10、魔法少女の弱いもの
「うん、わかった。いいよ」
「……は?」
それに対し、チカの返事は実に簡単なものだった。
ダグはあまりのあっさりさに拍子抜けしたのか、目を丸くしてこちらを見つめてくる。実にアホ面であった。
それに笑いながらも、チカはさっさと話を進めていく。
「あ、でも何で塔に行きたいかくらいは言いなさいよね。こっちも協力してるんだから」
「え、あ……い、いいのか? あんた」
「なによ。協力してほしかったんじゃないの?」
「いや、そりゃあそうだが、その」
ダグの顔にはわかりやすく「どうして」と言いたげな困惑の色が滲んでいる。
ついさっきまでの勢いはどこへやら、ダグはもぞもぞと両の手を落ち着きなく動かした。気持ちをどう整理していいかわからない、そんな顔をしていた。
それを横目にチカは椅子から立ち上がると大きく伸びをすると、久々の身体の伸びに筋肉と骨がパキパキと歓喜の悲鳴をあげる。長い間座り心地の悪いものに座っていたせいか、お尻が痺れたように痛みを残していた。
生活するにあたってまず始めなきゃならないのは環境の改善だな、とチカは思う。手始めに座り心地のいいクッションが必要かもしれない。このままでは尻が破壊されてしまう。
「何? 鳩が豆鉄砲でも食らったような顔して」
「ハト……? い、いや、その、俺のこと、気に食わねえんじゃなかったのかよ」
「気に喰わないわよ。当たり前じゃない。こちとら拉致されてんのよ」
チカが当たり前のことを言えば、ダグはますますわからないと言いたげに首を傾げる。宇宙人でも見るかのような目つきであった。
それにふう、とため息を吐き、その勢いで大きく舞い上がった埃を見て、必要な掃除用具を頭に思い浮かべつつ、チカは自分より頭二つ分上の男を見上げる。
驚くほどわかりやすく、ダグは狼狽えていた。
「じゃ、じゃあ、何で。まだ、詳しい理由も教えてないのに」
「何でそんなに知りたいわけ? そっちの目的は達成されたじゃない」
「そんな簡単に態度変えられると、その、落ち着かねーんだよ」
「ふーん……」
心境の変化の理由を教えてほしいと懇願してくるダグに対し、チカは「そういうもんか」と思う。素直に喜んで飛びつけばいいのに、とも。
近所の道子おばさんなど胡散臭いテレビショッピングの「五万の掃除機が今ならなんとフィルター付きで
まあ、掃除機と
「ひょっとして、騙されてるって思ってる?」
「……悪いかよ。急に態度変えられたら疑うだろ、そのくらい」
納得できる理由が欲しいのだろう。それがないと安心できないのだろう。
押した男の胸は当たり前のように硬く、骨ばっていた。体のシルエットを隠すようなオーバーサイズのジャケットは、近くで見ると擦り切れていて端に穴が空いていた。
翻ったジャケットの下の、ダグの痩躯が目に浮かぶ。両手で掴んでしまえそうなほどの腰の細さ。
ダグは慎重だった。慎重にならざるを得ない世界に、身を置いていたのだろう。
チカは言う。大人のくせに、迷子のような目をした男に対して。
「知らないかもしれないけどね、魔法少女は誠意のこもったお願いを無下にしないもんなの」
「……それだけ?」
「そうだけど? 何か文句あるわけ?」
その言葉にもダグはやっぱりぽかんとしていて、呆けたように口を開けたまま、どうしてか己の手とチカを何度も見比べる。
そしてまた、信じられないものを見るような目つきでチカを見て、言う。
「いや……あんた、馬鹿なのか?」
「っぱ眉間にビームぶちかましとくか? あ?」
とんでもなく失礼な発言を前にもちろんチカが黙っているだけなんてこともなく、チカは非礼を咎めるように、ダグの足先を勢いよくローファーの踵で踏みつける。こっちは初手拉致をされているのだ。これぐらい許されるだろう。
まあ確かに、とチカは痛みに飛び跳ねるダグを見ながら考える
もし、ずっとあの偉そうな態度であったら、チカの言葉に逆上して手を上げることがあったら、別の結末もあったかもしれない。ちょっと変身して、鳩尾を思いっきりステッキで突いて、「お前らなんか信じられるか」と先も考えず飛び出していたかもしれない。
ただそれをしなかったのは、ダグたちがより簡単に従わせるための暴力に訴えることなく、チカ自身との対話を選んだからだった。素直になるまでに少し、時間はかかったが。
チカからしてみれば、誠意に誠意で返したまでの話だ。数ある選択肢の中「対話」という道を選んでくれたふたりに対しての。それと迷子のような目をした男への、ほんのちょっぴりの庇護欲。
仕方がない。魔法少女は子供の涙にめっぽう弱い生き物だから。
ただ、それを言うとまた「馬鹿か?」と言われてムカつきそうなので。
チカはそっとその言葉を胸に仕舞いこみ、怒声を上げるダグに対し「ばぁか」とだけ言い放った。
―――――――――――――
あとがき
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