはあいつらだぜ?」
「巣穴は閉鎖空間だ。閉ざされた場所では、こういったいざこざが内部からの破壊を招く」
「――確かにこいつは手が付けられねえ暴力女だけど」
誰が暴力女だ、誰が。
失礼な物言いに思わず反論しかけたが、今彼が言い合っている内容が内容なだけにチカはぐっと言いたいことを押しとどめる。
「でも、こっちだって理由があって手を出したんだ。俺たちだけがどうこう言われるのは納得がいかない」
「……確かに、うちの巣の連中に非はあっただろう。だが、お前が連れてきた女が騒動を起こしたのには変わりない」
ちらり、とボロがシャノンの方を見たのが分かった。そして大量の下衆な視線が、シャノンの破れたスカートへと注がれていることも。
それに気づくと、チカは急いでブレザーの上着を脱いでシャノンの腰に巻き付けた。袖を腰の部分で結び、背中の部分で裂けてしまった部分を覆い隠す。応急処置だが、こうすれば破れた個所は見えないはずだ。
暗闇の中から小さな舌打ちやブーイングが聞こえたが、それもチカの地を這うような「あ?」のひと言を後に、ぱったりと聞こえなくなった。
「っとにしょーもない連中ばっか。……大丈夫? シャノン」
「……いえ、私はこのようなことせずとも。それに、こういった対応はあなたの心象の悪化に繋がります」
「何言ってんの。嫌なことされたら怒る。当たり前でしょ」
「……」
シャノンはその言葉にまた少し驚いたような表情をして、腰に巻かれた上着とチカの顔を見比べる。そしてどこか戸惑ったような声色で「そうでしょうか」と、小さく言った。
「……ダグ。お前は恩を仇で返すような男じゃないだろう」
静かになった中、ボロが再び口を開く。開くと言っても、彼の口は山のような布地に隠されて、もごもごと動いたようにしか見えなかったが。不思議と、言葉は鮮明に聞き取ることが出来た。
言い聞かせるような言葉だった。親が、問題ばかり起こす子供を諭すような。
「わかってる。俺らを匿ってくれたボロさんに、今だって感謝してるさ。けど――」
「なら、この話はこれで終いだ。シャノンを入れるとき、どれだけ苦労したか。お前はよくわかっているだろう」
「……でも」
「仲間が欲しいと言うのなら、巣の中から見つければいい。わざわざ危険を冒さずとも、だ」
シャッター越しの会話のようだった。ダグがいくら言葉を尽くそうとも、閉め切られたシャッターの向こうにいるボロには届かない。
言い慣れているボロの姿は、初めからダグの言葉を聞く気など無いように見えた。
取り付く島もなく、ボロはチカへ判断を告げる。
「わかったら、早くその女を外に――」
「ま、まあまあまあ! ボロさん。それは早計ってもんでしょう!」
が、それを止めたのはチカがぶん殴って倒したはずのあの男だった。
※※※
簡単に言えば、チカがぶん殴ったのはこの巣のいわゆる「副リーダー」だったらしい。まるで部活である。
副リーダーの「ネズミ」は、起きるや否や、ボロに向けてまくしたてるように話し出した。さっきまでの知性を欠片も感じないような言動をしていた男と同一人物とは思えない、人当たりのいい政治家のような流暢さだった。
ここまで肝が据わっているのは頼もしい、だの。
一度の失敗で追い出すのはさすがに哀れだからチャンスをあげよう、だの。
いざとなればどうとでも使いようはある、だの。
そして最後には「何か問題があれば僕が責任を取りますので」とまで言い始めた。鼻血さえ出していなければ、もう少しまともに見えただろうが。
ボロもさすがに、被害を受けた側が率先してこう言いだしては否定するのも難しかったらしい。最後まで色のいい返事はなかったものの、ボロはネズミの言う通り「チャンス」をチカに与えたのだ。
それが「巣の掃除」だった。
ボロは三人に巣を隅々まで綺麗に掃除するように、とそう言い放ったのだ。手始めに、信頼に足る働きをしろと。
そして、今に至る。もう数えるのも面倒になった廃材を隅に積み上げて、埃を掃いて捨てる。その繰り返しだった。
細く入り組んだ通路の壁と言う壁に鉄板のようなものが張り付けられており、埃は掃いても掃いても出てくる。聞けば、この鉄板はテルタニスが発する電波を通さないようにするためのものらしい。言わばシェルターのようなものなのだろう。
そんな中、あまりの単調作業に気を紛らわせるために、ポツポツとダグと言葉を交わしていたときのことだった。シャノンの心情を心配するチカに対し、ダグはあっさりと言ったのだ。
「シャノンはあんたみたいな人間ではなく
チカはちらりと後ろを振り返る。そこには確かに、何事もなかったように床に散らばった廃材を集めて両脇に軽々と抱えているシャノンがいる。チカの上着はまだ腰に巻かれたままだった。返そうとしてくる彼女の申し出を、チカが断ったからだ。
顔も、手も足も、自分たちのものとよく似た姿。それを見て、ダグの言葉を思い出しながら、チカは思う。
人間と、
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