9、男のお願い

「……っ、あ――! もう、本当にめちゃくちゃだなお前は!」

「なんとでも」

「なんとでも、じゃねーよ!どうすんだよ。俺の折角の計画がパーだぞパー!」

「成功する確率は低いように思えましたので」


 まず初めに、耳に痛いほどの静けさを破ったのはダグだった。


 ダグは鳥の巣と並べても遜色ない自身の髪に手を入れ、引っ掻き回すように手を動かしている。やり場のない怒りをぶつけられたダグの髪は見るも無残に絡まり、できの悪いたわしのような有様だ。


 だが、そんなことは最早どうでもいいのだろう。


 ダグはじろりとシャノンを睨みつける。しかしそこに先ほどまでの蛇のようないやらしさはなく、人間臭い、ふてくされたような表情があった。


 チカはそのとき初めて、男がおよそ二十代前後の容姿をしていることに気づく。


「俺がせっかく事を有利に進めようってのに、お前はさあ!」

「あなたがらしくもなく下手な交渉をしているので、止めたまでのこと」

「あー! はいはいそーですか! 下手で悪ぅございましたね!」


 ダグが噛みつき、シャノンが躱し、ダグがそれにまた噛みつく。どうやら痴話げんかが始まってしまったらしい。喧嘩というより、ダグが一方的に噛みついているだけにも見える。


 初めこそいきなり始まった喧嘩を面白がって眺めていたチカであったが、このままでは一向に話が進まないということに気づくと、面白がってばかりもいられなくなった。


 相変わらず連れてこられた場所は埃臭く、椅子も最悪だ。なにより、さっさと話を切り上げて、チカは一刻も早く横になりたかった。


「ねえ、話、続けてもいい?」

「……あ、ああ。悪い」


 凝り固まってしまった背筋をバキバキとのばしつつ喧嘩に割り込めば、思っていた以上に素直な反応が返って来た。


 チカと目が合って、バツが悪そうに視線を彷徨わせるダグからは、狡猾さの欠片も感じられない。ただ、シャノンに窘められて子供のようにむくれている、見た目よりも幼い男がいた。


 チカは改めて、ダグに尋ねる。今の男の表情は、初めて見た時よりもよほど好感がもてた。


「で、結局さ。私にどうしてほしいわけ」

「……力を、貸してほしい」

「え? 声が小さいなあ? きーこーえーなーいなぁ?」


 大げさに、耳に手を当てるジェスチャーまでしてみせると、ダグはわなわなと肩を震わせる。傍から見れば完全にチカが悪役だった。子供を揶揄っていじめている魔法少女兼女子高校生。


 誰かに見られたら問い詰められるな、とチカは考え、そこでもうその「誰か」はどこにもいないということをぼんやりと思った。


「――っ! 何だよ意趣返しのつもりかこのクソアマ!」


 そして子犬が鳴くような叫びに意識を引き戻される。


 ダグは目に見えて分かるほど怒っていた。全身の毛を逆立て、睨みつけてくる目は鋭く、両の手を固く握りしめている。


 それに安堵したことがバレないよう、チカは不敵な笑みを見せる。ダグの反応を面白がっているように、揶揄っているように。

 

 心のどこかで、この世界に人間らしい人間はいないものだと、勝手に思い込んでいたが、ダグは間違いなくチカの知っている「人間」だった。


「あんたらがしたのに比べたら可愛いもんでしょ。で? 私にどうしてほしいって?」

「……」

「別に土下座をしろとか言ってんじゃないわよ。それ相応の態度があるでしょって言ってんの」


 ぐぅ、とダグが言葉に詰まったのは見ただけでわかる。ずいぶんとダグは感情が表に出るようになっていた。もしかしたらさっきまでの蛇のような態度が演技で、こっちの方が素なのかもしれない。


 しばらく、ダグは押し黙っていた。今となっては心情が手に取るようにわかる。


 言いづらいのだろう。負けを認めたくないのだろう。なんの勝ち負けかは置いてだ。


 地面を睨みつけるように固まって、数秒。


 結局彼が動いたのは「ダグ」と、ガラスの声が促すのが聞こえてからだった。


「……俺たちに、力を貸して、ください」


 チカが拉致されてから数十分。


 ダグは初めてチカの前で頭を下げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る