地下バトル、開幕

11、魔法少女の許せないもの

 魔法少女には許せないものが三つある。


 ひとつは自分が神になっていると思っている横柄な客。


 ふたつは食べ物を粗末にすること。


 そして三つめは、


「おい。なあ、おい……!」

「いやだって気持ち悪かったしさあ……」


 ちょうど、チカの足元で顔を覆ってのたうち回っているところだった。




 事の始まりは話がひと段落付いた後、ダグの「ここに住むならリーダーに挨拶に行く必要があるな」という一言だった。


 どうやら彼らの言う「巣」にはそれなりの人数が住んでいるらしく、それをまとめる人物もいるらしい。


 要するに引っ越し先への挨拶である。「これからここに住むのでよろしくお願いします」と顔を見せにいくのだそうだ。


 ダグが言うにはリーダーが住まわせていい、と言う者以外は住まわせてはいけないらしい。だからくれぐれも悪い印象を与えてくれるなよ、とダグは何度もチカに言った。


 チカは別に不思議にも思わなかった。アパートの大家に菓子折りを持っていくのと同じことだ。


 大家の立場からしてみれば知らない人間がいつの間にか住み着いていたことほど恐ろしいこともないだろう。


 それに、国を支配しているAIから身を隠している者たちである。知らない者への警戒心は高いのは当たり前に思えた。


 まあ、挨拶ぐらいならすぐ終わるだろうし、変なことも起きないだろう。


 チカはそう思っていた。


 だが、そんな考えはその「リーダー」に会いに行っている間に掻き消える。


「よォ? 新入りかぁ?」

「ありゃあ中々の上玉だな! ちいっと未熟だけどよ」

「げひひひ! いいぜいいぜ! 華やかになるってもんだ! げひひ!」

「おぅいダグの小坊主! 両手に花かぁ? 羨ましいねぇ!」


 なんだこの魑魅魍魎ちみもうりょう共は。


 歩いている最中に聞こえるのは下卑た声と下衆な声と品のない声。それはどれもこの「巣」の住民のものらしかった。


 こちらを値踏みするかのような視線に現役女子高生のチカが耐えられるわけもなく、彼女はそっと隣を歩くシャノンに体を寄せた。


 チカが寄ってきたことに気づくと、シャノンは少し歩みを緩めて、チカへと振り向いた。サラリとなびいた髪が風を起こし、こもった空気に上気していたチカの頬を涼しい風が撫でていく。


 薄暗がりに目立つプラチナブロンドに、チカはいつの間にか詰めていた息を吐いた。


「チカ、心音に乱れが生じています。何か異常でも?」

「……いや、こういうとこ初めてだからさ。緊張して」

「ビビってんだろ。甘やかすなよシャノン。さっさと慣れさせろ」

 

 減らず口をたたくダグの踵をつま先で軽く蹴り上げた後、チカはシャノンから「よろしければ」と差し出された手をありがたく握る。


 座っているときはわかりにくかったが、シャノンはダグよりも背が高い。ダグが170センチくらいだとすれば、シャノンは180センチくらいはあるのだろうか。


 手はやはりひんやりと冷たく繋ぎにくかったが、今はただ、静かで凛とした佇まいが頼もしくて仕方がなかった。


 考えない、考えない。

 

 下卑た声も話の内容もすべて聞こえないふりをして、チカは歩き続ける。頭の中では帰宅してから食べるはずだったミニドーナッツが手を繋いで踊っていた。


 チョコレート、ストロベリー、抹茶、キャラメル、プレーンシュガー。美味しそうに丸々と太ったドーナッツたちのフォークダンス。


 考えない。考えない。考えないでいればきっとすぐだ。さっさとそのリーダーとやらに会って、挨拶をすれば終わりなのだ。


 そう言い聞かせながら、チカは前を向いた。もう少し、早足で歩こうとした。そのときだった。


「なあ、無視してんなよ! なあ!」


 すぐ後ろでビリ、と布が裂けるような音が聞こえ、シャノンが立ち止まる。何かに引っ張られているように、静かに後ろを向いたのを見て、チカも後ろを振り返った。


 スカートに、シャノンのスカートに亀裂が入っていた。薄い生地に曲がった釘のようなものが引っ掛かっており、それは無残に彼女のスカートを引き裂いている。


 チカは釘の持ち手へと視線を動かす。それはやがて薄汚れた手へと移り、下卑た笑みを浮かべている顔へと辿り付いた。


 彼女のスカートを裂いた犯人は、見知らぬ誰かだった。見知らぬ誰かが、ニヤニヤと笑っている。


 三人が立ち止まると、犯人は急に吠えた。


「きょ、今日こそっ! 相手してもらうぞっ! なあ、シャノン!」


 しかしシャノンもダグも、その声に反応することはない。ダグは少し苛立ったように顔を顰めるだけで、シャノンに至っては表情を一ミリも崩していなかった。


「何度も申し上げておりますが、私はそういった用途のモデルではありませんので――」

「……行くぞ、シャノン。相手にするな」


 ふたりのあしらい方は手馴れていた。この程度の相手なんていくらでもやってきたと言いたげな態度だった。大人な対応、とでもいうべきなのだろう。


 犯人が何かわめきたてる。聞き取れない中かろうじて「うまくつかってやるのに」だとか「はやくすなおにぼくのものになれ」といった単語が途切れ途切れに聞こえた。


 犯人が手に力をこめる。スカートの亀裂が、また広がっていく。

 

 それを見て、チカは高校で起きた事件を思い出していた。内容は知らない間に刃物で制服や鞄に傷がつけられているというもの。


 被害者多数の切り裂き魔事件。そう太文字で書かれた新聞を見たのは高校一年の頃だ。


 目撃情報も多く、犯人はすぐ捕まった。ストレス発散のためにやったとのことだった。


 けれど犯人が捕まっても、チカのクラスメイトはひとりでバスに乗ることが出来ないでいる。「乗ろうとすると冷汗が止まらなくなるから」と、クラスメイトは言っていた。


「……んな」

「あ? なんだお前」

「触んなっつってんの」


 チカはステッキだけを手に出現させる。


 突如現れた色鮮やかな物体に、地下住民の目が釘付けになるのがわかった。持ち慣れたそれを力強く握りしめ、念じる。それだけでステッキはちょうどいい長さへと姿を変えた。振りやすく、届きやすい長さへ。


 本当はもっと痛い目を見せてやりたかったが、消耗した今ではこれが精いっぱいだ。


「おい! ちょっと待て! お前言ったこと忘れてんだろ!?」


 後ろでダグが何か言ったような気がした。が、チカは無視し、手の中のステッキを下卑た笑みに向って黙ってフルスイングする。


 肉にめり込む感触と、「グギャっ⁈」なんて間抜けな声が聞こえた。




 魔法少女には、許せないものが三つある。


 それは横柄な客と、食べ物を粗末にすることと、――自分の欲望ばかりの、気持悪いセクハラ野郎である。


「――この子に触んな。このセクハラクソ親父」


 どさり、と犯人が倒れる。恐らく鼻の骨が折れているのだろう。汚い赤色がむき出しの鉄板を汚していった。


 そしてチカはどこか驚いたようなシャノンと、「やりやがった」とでも言いたげなダグに向ってこう言った。


「大丈夫だよ。ちゃんと生きてるから」

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